goo blog サービス終了のお知らせ 

Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

私はジャッキー・チェン。

2011-12-28 00:28:36 | その他

ヒゲを生やすようになったせいか、もしくは加齢で人相が変わったのか、最近は滅多に言われなくなりましたが、それまでは私はジャッキー・チェンに似ている、と、よく言われたものでした。特に外国で、それは顕著でありました。

スイスの空港では、パスポートを見た入国管理官に「あら? あなた日本人だったの? 香港のヒトじゃなくて?」などと驚かれたり、ガーナのスポーツ・ジムでは肉団子のようなボディ・ビルダー数名に「な、あんたジャッキー・チェンだよな?」と興奮気味に詰め寄られたり、スリランカのバーでは「あんたの映画、全部観てるよー」などと声をかけられたり、と、楽しい誤解例には枚挙が暇がない。

実際、サインをせがまれることも度々あって、どのように対処すべきか、困ることもあります。

10年ほど前、バンコクに滞在した時のこと。宿泊先のホテルのジムでウェイト・トレーニングに熱中しておりました。各種ゲームはあまり得意ではないのですが、基本的に体育が好きな私です。

一人の少年がジムの入り口に佇み、バーベルを持ち上げる私に注目しています。欧米系の少年で、手にはノートとサインペン。特に気にかけず、ベンチプレスに集中していたのですが、ふと気づくたびに彼が徐々に接近して来ているんです。

ははーん、こやつは何か勘違いしているな・・・。

例によって、私をジャッキー・チェンだと勘違いしているようです。憧れのアクション・スターに最接近しているものの、一声かける勇気がない。緊張のため「サインして」のヒトコトが口に出せない少年であります。素知らぬふりでトレーニングを続けておりましたら、そのうちいなくなってしまいました。あきらめたのかと思っておりましたら、なんと父親らしき人物をつれて再度登場。ニコヤカに歩み寄るパパは、

「こんなところでお目にかかれるとは思っていませんでした。トレーニング中に申し訳ないのですが、息子にサインをしてやってもらえないだろうか」

私は努めて真面目な顔つきで、

私は有名人ではなく、したがって私のサインなど何の値打ちも無いはずですが。

と述べると、相手は意外そうに、

「え? だって、ミスター・ジャッキー・チェンでしょ?」

いえ、違います。私は日本人です。

「・・・ちがうの?」

ええ、ちがうの。

明らかに落胆した顔つきで、傍らの息子に、

「このヒト、ジャッキー・チェンじゃないんだって」

と、言うとその息子が私を指差しながら父親に

「何いってんだよパパー、ジャッキー・チェンじゃないかよー! 早くサインもらってよー!」

このハナシをすると、たいていの友人は「ジャッキー・チェンになりすましてサインしちゃえばいいじゃん」などと無責任に言うのですが、そんなことをしたら周囲の人たち全員がサイン目当てに詰め掛けてくるのは必至。だってみんな疑いつつも私に注目しているんです。だから一度でもサインしてしまったら「あのヒト、やっぱしジャッキー・チェンなんだ!」と、疑惑が確信に変わり、周囲のヒトタチがにわかファンに変わる。万が一そんなヒトタチに追いかけられる羽目になったりしたら、ジャッキー・チェンのように逃走術に長けているわけではない私はすぐにつかまってモミクチャにされてしまうでしょう。そんな危険を冒すつもりは毛頭ございません。

ジャッキー・チェンの映画は世界中で楽しまれています。そして、彼は全ての出演作で善玉を演じており、そのおかげで私も世界中どこへ行っても善玉視され、みんなに親切に接してもらえます。

お世話になっています、ジャッキーさん(御本人は特にお世話しているつもりはないでしょうけど)。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後の映画

2011-12-21 00:20:48 | ケニヤ

登山家の高田直樹氏はエッセイ「なんで山登るねん」シリーズの著者でもあります。

30年以上前、雑誌「山と渓谷」に連載された同エッセイはとても面白く、当時高校生だった私は毎月夢中になって読んだものです。当時珍しかった「です・ます」調の柔らかい語り口から、私は書き手の年齢を若く身近に感じておりましたが、連載終了後にヤマケイが組んだ特集で、氏が私の父と同い年であったことを知り、とても意外に思ったことを覚えています。

「なんで山登るねん」にはオートバイに関する記述も多く、私が幼少期から抱いていたオートバイに関する憧れがかなり具体化されることとなりました。

エッセイ中、高田氏はなぜ自分が山に登り、オートバイに乗るのか、思考します。考えついたその理由がとても印象的でした。

 - ヒトは死ぬ間際にその人生を凝縮した短い映画のようなものを見るという。その時、美しい風景を心に映すため、山に登り、単車に乗るのではないだろうか。

なんともロマンチックな考察です。

エッセイの中で高田氏は、自分が死ぬ時に心に映す風景を「新潟県親不知の断崖」と考えていたようです。夕日に染まる日本海を見ながらオートバイで走る断崖のワインディング・ロード。その風景を実際に体験したことはありませんが、人生の最後を象徴するにふさわしく美しい風景ではないかと想像します。

その記述をとても印象深く感じた私は、以後、訪れた場所で美しい風景に出会うと、これこそ我が臨終の風景ではないか、と意識するようになりました。もしかしたら高田氏の記述のとおり、いろんな場所に出向くようになったのは死ぬ時に心に映す風景を求めての行動だったのかもしれません。

現時点での第一候補は、22歳の時にオートバイで走ったケニヤの風景です。残念ながら詳しい場所はもう忘れてしまったのですが、雲一つなく晴れた青い空と、自分の目の前に無限に続くかのように伸びるラフロードが白く輝いておりました。

気分が高揚していたせいもあるのでしょうが、ものすごい開放感があり、「死=人生からの開放」を象徴するにふさわしい風景として、心に残っています。

いずれ迎えることになる死の瞬間、思ったとおりの風景が果たして心に映るのか? 就寝時に夢を選べない私の素朴な疑問であります。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする