「海外の街は危険なところが多く、治安の良い日本の環境に慣れた我々は外国に行くときは特に気を付けていなくてはならない」
これは現代日本人の常識でありましょう。
ですが、自分が危険な場所にいることを意識している場合、すでにそのヒトは守りの姿勢に入っており、自らに降りかかるかもしれない危険の種類を考え、こういう事態が起こった場合はこう対処しよう、と、ある程度シュミレーションして備えているのではないかと思います。そんな時に、例えばいかにも危害を加えそうな輩が出現した場合、心構えができているためにすぐに逃げられる。危険で要注意として知られている場所では致命的な事件は起きにくいような気がします。
逆に日常の何気ない場面に潜む悪意は性質(たち)が悪い。
10年ほど前、ガーナにいた頃の話。
同僚のひとりが亡くなり、他の多くの同僚たちと葬儀に参列することになりました。ガーナでは葬式は特別な意味を持っています。とても大事なイベントなので、知人が亡くなると万難を排して葬儀に出席することになります。
今回の葬儀はトーゴとの国境に近い故人の出身地で営まれるとのことで、そこへ行くには首都アクラからクルマで数時間の移動。公共の交通機関は便が少なくて非常に不便なので、クルマを持っている参列者に他のみんなが乗せてもらうことになります。私のステーションワゴンにも定員以上の人たちが乗り込むことになりました。同僚だけでなく、その知り合いのヒトタチ、そしてみんなの昼食や飲み物で後部座席も荷台もすし詰めです。クルマの後部に荷重がかかり、そのぶん前部が浮くようで、何となく空に向かって運転するような感覚です。
目的は葬儀という悲しいイベントへの参加ではありましたが、やはり仲間との長距離移動はそれなりに楽しいシチュエーション。退屈になりがちな田舎道の移動を車内のオシャベリがやかましく盛り上げてくれます。
幹線道路を外れて未舗装路をガタゴト走り、ようやく着いた田舎の村。村の背後を固めているようにそびえる岩壁は、隣国トーゴとの境だそうです。そう聞いた途端に、ずいぶん遠くまで来ちゃったように思える。
クルマを降りて、教会に向かいます。我々の到着を待っていたのでしょう、すぐに葬儀が始まりました。
讃美歌を歌い、故人の経歴が紹介され、更に賛美歌を歌い、その他、部族の言葉で進行するためによくわからない式次第が進みます。その後、故人を納めた棺を墓地に埋葬します。棺を乗せたトラックがゆっくりと村を出て行き、親族や教会関係者、それに故人と特に親しかったヒトタチがその後に続きます。野辺送りであります。
我々は村に残って葬列が帰って来るのを待ちます。埋葬後にもう一度教会に集まり、改めてお祈りを捧げた後に閉会するらしい。その後、同じ職場の人間が集まって、持ち寄った弁当を広げて遅めの昼食を済ませ、アクラへの帰路につく予定です。
葬列に参加するほど故人と深いかかわりがあったわけではないヒトタチは所在無げに教会の外に出て、ブラブラしています。「葬儀」という少々特殊な緊張感を持つ集まりが終わった後なので、交わす笑顔も控え目で話し声も低くなる。私のクルマに乗ってきたのに私とは初対面のヒトタチが改めて紹介されたりして、なんだか間抜けなあいさつを交わしたりします。
(この項、続く)
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