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Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

アメリカのフィッシング

2023-05-29 01:03:37 | その他の国々

アメリカ人の知り合いの話です。
カリフォルニア州サンフランシスコ郊外の高校に通っていた彼は、アラスカ州から転校してきた美少女に一目惚れしてしまいます。なんとか仲良しになりたくて、話題になっている映画や地元の遊園地などにデートに誘うものの、なかなか付き合ってくれません。
何度目かのお誘いの時、

「今度の週末、郊外にフィッシング(釣り)に行かないか?」
「あら素敵。ぜひ行きたいわ。誘ってくれてありがとう」

やったーっ!
大喜びで釣り竿などの道具を二人分用意して、当日はピカピカに磨きこんだクルマで迎えに行きました(さすがアメリカの高校生です)。
待ち合わせ場所に現れた彼女は、ひざ下までの長さのゴム長靴とゴアテックスのマウンテンパーカに身を固めており、やる気満々。映画や遊園地への誘いには全然なびかなかったぶん、かなりアウトドア志向の高い女の子のようです。
目的地の湖までは1時間ほど。渋滞もないフリーウェイを快適にドライブ。彼女も普段よりも口数多く、いろんな話をしてくれました。
到着した湖畔は人影もまばらで天気も良く、絶好のデート日和です。
ちょうど良い具合に枝が張り出した木陰に折り畳み式の椅子をくっつけ気味にして並べ、手際よく釣り竿を準備して糸を垂らしました。準備はオッケー。
でも彼にしてみれば釣果なんてどうでもいい。彼女と一緒に時間を過ごせればそれで幸せなんですもん。
一応、浮子(ウキ)の動きには注意しながらも、車中のおしゃべりの続きを楽しんでおりました。
釣りを始めてから、なんとなく居心地悪そうにもじもじしていた彼女がおずおずと、

「フィッシング、しないの?」

あれ? オレ、話に夢中になって餌を付けずに針を水中に投げ入れちゃったのかな?
と、小話のオチみたいなミスを疑って糸を引き上げてみましたが、エサはちゃんと(まだ)針に付いています。

「え? フィッシング? 今やってるじゃん?」

「えー? フィッシングよー? こんなとこでできないでしょー?」

「この湖畔でできることといったらフィッシングぐらいだよ」

「でもフィッシングしてないじゃない」

うーむ、なんでこんなにハナシが噛み合わないのか?

更に言葉を重ねてお互いの真意を探り合った結果、フィッシングの意味することがアラスカとカリフォルニアではかなり違うことがわかりました。
アラスカのフィッシングはこんなんじゃないんですって。産卵のために川をさかのぼってくる鮭を浅瀬で待ち構えて、棍棒でバッコンバッコンぶん殴ってしとめるという、血みどろ汗まみれのワイルドな狩猟なんだそうです。
そう言われてみれば、彼女のやけに本格的な出で立ちもうなづけるものでありました。

相互理解完了して二人で笑い合い、ゴメンネ期待に沿えなくて。でも今日のところはカリフォルニア流のフィッシングで我慢して。
やっぱり釣果は大したことなかったけど、二人ともに楽しい週末を過ごしましたとさ。

その後、しばらくして二人はめでたく結婚しました(結婚式に招待されて当時赴任していた西アフリカから駆け付けた私は「一番遠いところから来た出席者」として表彰されました)。

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パーボイルド・ライス

2022-05-27 14:14:29 | その他の国々

ご存知のように、稲は収穫された後、脱穀・乾燥・籾摺り(もみすり)・精米というプロセスを経て、白米になります。
籾すりというのは、籾殻を取り去って玄米にする過程です。玄米にはまだ胚と果皮(pericarp)が付いておりまして、このまま炊いても食べられますが、果皮のせいで効率よく水分吸収できないため、とても固い食感になります。なので、一部の玄米ファンを除いて、この果皮を取り除く作業が必要になります。それが精米過程です。
精米過程では一般的には精米機が使われます。エンゲルバーグ式精米機はシリンダー内で圧力をかけて玄米同士をこすり合わせることで玄米の表面を削り取り、白米にする装置です。シリンダー内の圧力を強めにかけると削り取られる部分が増して、そのぶん白米のサイズは小さくなっていきます。日本酒を作るときに使うコメは純粋な味を追求するがために果皮に近い部分をなるべく削ぎ落として小さな粒にしてしまうそうです。「大吟醸」なんて、50%以下のサイズに磨きこんだコメを使うそうです。
というわけで、コメは削れば削るほど味は良くなりますが(好みはあるでしょうけど)、そのぶん食糧としては量が少なくなってしまいます。

パーボイルドライスは、脱穀した後に籾のまま茹でたり蒸したりして、いったん加熱処理をするお米です。加熱したあとに乾燥させると、ご想像通り、米はものすごく硬くなります。虫でさえ歯が立たないほど硬くなるので害虫が発生しにくくなりますし、精米過程で加えられる圧力で割れたりすることもなくなります。簡単には削れないので、食糧としての米は増加します。また、一度加熱処理してありますので、長期保存しても品質があまり変わらなくなります。
なんか、いいことづくめ。

このパーボイルドライス、スリランカではとても一般的に食されています。
需要が大きいので、精米所が大規模に作ります。
籾を加熱処理する前に水に浸けて2~3日間吸水させるのですが、この水を取り替えずにずっと使い続けるため、水が腐るんです。変な臭いがする。その腐った水を吸収した籾を蒸して、蒸しあがった籾を乾燥場に広げて日光で乾燥させます。完全に乾いた後に精米処理をする、と。

こういうコメを炊くと、たいてい臭いんです。
と書くと、はたしてどんな臭さなのか、知りたくなっちゃうでしょ? 
あれ?奥歯の間になんか異物がはさまってるぞ。爪楊枝で取り除いてみたら、それは朝食時のご飯粒だった、と想像してみてください。
普段のあなただったらそんなことは絶対にしないでしょうけど、そのご飯粒を鼻先にもってきてどんな臭いか嗅いでみた、と想像してみてください。臭いでしょ? 腐臭がするでしょ? 
そういうご飯粒をものすごくたくさん集めてお皿に盛りつけたら、こういう臭いがするだろうな、という感じのごはんです。
私と家内は「歯糞飯(はくそめし)」と呼んでおりました。

ものすごーく臭いんですけど、その腐臭があたかも一種のスパイスであるかのように、どういうわけかカレーに合うんです。しかも飛び切り辛いカレーに合う。
スリランカのカレーは日本のカレーのようにコッテリノッタリしていません。サラサラのスープ状です。かなりの量の油が使われているにもかかわらずあっさりと辛いカレーは歯糞飯にスッと馴染む。
馴染んだカレーと歯糞飯を右手でさらによく混ぜます(手づかみで食べる本場のカレーです)。

お断りしておきますが、歯糞飯は炊いてから少々時間をおいて、十分冷めた状態で盛り付けてください。炊き立てのアツアツなんて素手じゃさわれません。湯気に混じった臭気が立ち込めて臭いがものすごいでしょうし。毒ガス。そしてカレーも出来たてじゃありません。火からおろして数時間が経過し、冷める過程で程よく辛さと味が融合した室温カレーです。

お皿の上でよく混ぜたカレーと歯糞飯を五本指でつまむようにして口元に運び、親指ではじくように口中に投入します。その途端、口に広がるカレーの辛さと鼻に抜ける歯糞飯のかすかな腐臭。この腐臭は変な例えですが魅力的な異性のフェロモンのようにも感じられる。
辛さは強い刺激ですが、ある程度の量を食べれば舌がそれに慣れてしまう。しかし歯糞飯の腐臭は警戒臭であるが故に慣れない。ということは飽きが来ないので食欲が継続するんです。

あー、うまい! うまいけどクサい! クサいけど止められない!

やっぱカレーにはコレです、歯糞飯。

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空の飛び方

2017-04-01 15:34:49 | その他の国々

自分が空を飛べることに気が付いたのは、今から20年以上も前のことになります。

当時、私はスリランカのものすごい僻地に住んでおりました(どのくらいすごい僻地かというと、人口よりもたぶん野生の象の数のほうが多く、また、昼間、仕事に行っている間に野生の猿が家宅侵入してテーブル上にオピッコしていってくれるほどの僻地です)。
当時、生後1年に満たない赤ん坊だった娘を、そんなすごい環境下に連れていけるほど私の肝っ玉は太くなかった。妻子は島の中央部にある街・キャンディに住まわせ、私はそこに週末だけ帰る金帰月来システムでした。
20年前のスリランカといえば国内紛争真っ盛りの頃で、テロ行為が頻発していた街の暮らしと、象や猿が群れる野生の王国のどちらが危険だったかは意見の分かれるところではありますが。

僻地では日没後、辺りは真っ暗になります。視界に灯りは皆無で、そのかわり晴れていれば夜空の星がきれいに見え、それが家の前にある貯水池の水面に反射して、なんとも幻想的な夜景を楽しむことができました。

ある月明かりの無い晩のこと、いつものように家の前で星空を眺めておりました。
子供のころ、夜空を見上げてジャンプすると単純に面白かったことを思い出し、垂直飛びをするようにジャンプしてみました。普通、ジャンプしたときは地面を見ながら着地しますが、星空を見上げる姿勢のまま着地すると、ほんの僅かに、星が近づいたり遠ざかったりするように見えるんです。
久しぶりの感覚が妙に面白くて、周囲に誰もいないのをいいことに、私は子供のように上向きジャンプを何度も繰り返しました。少々息が切れるほど(回数にして30回くらいでしょうか)繰り返してジャンプしていた時、星が近づく感覚がいきなり強まり、視界がゆがむような感覚に襲われ、思わず下を見ると自分が宙に浮いていることに気が付きました。足の裏が地面と接していないのです。

驚愕。
えーっ? という大声が自然に口から出ました。

衝撃を受けてはおりますが、宙に浮くというのは身体のどこにも何の圧力も感じていない状態なので、どこか無責任な、他人事のような衝撃でした。
驚いた拍子にちょっとのけぞったせいでしょうか、直立していた姿勢が崩れて宙に浮いたまま傾いてしまいました。一度傾いてしまうと元に戻せません。なぜ自分が浮いているのかわからず、したがって態勢を変えるためにはどこにどんな力を入れれば良いのか、見当がつかないんです。もちろん着地することさえもできず、私は傾いたまま浮いておりました。

これは困った。宙に浮く、という前代未聞の体験をしている興奮などはなく、ただひたすら困ってしまった。オジサンの垂直飛びですから、ほんの数十センチの高度(というか低度)なのですが、着地できないまま、というのは何も拠り所がなく、不安で苦しいほどです。助けを呼ぼうにも周囲には誰もいませんし。

その晩は時間はかかりましたが徐々に高度を下げることができ、足が地面に着くようにはなりました。しかし体重が完全に戻ることはなく、後ろに傾いた変な姿勢のまま、足で地面を蹴るように移動して屋内に入って戸締りをし、就寝中にこれ以上浮遊しないように、ベッドの足にくくりつけた細引きをウェストに回してもやい結びで確保して眠りました。
幸いにも、翌朝目覚めたときには私の体重は元に戻っておりました。文字通り地に足を着けて普通に生活することができるようになっており、安心したものです。

それからは、周囲に人目がないのを良いことに、宙に浮く練習に熱中しました。これは新たに授かった不思議な力なのかもしれません。もしそうならば、何かの拍子にまた浮いてしまうかもしれず、そうなる前にコントロールできるようにしておこう、と思ったんです。もちろん「人目がない」とは言っても、まったく誰もいないわけではないので、練習は室内限定です。

まずは寝室で数十回のジャンプを繰り返し、身体を浮かせます。宙に浮くことができたら、姿勢を保つ方法を習得し、次に高度を思いのままに上げ下げする練習をし、その後、水平方向に移動する練習に移りました。
それぞれの移動方法に違う種類のコツがあり、なかなか思い通りに飛ぶことができず、もどかしい。最も難しかったのは「弧を描いて移動する」という、いかにも飛行しているような空中移動法で、これを習得するのは時間を要しました。最終的にはスキーのボーゲンの要領を応用することで、きれいな弧を描くことができるようになりました。

自分の身体を移動させるのですから疲れるのは当たり前ですが、普通の体育的な運動で生じる疲労とは違う種類の疲れを感じ、根を詰めて練習した後しばらくは横になって休む必要がありました。

十分に室内練習を積んだ後、屋外での飛行訓練に移りました。やはり他人に目撃されると面倒なので、もっぱら夜間飛行ばかりです。

夜間飛行で気を付けるべきは「無事に帰ってくること」です。前述したように、電灯なども極端に少ない地域ですから、夜が更けると真っ暗なんです。道路の交通量も夜間はほとんどないので、目印になるものが何もなく、不用意に空高く飛び上がってしまうと簡単に迷子になってしまいます。
帰宅時の目印として、空に向けて灯した懐中電灯を家の前の立ち木のてっぺんに括り付けることにしました。少なくとも電池が切れるまでには帰ってくる必要があります。

夜間飛行の始まりです。

スーパーマンやウルトラマンなど、多くのヒーローはまるで水中を泳ぐがごとく地表と平行の姿勢で空中を移動します。空気の抵抗を受けにくいので、高速飛行が可能な姿勢です。ですが、あれはマンだからできるんです。生身の人間にはあれは真似できない。
ヒーローを気取ってあれを試してみてまず感じたのは首が痛くなること。顔の向きが身体に対して直角になりますので、首の後ろが凝るんです。あまり長くは取れない姿勢です。
そして寒さ。時速40キロ程度の体感速度でも、襟や袖など、衣類のすき間から空気がどんどん入り込んできて、体温を奪います。
風は体温を奪うだけではありません。高速飛行時にはシャツの襟から入った空気が裾をはためかせ、風圧でボタンがはじけ飛びます。靴はあっさりと脱げます。驚いたことにズボンも、下着さえも簡単に脱げてしまうんです。手を上に(前に?)伸ばしているのでその分ウェストが細くなり、ベルトに余裕が生じて風が入り、スピードを上げた途端に風をはらんで、あっという間に下半身丸裸。
丸出しで空中に浮かぶ中年男。正真正銘の変態であります。

結局、立ち姿勢のまま飛ぶのが一番自然で楽だということがわかりました。
空中を飛んでいる小虫が目に入るのを防ぐためにオートバイ用のゴーグルをつけ、上半身はウィンドブレーカーを着込み、下半身はジーンズと水田足袋(足にぴったりとフィットして脱げにくい田んぼ用の長靴です)。空を飛ぶときの服装は普段の農作業の時とあまり変わらない、ごく普通の格好であります。
立ち姿勢のままだと空気抵抗を受けますので、ちょっとスピードを出したいときは膝を曲げます。曲げると膝が出っ張って風を切るので、そこばかりが冷えて痛くなる。冷えるのを防止するために手をのせてカバーする。空中で正座しているような、お辞儀しているような、なんとも間抜けな姿勢になります。

というわけで、空を飛ぶというのは、実はあまりカッコ良くないのです。意外と思われるでしょうが。

コメント (6)
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殺されるかもしれない3

2016-11-13 01:36:14 | その他の国々

ガーナで葬儀に参加した私が経験した話、続編です。

「村はずれに知り合いがやっている店があるんだけど、一緒に行かないか?」

と誘ってくれたのは、私と同年配のオジサン。やはり私のクルマの後部座席に乗って来たヒトです。

「野辺送りの連中はまだ帰って来ないよ。暇つぶしにちょっと顔を出して来たいんだけど付き合わないか?」

実際、埋葬には少々時間がかかるようですし、だからと言って葬儀終了前にランチを済ませるわけにもいかない。他にやることも無い身の上でお誘いを断る理由もなく、そしてまたガーナ人とお付き合いするうえで一番大事なのは「軽いノリ」であります。

そんじゃ、行ってみようか。

どうでもいいような話題でおしゃべりしながら、村の中心地を離れ、田舎道を進んで行きます。すぐに道は狭くなり、森が触手を伸ばすように木々の枝が歩行者に迫ってくるようです。隣国トーゴとの境である絶壁も迫っており、雰囲気も暗くなってきました。
さすがに少々不安を感じ、先を行くオジサンの背中に尋ねました。

こんなところにお店があるのかい? 

「あるんだ。もうすぐだから」

こんなところで何を商っているの?

「いや、普通の食堂だよ。もうすぐだから」

お昼ならみんなの分を持って来ているからいらないんだけどな。

「まぁ、行くだけ行ってみようよ。もうすぐだから」

もうすぐ、もうすぐ、と繰り返すオジサン。なんか胡散臭いなー。
その時、背後から声をかけられました。

「よぉ、二人でどこへ行くんだい?」

私の同僚でありました。

いや、このヒトが知り合いの店を紹介してくれるというもんだから。

「もうすぐ野辺送りも帰って来るし、そろそろ戻らないか? すぐ食事になるよ」

同僚の提案にオジサンもあっさり承諾し、今来た道を三人で戻りました。
ほどなく帰ってきた野辺送りのメンバーを迎え、お弔いプログラムの残りの部分も終わり、みんなで昼食をすませて帰路に着き、夕方にはアクラに戻って来ることができました。
翌週、件の同僚と職場で顔を合わせたとき、 

「あの時、危なかったね。あのまま行ってたらきっと殺されてたよ」

えっ? うそ? 確かに雰囲気はおかしかったけど、まさかー。

「あのオトコ、たぶんそのつもりだったよ。あなたを見る目つきが怪しかったので注意して後をつけたんだ」

そうだったのか。気がつかなかったよ。じゃ、助けてくれたんだね。ありがとね。

 しかし、同じクルマで移動してきて、更に直前まで一緒にいたことを多数の人間に目撃されている状況で、しかも軽装で多額の現金も貴重品も身に着けていない外国人を、特に躊躇なく殺害するのでしょうか?
…するんですね、きっと。人目が無い場所での犯行は、どうとでも誤魔化せる。

「知らないヒトについて行っちゃいけないよ」というのは幼少時に両親から言い聞かせられていた、当時の人生の基本事項の一つでありました。幼少時だけじゃない。齢重ねたオジサンになっても大事なことなんだと再認識した出来事でありました。

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殺されるかもしれない2

2016-11-12 10:40:55 | その他の国々

「海外の街は危険なところが多く、治安の良い日本の環境に慣れた我々は外国に行くときは特に気を付けていなくてはならない」
これは現代日本人の常識でありましょう。

ですが、自分が危険な場所にいることを意識している場合、すでにそのヒトは守りの姿勢に入っており、自らに降りかかるかもしれない危険の種類を考え、こういう事態が起こった場合はこう対処しよう、と、ある程度シュミレーションして備えているのではないかと思います。そんな時に、例えばいかにも危害を加えそうな輩が出現した場合、心構えができているためにすぐに逃げられる。危険で要注意として知られている場所では致命的な事件は起きにくいような気がします。

逆に日常の何気ない場面に潜む悪意は性質(たち)が悪い。

10年ほど前、ガーナにいた頃の話。
同僚のひとりが亡くなり、他の多くの同僚たちと葬儀に参列することになりました。ガーナでは葬式は特別な意味を持っています。とても大事なイベントなので、知人が亡くなると万難を排して葬儀に出席することになります。

今回の葬儀はトーゴとの国境に近い故人の出身地で営まれるとのことで、そこへ行くには首都アクラからクルマで数時間の移動。公共の交通機関は便が少なくて非常に不便なので、クルマを持っている参列者に他のみんなが乗せてもらうことになります。私のステーションワゴンにも定員以上の人たちが乗り込むことになりました。同僚だけでなく、その知り合いのヒトタチ、そしてみんなの昼食や飲み物で後部座席も荷台もすし詰めです。クルマの後部に荷重がかかり、そのぶん前部が浮くようで、何となく空に向かって運転するような感覚です。
目的は葬儀という悲しいイベントへの参加ではありましたが、やはり仲間との長距離移動はそれなりに楽しいシチュエーション。退屈になりがちな田舎道の移動を車内のオシャベリがやかましく盛り上げてくれます。
幹線道路を外れて未舗装路をガタゴト走り、ようやく着いた田舎の村。村の背後を固めているようにそびえる岩壁は、隣国トーゴとの境だそうです。そう聞いた途端に、ずいぶん遠くまで来ちゃったように思える。

クルマを降りて、教会に向かいます。我々の到着を待っていたのでしょう、すぐに葬儀が始まりました。
讃美歌を歌い、故人の経歴が紹介され、更に賛美歌を歌い、その他、部族の言葉で進行するためによくわからない式次第が進みます。その後、故人を納めた棺を墓地に埋葬します。棺を乗せたトラックがゆっくりと村を出て行き、親族や教会関係者、それに故人と特に親しかったヒトタチがその後に続きます。野辺送りであります。

我々は村に残って葬列が帰って来るのを待ちます。埋葬後にもう一度教会に集まり、改めてお祈りを捧げた後に閉会するらしい。その後、同じ職場の人間が集まって、持ち寄った弁当を広げて遅めの昼食を済ませ、アクラへの帰路につく予定です。
葬列に参加するほど故人と深いかかわりがあったわけではないヒトタチは所在無げに教会の外に出て、ブラブラしています。「葬儀」という少々特殊な緊張感を持つ集まりが終わった後なので、交わす笑顔も控え目で話し声も低くなる。私のクルマに乗ってきたのに私とは初対面のヒトタチが改めて紹介されたりして、なんだか間抜けなあいさつを交わしたりします。

(この項、続く)

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