土曜の学年集会は、文系理系の決定に向けてのオリエンテーションだった。
進路指導部長の檄に続いて、教科の先生が順番に話していく。同僚が全員の前で話す姿を見るのは、年に一回あるかないかだ。ない年の方が多いかな。
長年(ほんとに長い)一緒にすごしていても、職員室で感じている各先生のイメージと、生徒の前で見せる姿とはちがいがある。
普段は一風かわっているとしか思えないが、生徒の中では大変信頼されてる同僚がいる。
その方が全員の前に立って話す姿からは、なるほど独特の押しの強さと説得力があふれでてくるのだ。
堀裕嗣氏は、教室におけるカーストに担任教師も含まれると説明する。
スクールカーストが形成されるとき、おのおのを値踏みしていきポイントは、コミュニケーション能力だ。
a自己主張力、b共感力、c同調力の三つの要素でそれは構成されている。
a・b・cすべてをもっているタイプは「①スーパーリーダータイプ」として最上位に位置し、aしかない「⑦自己チュータイプ」やどれもない「⑧何を考えているかわからないタイプ」は下位におかれる。
~ しかし、こうした眼差しは、実は担任教師にも向けられているのである。生徒たちから見れば、学級担任も学級集団を構成する一員である。「仲間」という意味ではなく、学校で過ごす時間を共有し、教室という同じ場所を共有する一員である。要するに、時間と場所とを共有するという意味では、生徒たちが牽制し合うなかで形成されていく〈スクールカースト〉の対象となるわけだ。 ~
そして、ほとんどの教師の位置は最上位ではない。
abcをかねそなえたタイプは教師には少ない、そんなエリートは教師にはならないと堀氏は言う。わかる。
クラスにもいない場合が多く、するとa・cをもつ「残虐リーダータイプ」がクラスの中心になる。
「残虐」という言葉が強すぎる気はするが、なんの悪気もなく「○○は、なんとかだよなあ!」と人が傷つくことを平気でいうタイプは、そういうノリについていけない子にとってはまさに「残虐」だろう。
運動部の中心選手や、勉強もそれなりにできる生徒にも多いタイプだ。
そのまわりをc「同調力」ばかり強い「お調子者タイプ」がとりかこむ。
スーパーリーダーではない担任教師は、この勢力をうまく扱うことが重要なポイントだ。
~ 担任教師が〈自己主張力〉と〈共感力〉とをもっているが、〈同調力〉をもっていない場合、生徒たちでいえば「③孤高派タイプ」と同じ系列にあたる場合である。このタイプは割と多い。大人同士では〈自己主張〉をあまりしないというタイプであっても、教師という仕事上、生徒の前ではかなり〈自己主張〉が強いという教師が多いのだ。しかし、生徒たちの現代的なノリの在り方には理解を示さない。 ~
こういう教師の場合、自分たちとは違う「教師然」とした教師に映り、「残虐リーダー型」生徒も一目おくようになるという。
結果クラスは比較的安定するのだが、諏訪先生、河上先生が主張されていた「プロ教師」像とも重なるはずだ。
さきほど書いた一風かわった同僚は、一担任として隣あわせのクラスだったときも、なかなかやるなと思い、今もクラス経営になんの心配もない方だが、堀さんの分析に符合するものだなと感じたのだ。
そして彼は、「孤高派タイプ」教師を、かなり計算してというか、意図的にというか、演じている。
そういうところが教師の力量だと思う。