私のキー・リングには真鍮製のカプセルが付けられております。長さ約4㎝・直径約1㎝の小さなカプセル。鍵類と一緒に常時ズボンの右ポケットに収納してあるもので、海外に赴くための飛行機の搭乗時、セキュリティ・チェックでいつも見咎められる代物であります。そのたびに説明を繰り返さなくてはならない厄介ものでありますが、だからと言って手放すつもりはありません。
愛犬バタコとは私の人生の50代を一緒に過ごし、現在60代の峠に差し掛かっているところです。バタコの前に、私の30代から40代にかけて一緒に過ごした犬がおりました。
子犬のまま公園に捨てられてみじめな生活をしていたところを私の妻に見初められ、我が家の一員となりました。いったいどんな遺伝子が絡み合っているのか、混ざり毛糸のように複雑な毛色をしたその子犬は生後3ヵ月くらい。バカボンにするかブースカにするか、二日ほど悩んだ末にブースカと名づけられました。なんだかバカにしたように聞こえる名前ではありますが、スペイン語でブースカ(buscar)と言えば「捜索」を意味するので、いろんな匂いを嗅ぎ分ける能力に長けた犬の命名としては割とまとも、と言えなくもない。ま、後付けの理由ですけど。
ふざけた命名かもしれませんが、それまで快適に過ごしていたアパートから、ブースカを飼うために一戸建ての借家を探して引っ越したんですから、我々の入れ込みようは相当なものでありました。
というわけで、まだ娘が生まれる前の数年間、ブースカはまるで我が子のように溺愛されて育ったのであります。
老いを自覚する現在に比べて、やはり30~40代のオトコの人生というのはまだまだ脂っこくて精力的に動いている頃でありましたから、ブースカもそれに付き合わされて私が海外赴任するたびに強制的に連行されることとなりました。行先は常に開発途上国なので、先々でいろんな経験をすることになりました。
スリランカでは、よせばいいのに放牧されている水牛に吠えかかり、怒った群れのリーダーに追いかけられたり(散歩中だったので、同行していた私も巻き添えを食って追っかけられました)、別の日に森の中を散歩していたら樹上の野猿の群れに囲まれて威嚇され、この時もかなりビビりながら逃走するなどの冒険を体験しました。
クルマで一緒に移動する際、バックさせるために後方確認する私に倣って、助手席のブースカも身体をひねって後ろを見るくせがあり、そんな人間っぽいしぐさが面白いやつでした。
ガーナでは首都のアクラに滞在しておりましたので、さほどワイルドな生活ではありませんでしたが、それでも肉食のイモムシにたかられて腹部の脂肪を少々食われるという、かなりグロい経験をしております。
晩年には足の肉球が硬化する病気にかかり、偏平足になってしまいました。弾力性がなくなった肉球はカチカチのペッタンコで、小石などを踏むとその衝撃で割れてしまいます。寒く乾燥した時期にヒトのかかとがひび割れることがありますが、あれの酷い症状。犬の肉球の筋肉は、クッション性を高めるためだと思いますが、ホタテの貝柱みたいに縦方向に発達しているんです。ですから、割れると傷が深くなりやすい。相当痛かったろうと思います。割れた肉球は消毒して傷薬を塗りこみ、傷が癒えてからは柔軟性を取り戻す一助になればと、馬油を塗りこんで毎日マッサージし、塗りこんだ馬油が乾燥しないように赤ん坊用の小さい靴下をはかせてやりました。それなりに厚みがあった靴下でしたが、それでも歩行時に硬化した足裏を守るほどの効果はないようで、しかしブースカは散歩には行きたがる。しかたなく連れ出すと、まるで熱い砂浜を歩く海水浴客のような足取りで散歩するブースカ。
もっと楽に歩かせてやりたくて、専用のブーツをオーダーメイドしました。と言っても私が自作したんですが。足のサイズを測って型紙を作り、工作用の皮材から切り出した部品をしっかりと縫製しました。底に厚い皮を使ったので小石などの細かいデコボコの影響が軽減されて普通に歩けるようになり、この一足4個のブーツは散歩時のブースカの必需品になりました。アクラの住宅街を靴を履いた犬が歩く姿はガーナ人の目を惹き、通行人は立ち止まって観察するし、運転しているクルマを急停止させて見物するヒトもおりました。ウチの使用人は面白がり、「今にブースカは新聞に載りますよ」などと言っておりましたが、そんなことは起こりませんでした。
当時のブースカは足裏の病気だけでなく、実はフィラリヤという犬特有の病気にもかかっていたのです。
フィラリヤが犬にとって恐ろしい病気である、という認識は私も持っておりました。そのため、ブースカには毎月予防薬を服用させておりました。それは予防薬を浸み込ませたジャーキー風味のビスケットで、これを毎月一つ食べさせるだけでフィラリヤの予防になるという便利なものでしたが、残念ながら使用期限が6カ月間しかなく、したがって赴任前に獣医に行って買い求めたのは向こう6か月分が限界でありました。ガーナではそんな便利なペット用品は販売されておらず、しかたなくアクラの獣医に頼んで抗フィラリヤ薬を毎月一回注射してもらうことにしました。
ですが、注射してくれていたのは果たして本当に抗フィラリヤ薬だったのか? 私は今も疑っております。ある時を境にブースカの体重は減り始め、変な咳をするようになり、体毛はつやを失ってパサパサとなり、つまりはフィラリヤの末期症状が見られるようになったのです。身体全体から筋肉組織が減少したようで、やがて足腰が立たなくなったブースカは階段下の暗がりにうずくまってそこから動こうとしなくなりました。餌も水もほとんど口にせず、体力は低下しているはずなのに、どういうわけか眼だけは力を失わず爛々と輝き、荒い息を吐きながら私をじっと見つめていました。「あんたならこの苦しみをなんとかできるんじゃないの?」と、責められているようで居たたまれず、本当につらかった。
ごめんよ俺は何もできないんだよ。
その数日後、明るい日差しが跳ね回る日曜日の朝に、階段下の暗がりでブースカは血を吐いて死にました。12歳でした。
思い出話を連ねてみれば、自分が飼い犬に何をしてやったか、という一方的な思い入ればかりが強調されてしまいます。
従順な飼い犬が飼い主に対して能動的にできることと言えばただ一つ。飼い主と一緒にいること。
ブースカは12年間、常に私と一緒にいてくれたのです。
某国の空港で、セキュリティ・チェックの担当者はカプセルを見咎めて、
「このカプセル、中身は何だ? 開けてもいいか?」
いいけど、中身がこぼれると困るから私に開けさせて。
中身を見せると、
「こりゃ何だ? ガン・パウダー(火薬)か?」
まさか。古い友人の墓の土なんです。
・・・ちょっと。大切なものなんだから鼻息かけないで。