時々、ヒトは自然の中で周囲の環境に同化するような気分を味わうことがあるようです。
1970年代から活躍していたオフ・コースというバンドは主に恋愛に関する歌を多く残しておりますが、私が最も感情移入できるのは「潮の香り」という、恋愛をテーマにしていない曲です。
独りで海上にクルーザーを操る夕暮れ時。彼方に見はるかす水平線。一方にはかすかに瞬く港の灯り。自分の周囲には海水の他は何もなく、しかし気分は充実しており、「今の私にこれ以上、何もいらない」と言い切れる状況。
ヨットによる単独太平洋横断を成し遂げた堀江健一氏の手記「太平洋ひとりぼっち」にも似たような描写がありました。心地良いと思えるほどの風に押されて進むヨット。熱い紅茶で満たされたカップを手にデッキに寝そべり、波の上下運動を感じながら満天の星を眺める。非常に満ち足りた気持である、と記されており、そんな満足感を自分もいつか味わってみたいものだ、と、強く憧れておりました。
海男ではない私が自然の中にいることを実感したのは、山での経験でした。
若いころに親しんだ山登りの機会では、普段の街での生活に比べて格段に不自由なはずの山暮らしが何故か楽しくて仕方なく、このままずっとここにいたい、と、しばしば思ったものでした。
1970年代の映画「アメリカン・グラフィティ」や「スパイクス・ギャング」で印象深い演技を見せたのがチャールズ・マーティン・スミス。「いかにも頼りない青年」を演じさせたら天下一品でありました。その彼が大きな成長ぶりを見せたのが「ネバー・クライ・ウルフ」(1983)。それまでの出演作品ではモヤシのような印象しかなかったのに、この映画では一転して、単身で北極圏の大自然に向かい合う男・タイラーを好演しています。画面に映る人間の数がすごく少ない映画で、上映時間のほとんどをタイラーと北極圏の風景を目撃することに費やされる映画です。
「北極圏は雪と氷と樹木だけの世界。自分以外は誰もいない場所。生存するフレッシュ・ミートは自分だけで、その他に動く者は捕食者である狼だけだ」
オオカミとカリブー(ヘラジカ)の関係を調査する依頼を受けた生物学者タイラーは、調査地に赴く際に脅されるような説明を受けます。チャーターした小型機(操縦士がブライアン・デネヒー!)で移動した僻地で、色々と苦労しながらもイヌイット族の男・ウテックに助けられ、観察対象である狼とも良好な関係を築き、極限の地での野外生活にだんだん慣れていきます。
うまくテントを設営した時の満足感、焚火を熾し、昇り来る満月を愛でながら熱いコーヒーを飲む。大いに共感できる場面でありました(その直後に聞こえたオオカミの遠吠えに一気に不安になるところも共感できましたが)。
撮影監督を務めたのは日系人のヒロ・ナリタです。遠近感豊富なスチール写真のように美しいシーンが各所にあり、登場人物は少ないのに充足感のある画面で物語がつづられていきます。
映画の終盤近く、山中に降り続く雪の中で、呼応するオオカミの遠吠えを探してバスーンを吹くタイラー。そのシーンに私は、孤独を心から楽しむ男の、非常に満ち足りた雰囲気を感じました。
Solitude in youth is beautiful.
Solitude in old age is joyous.
-Weekend Strummer