昨日の研究授業の教材は「かぐや姫の嘆き」。次の部分である。
かぐや姫泣く泣く言ふ、「先々も申さむと思ひしかども、必ず心惑はしたまはむものぞと思ひて、今まで過ごしはべりつるなり。さのみやはとて、うち出ではべりぬるぞ。おのが身はこの国の人にもあらず。月の都の人なり。それを、昔の契りありけるによりなむ、この世界にはまうで来たり ける。今は帰るべきになりに ければ、この月の十五日に、かのもとの国より、迎へに人々まうで来むず。さらず まかりぬ べければ、おぼし嘆かむが悲しきことを、この春より思ひ嘆きはべるなり。」と言ひて、いみじく泣くを …
Q1「先々も申さむと思ひしかども」とあるが、何を「申さむ」と思っていたのか。2点述べよ。
A1 ①自分は月の都の人であるということ。
②八月十五日には月に帰らなければならないこと。
Q2 言いたくても言えなかったのはなぜか。抜き出せ。
A2 必ず心惑はしたまはむものぞと思ひて
という発問で大体の意味を理解させていこう、それから助動詞「つ・ぬ」の説明に入ろうと考えていたが、直前にひらめいた発問があった。
Q3 なかなか言えなかった自分を責める気持ちはどの単語に表れていると思うか。
いやあ、これを思いついたとき、やっぱおれって授業のセンスすごすぎると興奮した。
で、さっそく試してみたのだが、生徒諸君はポカンとすることになった。
放課後の研究会でも、「私もわからなかった」「唐突だった」との意見をいただき、そうですね(勉強不足の人にはわかんないよな)と頭を垂れたのだった。
直後の別のクラスでは修正を加える。
「Q3 なかなか言えなかった自分を責める気持ちはどの単語に表れていると思うか。」と板書。
ヒントをあげます。
○○君、休み時間に友達とじゃれていて、ガラスを割りました。
さあ、担任の先生に報告してください。言ってごらん。
「○○先生、ガラス割っちゃいました … 」
そうだよね、そう言うよね。ガラスを割ってもうしわけないという気持ちはどの単語に表れる? そうですね、「ちゃい」なんだよ。
これをつけずに「ガラスを割りました!」っていうと、「ふざけんな!」と怒られるでしょ。
「ちゃい」をつけると、「しょうがないなあ、けがは?」って言ってもらえるんだよ。
さて、かぐや姫のことば「今まで過ごしはべりつるなり」のうち、「ちゃい」にあたるのはどれですか?
こうして、みごと「つる」が「てしまう」にあたるのだと説明できたのであった。
古典では、助動詞の意味や活用を憶えることは必須課題である。
でも、だからといって活用表をやみくもに憶えさせるのは、どうなのだろうという思いがあって、暗記するまで放課後補習をするぞ的な指導はしたことがない。
なにより自分が、助動詞の活用をちゃんと言い切れるのか、何形接続とかすらすらでてくるのかと言われたら心許ないのである。
丸暗記はできてないが、だいぶ本質をわかってきたので、細かいニュアンスも読めるようになってきた。
たとえば「けり」という助動詞を、文法のテキストには「過去」「詠嘆」の意味があると説明する。
しかしこれも、その本質は「来(き)あり」で、過去のある時点に起こったことが現在まで続いていて、その事実に今気づいたというのがおおもとの意味である。
たまたま文脈に応じて、過去や詠嘆という訳し方をするとうまくいくので、そういうことになっているが、実際には過去や詠嘆ではうまく訳しきれない例はいくらでもある。
「どの助動詞も意味は一つだよ」「何形接続なんておぼえなくていいよ」と、どちらかというと先生方を挑発するかのような言葉も、昨日はちりばめてみた。
問題提起としては、受け止めていただけたようだ。
かぐや姫泣く泣く言ふ、「先々も申さむと思ひしかども、必ず心惑はしたまはむものぞと思ひて、今まで過ごしはべりつるなり。さのみやはとて、うち出ではべりぬるぞ。おのが身はこの国の人にもあらず。月の都の人なり。それを、昔の契りありけるによりなむ、この世界にはまうで来たり ける。今は帰るべきになりに ければ、この月の十五日に、かのもとの国より、迎へに人々まうで来むず。さらず まかりぬ べければ、おぼし嘆かむが悲しきことを、この春より思ひ嘆きはべるなり。」と言ひて、いみじく泣くを …
Q1「先々も申さむと思ひしかども」とあるが、何を「申さむ」と思っていたのか。2点述べよ。
A1 ①自分は月の都の人であるということ。
②八月十五日には月に帰らなければならないこと。
Q2 言いたくても言えなかったのはなぜか。抜き出せ。
A2 必ず心惑はしたまはむものぞと思ひて
という発問で大体の意味を理解させていこう、それから助動詞「つ・ぬ」の説明に入ろうと考えていたが、直前にひらめいた発問があった。
Q3 なかなか言えなかった自分を責める気持ちはどの単語に表れていると思うか。
いやあ、これを思いついたとき、やっぱおれって授業のセンスすごすぎると興奮した。
で、さっそく試してみたのだが、生徒諸君はポカンとすることになった。
放課後の研究会でも、「私もわからなかった」「唐突だった」との意見をいただき、そうですね(勉強不足の人にはわかんないよな)と頭を垂れたのだった。
直後の別のクラスでは修正を加える。
「Q3 なかなか言えなかった自分を責める気持ちはどの単語に表れていると思うか。」と板書。
ヒントをあげます。
○○君、休み時間に友達とじゃれていて、ガラスを割りました。
さあ、担任の先生に報告してください。言ってごらん。
「○○先生、ガラス割っちゃいました … 」
そうだよね、そう言うよね。ガラスを割ってもうしわけないという気持ちはどの単語に表れる? そうですね、「ちゃい」なんだよ。
これをつけずに「ガラスを割りました!」っていうと、「ふざけんな!」と怒られるでしょ。
「ちゃい」をつけると、「しょうがないなあ、けがは?」って言ってもらえるんだよ。
さて、かぐや姫のことば「今まで過ごしはべりつるなり」のうち、「ちゃい」にあたるのはどれですか?
こうして、みごと「つる」が「てしまう」にあたるのだと説明できたのであった。
古典では、助動詞の意味や活用を憶えることは必須課題である。
でも、だからといって活用表をやみくもに憶えさせるのは、どうなのだろうという思いがあって、暗記するまで放課後補習をするぞ的な指導はしたことがない。
なにより自分が、助動詞の活用をちゃんと言い切れるのか、何形接続とかすらすらでてくるのかと言われたら心許ないのである。
丸暗記はできてないが、だいぶ本質をわかってきたので、細かいニュアンスも読めるようになってきた。
たとえば「けり」という助動詞を、文法のテキストには「過去」「詠嘆」の意味があると説明する。
しかしこれも、その本質は「来(き)あり」で、過去のある時点に起こったことが現在まで続いていて、その事実に今気づいたというのがおおもとの意味である。
たまたま文脈に応じて、過去や詠嘆という訳し方をするとうまくいくので、そういうことになっているが、実際には過去や詠嘆ではうまく訳しきれない例はいくらでもある。
「どの助動詞も意味は一つだよ」「何形接続なんておぼえなくていいよ」と、どちらかというと先生方を挑発するかのような言葉も、昨日はちりばめてみた。
問題提起としては、受け止めていただけたようだ。