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Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

懐かしいか青春が

2025-06-17 00:35:23 | その他

父が実家近くのホスピスに入所しました。
今までお世話になっていた老人ホームでは面会は月に2回だけで、外出なんてもってのほか。ですがホスピスにはそういった制限が無く、ほぼいつでも会いに行けます。そして完全看護なので基本的に家族のサポートは必要ないのですが、私の場合、海外生活が長くて今までまともに親孝行をしてこなかった負い目があり、少しでも累積赤字を減らしておきたい気持ちから、実家に寝泊まりして主に食事のサポートのために毎日通っています。

実家周辺は再開発により幼少期と比べて大きく様変わりしており、少年時代に走り回っていた同じ道を徒歩徒歩とホスピスに向かう、老年に入った我が身であります。数十年間の留守中に樹高が高くなった街路樹を見上げながら歩き、着いたホスピスではやけに小さくなってしまった老父の口元に粥の匙を運ぶ。時間は流れるものだ、と、ごく当たり前のことに感慨を深めたりしています。

ところで「恥ずかしいか青春は」は一年ほど前に「緑黄色社会」が発表した楽曲です。強い説得力が感じられる歌声で、聴き手を圧倒する濃密な歌詞が短距離走のように熱く歌われます。
先日たまたま耳にして以来、私の心の深い場所に突き刺さり、抜けなくなってしまいました。ホスピスに通う道を歩きながら繰り返し聴いています。
歌いだしの背後で鳴るバスドラが、スタートラインに着くスプリンターの高まる心臓の鼓動のようで、また、外部からの意見を「うるさい! 僕らにとってはこれこそが正解なんだ!」と切り捨てるところでは、バックに入る手拍子がスタジアムに響く声援のようにも聞こえます。
「青春を未熟だと馬鹿にするな! 全力で取り組んでる者を笑うな!」と叫ぶように歌われるサビでは、いつの時代も真面目で健気だけど生意気で不敵な若者の精悍さが見え、大きく感動してしまう。人生前半の異様に盛り上がる短期間を言い表す「青春」という言葉には、万人が通過するからこそ付きまとう独特の陳腐さがありますが、その陳腐さをも跳ね返す勢いが感じられるんです。

「有限だからこそ最高なんだ」と感じ、「あの時だからこそできた、というその状況を焦がれるように思い返す」のは、青春期に身を置く若者の心境ではなく、むしろ老人の域に達した者のそれに近い。長屋晴子という若い作者は彼女と同世代の若者に向けて歌を作り歌っているのでしょうけれど、そのフレーズは私のような高齢者の錆びついた心をもかき乱してくれる。

恥ずかしいか青春は。
熱心なファンではありませんが、この一曲だけを取り上げても緑黄色社会というバンドは尊敬に値する、とオジイチャンは思います。

ホスピスのベッドで過ごす父に、若い頃にやり残した夢ってある? と尋ねたところ、
「マッターホーンに登ってみたかった」
登山を趣味にしていた若き父の青春。ああ、人生が二度あれば。

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高齢者のペットロスはきつい。

2025-04-03 07:22:01 | その他

愛犬バタコが死んで2週間が経過しました。
朝の起床時、自分の周囲にバタコがいないことが不思議でなりません。彼女がまだ室内にいる雰囲気は感じられるのに。
用事を済ませた外出先で帰路に就く時、自宅で待つバタコはもういないことを思い出し、帰宅する理由がひとつ少なくなっていることに気づいたりします。

大事なものを失くしてしまったのに、自分の生活が滞りなく経過しているのも不思議な気がします。バタコがいないのに夜は明け、陽が沈む。どこかに忘れ物をしたまま、そしてそれに気づいているのにも関わらず前に進まざるを得ないような、非常に気持ちが悪い状態が続いています。

バタコを埋葬した庭の一角は、墓標こそ設けませんでしたが、常にきれいに整えてあります。埋葬した地面を均し、周囲をレンガで囲い、その中を園芸店で購入したウッドチップで満たしました。バタコがいたということを人生の句読点のように忘れ去るのではなく、墓地の手入れに熱中することで彼女との関係がいまだ継続しているように思いたい。

可愛がるためだけに飼われた愛玩動物ですから、そして13年半もの長い時間を一緒に過ごしたんですから、いなくなりゃそりゃ寂しいのは当たり前です。

すでにタイトルも詳細も忘れてしまいましたが、リック・ボイヤーの作品にやたらと暴力に強い口腔外科医が登場する冒険小説がありました。劇中、愛犬家である主人公が可愛がっていた飼い犬が、敵対する組織によって殺されてしまいます。しかも非常にむごたらしい方法で。犬の遺体を埋葬したあとの主人公のセリフがクールでした。
「飼い犬が死んだら、その日のうちに次の犬を入手することにしている」
そして実際に彼は某所から子犬を入手して一緒に暮らし始めるのです(もちろん組織への復讐もします)。
ペットである犬には、可愛がる対象としての機能だけを求めるべきなのかもしれません。

とはいうものの、こちとらそんなゴルゴ13みたいなクールな男じゃないのであった。
えーん。

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バタコのこと

2025-03-21 23:04:53 | その他

昨日未明、愛犬バタコが死んでしまいました。
ただいま大ガッカリ大会開催中。悲しくて悲しくて何をしていても涙が出てきてしまい、常に視界がぼやけています。鼻水も垂れ流し状態。

昨年9月。皮膚の下にできた大き目のしこりが急に大きくなり、バタコ自身も気になったのでしょう、後ろ足で掻いていたら皮膚が破れて出血しました。獣医によると、しこりに集まる体液がじくじくと染み出してくるため、こういう傷は治りにくいのだそうです。化膿止めの軟膏を頻繁に塗布してやるようにしました。
しこりの傷はどんどん大きくなり、それに比例してバタコは徐々に弱っていきました。
先週、室内で派手に転んだバタコは、そのまま起き上がれなくなってしまいました。居間の一角でワニのように腹ばいになったまま、エサをやっても食べようとせず、水もごく少量、私の手から飲むだけでした。
前回投稿したブースカの最期を思い出し、バタコが死ぬ支度を始めたことを悟った私は覚悟を決めました。
それ以降、バタコはほとんど眠って過ごしておりましたが、時々目を覚ますと眼をくりくりと動かして私や妻の姿を探し、戯れにギターを弾くとそれにも反応して短く声を上げたりしていました。身体は弱体化しているはずなのに、顔もしぐさもかわいいバタコのままでした。
寝たきりになって5日後に、バタコは静かに逝きました。

私は泣きながら庭に深めの穴を掘り、バタコを埋葬しました。
慣れないドカタ仕事のせいか腰が痛くなり、もう私は満身創痍。ボロボロになった私を、義姉や妻の友人たちが心配して来てくれて、コレ食えアレ食え元気出せ、と、とっかえひっかえ食い物を手に持たせるので、体重と腹囲は増加中。そのうちに咳も出始めて、体温を測ったら38度近くの熱があり、涙目も鼻水も腰痛も風邪のせいじゃねーか、と呆れてみんな帰っていきました。

バタコがいなくなり、世界が急に色褪せて見えるようになりました。
でも、バタコのためにも今後の人生を丁寧に生きよう、と思いました。
どうしてかはわからないけど。

コメント (3)
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ブースカのこと

2025-03-12 22:35:30 | その他

私のキー・リングには真鍮製のカプセルが付けられております。長さ約4㎝・直径約1㎝の小さなカプセル。鍵類と一緒に常時ズボンの右ポケットに収納してあるもので、海外に赴くための飛行機の搭乗時、セキュリティ・チェックでいつも見咎められる代物であります。そのたびに説明を繰り返さなくてはならない厄介ものでありますが、だからと言って手放すつもりはありません。

愛犬バタコとは私の人生の50代を一緒に過ごし、現在60代の峠に差し掛かっているところです。バタコの前に、私の30代から40代にかけて一緒に過ごした犬がおりました。

子犬のまま公園に捨てられてみじめな生活をしていたところを私の妻に見初められ、我が家の一員となりました。いったいどんな遺伝子が絡み合っているのか、混ざり毛糸のように複雑な毛色をしたその子犬は生後3ヵ月くらい。バカボンにするかブースカにするか、二日ほど悩んだ末にブースカと名づけられました。なんだかバカにしたように聞こえる名前ではありますが、スペイン語でブースカ(buscar)と言えば「捜索」を意味するので、いろんな匂いを嗅ぎ分ける能力に長けた犬の命名としては割とまとも、と言えなくもない。ま、後付けの理由ですけど。
ふざけた命名かもしれませんが、それまで快適に過ごしていたアパートから、ブースカを飼うために一戸建ての借家を探して引っ越したんですから、我々の入れ込みようは相当なものでありました。
というわけで、まだ娘が生まれる前の数年間、ブースカはまるで我が子のように溺愛されて育ったのであります。

老いを自覚する現在に比べて、やはり30~40代のオトコの人生というのはまだまだ脂っこくて精力的に動いている頃でありましたから、ブースカもそれに付き合わされて私が海外赴任するたびに強制的に連行されることとなりました。行先は常に開発途上国なので、先々でいろんな経験をすることになりました。
スリランカでは、よせばいいのに放牧されている水牛に吠えかかり、怒った群れのリーダーに追いかけられたり(散歩中だったので、同行していた私も巻き添えを食って追っかけられました)、別の日に森の中を散歩していたら樹上の野猿の群れに囲まれて威嚇され、この時もかなりビビりながら逃走するなどの冒険を体験しました。

クルマで一緒に移動する際、バックさせるために後方確認する私に倣って、助手席のブースカも身体をひねって後ろを見るくせがあり、そんな人間っぽいしぐさが面白いやつでした。

ガーナでは首都のアクラに滞在しておりましたので、さほどワイルドな生活ではありませんでしたが、それでも肉食のイモムシにたかられて腹部の脂肪を少々食われるという、かなりグロい経験をしております。
晩年には足の肉球が硬化する病気にかかり、偏平足になってしまいました。弾力性がなくなった肉球はカチカチのペッタンコで、小石などを踏むとその衝撃で割れてしまいます。寒く乾燥した時期にヒトのかかとがひび割れることがありますが、あれの酷い症状。犬の肉球の筋肉は、クッション性を高めるためだと思いますが、ホタテの貝柱みたいに縦方向に発達しているんです。ですから、割れると傷が深くなりやすい。相当痛かったろうと思います。割れた肉球は消毒して傷薬を塗りこみ、傷が癒えてからは柔軟性を取り戻す一助になればと、馬油を塗りこんで毎日マッサージし、塗りこんだ馬油が乾燥しないように赤ん坊用の小さい靴下をはかせてやりました。それなりに厚みがあった靴下でしたが、それでも歩行時に硬化した足裏を守るほどの効果はないようで、しかしブースカは散歩には行きたがる。しかたなく連れ出すと、まるで熱い砂浜を歩く海水浴客のような足取りで散歩するブースカ。
もっと楽に歩かせてやりたくて、専用のブーツをオーダーメイドしました。と言っても私が自作したんですが。足のサイズを測って型紙を作り、工作用の皮材から切り出した部品をしっかりと縫製しました。底に厚い皮を使ったので小石などの細かいデコボコの影響が軽減されて普通に歩けるようになり、この一足4個のブーツは散歩時のブースカの必需品になりました。アクラの住宅街を靴を履いた犬が歩く姿はガーナ人の目を惹き、通行人は立ち止まって観察するし、運転しているクルマを急停止させて見物するヒトもおりました。ウチの使用人は面白がり、「今にブースカは新聞に載りますよ」などと言っておりましたが、そんなことは起こりませんでした。
当時のブースカは足裏の病気だけでなく、実はフィラリヤという犬特有の病気にもかかっていたのです。
フィラリヤが犬にとって恐ろしい病気である、という認識は私も持っておりました。そのため、ブースカには毎月予防薬を服用させておりました。それは予防薬を浸み込ませたジャーキー風味のビスケットで、これを毎月一つ食べさせるだけでフィラリヤの予防になるという便利なものでしたが、残念ながら使用期限が6カ月間しかなく、したがって赴任前に獣医に行って買い求めたのは向こう6か月分が限界でありました。ガーナではそんな便利なペット用品は販売されておらず、しかたなくアクラの獣医に頼んで抗フィラリヤ薬を毎月一回注射してもらうことにしました。
ですが、注射してくれていたのは果たして本当に抗フィラリヤ薬だったのか? 私は今も疑っております。ある時を境にブースカの体重は減り始め、変な咳をするようになり、体毛はつやを失ってパサパサとなり、つまりはフィラリヤの末期症状が見られるようになったのです。身体全体から筋肉組織が減少したようで、やがて足腰が立たなくなったブースカは階段下の暗がりにうずくまってそこから動こうとしなくなりました。餌も水もほとんど口にせず、体力は低下しているはずなのに、どういうわけか眼だけは力を失わず爛々と輝き、荒い息を吐きながら私をじっと見つめていました。「あんたならこの苦しみをなんとかできるんじゃないの?」と、責められているようで居たたまれず、本当につらかった。
ごめんよ俺は何もできないんだよ。
その数日後、明るい日差しが跳ね回る日曜日の朝に、階段下の暗がりでブースカは血を吐いて死にました。12歳でした。

思い出話を連ねてみれば、自分が飼い犬に何をしてやったか、という一方的な思い入ればかりが強調されてしまいます。
従順な飼い犬が飼い主に対して能動的にできることと言えばただ一つ。飼い主と一緒にいること。
ブースカは12年間、常に私と一緒にいてくれたのです。

某国の空港で、セキュリティ・チェックの担当者はカプセルを見咎めて、

「このカプセル、中身は何だ? 開けてもいいか?」
いいけど、中身がこぼれると困るから私に開けさせて。

中身を見せると、

「こりゃ何だ? ガン・パウダー(火薬)か?」
まさか。古い友人の墓の土なんです。
・・・ちょっと。大切なものなんだから鼻息かけないで。


 

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老親のこと

2025-01-25 15:45:47 | その他

母は米寿。
数年前に近所のショッピングセンターで足を滑らせて転倒した際、受け身が取れず硬いフロアでアタマを強打してしまいました。耳の穴からかなりの量の出血があり、すぐに病院に運ばれて、そのまま数か月間にわたって入院することとなりました。新型コロナ感染症が猛威を振るっていた頃で、入院中数回のオンライン面会しか許されず、脳挫傷の影響なのか、加齢のせいで脳が錆びついたのか、たぶん両方の理由で、画面を通じて見る家族の顔を識別できなくなりました。歩行も困難になり、退院が許されたその日に介護付き老人ホームへ入所することになりました。

父は当時89歳。
昭和の頑固オヤジは「俺は独りでも暮らしていけるからほっといてくれ」と言い放ち、それは息子二人に心配をかけたくないという親心だったのか、もしくは独りで気楽にのびのびと無責任を楽しみたい気持ちだったのか。たぶん後者。
しかし心配する息子たちはそれぞれ定期パトロールを実施。たぶんそうなるだろうな、と思った通り食生活が乱れた父は見るたびにきちんと痩せていきました。ちゃんとメシ食ってくれよな、という兄弟の異口同音に対してはいつも「食ってるよ」と答えておりましたが、もちろん我々は信じていたわけではありません。訪問のたびにまとめていたゴミには、食べやすい甘い菓子類の包み紙ばかりが目立ちましたし、せめて一日一食は栄養バランスの良いものを、と毎月届くように注文した冷凍食品もフリーザーに溜まるようになっていました。
こんな状態が続けば近いうちに、電車を乗り継いで帰り着いた実家の郵便受けには数日分の新聞が押し込まれていて、庭に面した寝室の雨戸も閉まったままで、解錠して玄関ドアを開けても普段なら聞こえる大き目のテレビの音声が聞こえずひっそりとしていて、慌てて駆け込んだ寝室には冷たくなった父が横たわっていて、取り乱した私はその時いったいどういう行動に出るのだろうか、などと割とリアルに考えておりました。
想像していた通りのことが起こったのが、父の独身生活開始7ヵ月後。慌てて駆け込んだ寝室の床に父は倒れており、案の定、私は取り乱しましたが、幸いなことに父は生きておりました。何があったの?と尋ねても本人は何も記憶しておらず、状況から考えるに、夜中トイレに行こうとして倒れ、仰向けになったまま起き上がれずに(カメ)40時間近く経過した、ということのようです。意識はありましたが身体が冷たくなっており、念のため救急車で病院に運んでもらって検査を受けましたが、特に異常は見られない、とのことで帰宅。その日から弟が泊まり込んで一緒に生活するようになりました。
弟の献身的なケアのおかげで体重も徐々に増加し、健康を取り戻したかに見えましたが、半年後に受診した歯医者の荒療治が原因で敗血症となり、入院。やはり入院中に歩行が困難となり、軽めの認知症も発症して、母と同じ介護付き老人ホームに入所しました。

月に二回の面会が許されており、その時は家族で過ごします。
一時期我々が誰なのか識別できなかった母は見事に脳を復活させ、施設内で起こったことを話してくれたり、息子が話す思い出話に涙したりしています。
緩やかに認知症が進行する父は、時々支離滅裂なことを話します。特に入れ歯を外した状態では何を言っているのかわからず、対応が難しい。
弟も妻も義妹も、早くから会話を諦めてしまいますが、さすがに私は途上国での経験が豊富。わけのわからない言葉に既知の言語との何らかの共通点を見つけ出して見当を付けるのは得意中の得意です。なので、何度か応答を繰り返すうちに父が何を言いたいのかはとりあえず判明し、会話ができます。「先週、東京湾でトロール船に乗って網で魚を獲った。大漁だった」なんて、絶対にありえない冒険譚を父が話してくれるのを通訳してやると、みんな「なんでわかるのー?」と驚き、ふふーん、こういうのは得意なんだよーん、と私はドヤ顔を見せつけるのでありました。

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