水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

オールドフレンズ

2009年09月23日 | おすすめの本・CD
 戦国時代、武将の娘と、一下級武士との恋は、道ならぬ恋であった。
 今は、身分ちがいの恋を「道ならぬ」と形容はしないのが建前だが、現実にはそれに近いことはいくらでもあり、ある財閥の跡取り息子が、たまたま知り合って恋に落ちた娘と結婚しようとしたら許してもらえなかったというような事例は、ドラマや小説の中だけの話ではない。
 道ならぬ恋と言えば、一般には不倫であったり、近親間のそれであったりするのだが、小説や映画で繰り返しテーマになり、またみんなが喜んで味わうのは、そこに共通して人の心をうつものがあるからだろう。
 普通の恋が、紆余曲折を経て成就していくプロセスは、わが身のことなら文句なくすばらしいことだし、自分と利害関係のない他人のそれを観たり聞いたりするのは、ほほえましく、そして祝福してあげたくなる。
 道ならぬ恋はどうか。
 わが身のことなら、純粋にその成就を望むわけにはいかない。
 たしかな恋愛感情だと意識せざるを得なくなる段階でなんとか食い止めようとするのが、一般的常識人の対応であろう。
 それでも人の心とはいかんともしがたく、恋愛感情は脳の誤解にほかならぬものであることは、茂木健一郎先生の言をまたずとも漠然と皆が(一定の年齢以上の人なら)自覚していながら、時に人は恋に落ちる。
 そして、「道ならぬ」要素こそが、実は人を恋に向かわせる重要なアイテムであることもうすうす気づいている。
  … なんて、何を述べているのだろう。
 決してこんな一般論を書きたかったわけではなく、まして何らかの言い訳ではないですから。
 浅倉拓弥『オールドフレンズ』(宝島社)を読んで、同性に恋をすることも、「道ならぬ恋」の一つとして、そのせつなさが迫ってきたからだ。
 荒んだ母子家庭で男勝りに育った「まこと」と、教師を両親にもち何不自由なく育ったお嬢さんの「はるか」とが出会ったのは小学校3年のとき。
 母親の逮捕をきっかけに、はるかの母はまことを家にひきとる。
 はるかに思いをよせるまこと、幼なじみの哲平はまことを追い求め、はるかは哲平を好きになるという三角関係を三人がだんだんと意識していく過程が、大人になった二人の視点から語られていく。
 語っているはるかは、母を喪い、それがきっかけで認知症になった父を介護しながら幼稚園に勤めているが、教え子の父親と不倫の関係を結んでしまう。
 3人の関係に堪えられずに、高校1年ではるかの家を飛び出したまことは、忌み嫌っていた自分の母と同じように男を渡り歩く暮らしを送ることになる。
 そんな二人が再び出会い、ほんとうに大切な人は身近にいるのかもしれない(去年の定演の二部みたいだ)と気づいていく愛と再生の物語。
 『四日間の奇蹟』に勝るとも劣らぬ名作だった。
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