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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

リアル

2010年10月12日 | 日々のあれこれ

 小説は心情を読み取るのが大事だけど、、説明はしてくれません。
 雨が降ってるって書いてあったら「悲しいんだな」と読み取りましょう。
 抜けるような青空だったら「やっぱり悲しいんだな」と読み取るようにしようといつも話している。
 小説は描写だと。
 作品にリアリティを感じるのは、その描写がどれだけリアルかということになるだろうか。
 週刊SPAの「坪内祐三・福田和也対談」に、こんな記事があった。

~ 坪内 本当は、大切なのはストーリーじゃなくて、細部のヒダヒダなんだよね。そこに動機とか本質があって、大事なわけじゃん。その感覚が摩滅してきてるね。最近の小説も、わかりやすいストーリーばっかりで、ヒダヒダがない。ヒダヒダ文学を読み解く読解力のない人たちが増えて、書いたりするから、犯罪もわかりやすいストーリーにまとめられちゃうわけ。本当に優れた小説ってのは、あら筋でまとめられないんだよ。
福田 だよね。小説は筋じゃないからなぁ。安岡章太郎さんの「海辺の光景」(59年)の中で、お母さんが忘れていったカバンを開けてみたら、なぜか大きな鍵だけが入っていたとか。そういうのが小説でしょ。
坪内 うんうん。
福田 吉行淳之介の「驟雨」(54年)で、いつも待っているはずの娼婦がいなくて、しょうがないから食堂で蟹を食ってる男が、ふと気づくと力が入って箸が折れかかっていた、とかさ。そういうのが小説で。
坪内 うん。論理的じゃないんだけど、描写を積んでいったときに、説得力を持つんだよ。
福田 説得力というか、「きちゃう」んだよ。なかなか、今はそういう小説がないよね。 ~

 『13人の刺客』のいろんな場面にリアルを感じないのは、理屈が優先しているからなのかもと思った。
 たとえば、戦いにそなえて刀が大量に用意されている。
 人を斬ると、刀はすぐに刃こぼれしたり、血のりがついたりして使えなくなるなんて小情報を知っている我々は、なるほどリアルに描こうとしてるなと思うのだが、実際に剣を交える場になると、リアルさよりもかっこいい殺陣シーンになる。
  『二人静』は、登場人物の日常が細かく描写されるのだが、そこに論理を感じない。
 もちろん作者の徹底した計算の上で成り立った描写のはずなのだが、作られたのではない日常、つまり我々の生きる日常と同じ質の生活が描写されていて、書かれていない心情もすうっとしみてくる。
 
 

コメント
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