goo blog サービス終了のお知らせ 

水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ゴールデンスランバー

2010年02月09日 | 演奏会・映画など
 今の脳の中身をもったまま学生時代にもどるのと、純粋にまっさらでやり直せるのとどっちが楽しいか試しに考えようとしてみた。
 純粋にもどった場合きっと同じあやまちを繰り返すのはまちがいはなく、今の頭を持ってもどっても同種類の別のあやまちをたぶん繰り返すのではないか。
 そういうことは起こりえないのだから、考えてもしょうがないことなのだけど、でもあの虚しいような充実してるような、楽しいようなせつないような、ひまなくせに何かにあせっているような日々を懐かしく思うのは、いくつになっても変わらない。
 その頃の友人と会うこともほとんどなくなった。
 しかし同じ時代を、空気を共有した大切な仲間だ。
 そうか、けっきょく自分の想い出、つまり自分の過去が大事だから、その一部である昔の仲間も大事なのかな。
 突然あの頃の友に出会い何か困ってるといわれたなら、金はかせないけど力になれることがあればやるよ、と打算や損得ではなく言える気はする。
 そして、おまえはそんなことで困っているのか、変わんないなと思うことだろう。逆も同じで。 

 「ゴールデンスランバー」は、その首謀者が何であるのかは最後まで示されないまま、おそらく国家権力から総理大臣暗殺の犯人に仕立て上げられた宅配ドラーバー(堺雅人)が、なんとか追っ手から逃げきろうとする話である。
 敵の力は圧倒的だ。
 ほんとうに逃げ切れるのか。
 原作が鮮明に(めずらしく)記憶にあるので、展開はわかっていて、それでもはらはらどきどきさせられた。
 圧倒的な力をもつ相手から逃げ切るための最大の武器は信頼だと堺正人は言う。
 そして学生時代の仲間、知り合い、たまたま知り合った人たちを信頼しながら、活路をみいだしていく。
 堺雅人という、最近ほんとによく働いてらっしゃるこの役者さんを主人公にしたのは大正解。なんとなく悪人ではなさそうだし、ブルースウィルスみたいな脱出行をするタイプでもないし。
 現実にはありえないが、ひょっとしたらわれわれ一般人にも起こり得る不幸かもしれないという感覚を観る人がもつのは、堺さんのキャラクターによる部分が大きいのではないか。
 もっと期待して出かけててもだいじょうぶだった。
 ストーリーの展開というか設定に、こんなにうまくいくかなと思うところはあるけど、これくらいの夢を見させてもらっていい。
 ヤホー映画のユーザーレビューを読んでたら、「総理大臣暗殺の意味がわからなくてつまらない」的なコメントがいくつかあった。
 そうか … 、そういう受け止め方なんだ。
 そういうレベルの人用にアバターみたいな映画があるのだなあと納得した。
 ツボにはまればうるっとするシーンがいくつもある(ちょろいので全部はまった)。
 観てよかった。
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする