Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

友達の範囲

2023-09-12 16:31:19 | その他

♪一度会ったら友達で、毎日会ったら兄弟だ♪ という歌が30年位前の「おかあさんといっしょ」で歌われていました。
本当に「一度会ったら友達」だとしたら友人数は膨大になるはずです。無邪気で希薄なしがらみしかなかった幼児の頃は、他者と友人としての関係を結び合うことはたやすいことで「ともだち100人できるかな」なんて期待も、さほど突飛なものではなかったように思えます。

世間では友人が多い少ないがそのヒトの人格(魅力ある人物かどうか)の尺度になっているらしく、友人が多いヒトほど良いヒトである、という評価が一般的です。他人から慕われるヒトというのは、なるほど、良いヒトの特徴の一つと言えるかもしれません。
ですが、最近、その解釈がなんとなく幼稚に思えてきました。友人の多さを誇るのは、他人からの支持を積極的に募る選挙の立候補者の姿につながるような気がして、なんとなくカッコ悪い。

「友人の多さ」を語るうえで注意すべきは、そのカテゴリーでしょう。友人をいかに定義づけているか。知り合いと区別しているかどうか。

学生時代のクラスメイトは単に同じクラスに振り分けられただけの関係で、中には親友レベルの親しさに発展するヒトもいましたが、多くは特に親しく口をきいたこともないまま関係が終わったヒトばかりで、友人とは言えなかった。
同様に会社の同僚も友人とは言えないでしょう。ほぼ毎日、顔を合わせ声を掛け合う仲ではありますが、生活に必要な収入を確保するために一緒に働く仲間であるだけで、任務遂行の際には最上級の信頼を置いてはいるものの、友人ではない。

その他、友達とは「困った時に助けてくれる存在である」なんて、機能を優先するヒトもいるようですが、非常時に助けを期待するが故に他人と仲良くなろうとするというのも、なんだか自分勝手で動機が不純に思えます。

私にとって友人とは「一緒に遊ぶヒト」です。楽しさを感じる分野が自分と重なっていて、楽しい思いをするために必要なヒト。好きで一緒にいるヒト。

とはいうものの、最近は自分の趣味活動が極めて限定的になりました。
相手が必要なスポーツやバンド活動などは久しくやっておりませんし、映画や文学について語り合うのもインターネットの関係サイトへの投稿で満足してしまっております。数年前から飲酒習慣もなくなって、日没後の外出はバタコとの散歩くらいです。
余暇を過ごすのは、どれも独りで楽しめる活動ばかり。

というわけで、私の友人数は過去数年間0人です。
でも、いいんだもーん。

コメント
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