Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

キャニオニング

2019-12-25 10:54:00 | その他

キャニオニングをご存知ですか? 

私は友人に誘われて体験することになるまで知りませんでした。
キャニオニングとカタカナ表記ですが、その内容は要するに川遊びです。急流に身を任せて波に揉まれてみたり、滝つぼに飛び込んでみたり、幼い頃に熱中したような川遊び。
当時はこんなことが商売になるとは思いもしませんでしたが、現代は多くの老若男女が集い、およそ2時間6000円の冒険を楽しみます。
子どもの頃は海パンいっちょで思うがままのカッパカワタロウでありましたが、大人になった今は身体が大きく育ち、流れに身を任せようとしても浅めの瀬では川底に引っ掛かって進まなかったり、柔軟性が落ちたせいで流れにうまく乗れなくなっていたりします。いろいろと生じている障害や危険性をウェットスーツやライフジャケット、ヘルメットなどを身に纏うことで軽減し、更にはツアーガイドに案内されながら進む川遊びです。

ある秋浅い日、私が参加したのは群馬県内利根川水系の急流コースでありました。

幼少時の川遊びを単になぞるだけでは大人の遊びにはならないので、ツアーガイドが適当にハードルを上げます。
ツアー開始直後は「緩やかな流れにあおむけになって身体を浸し、空を見上げながらのんびり流れよ」なんていう、とても易しい課題から始まります。後頭部を水に着け、鼓膜に直接響くチャプチャプ音を感じながら流れにかぶさるように生える木々の葉裏を見上げつつ、水とともにゆっくり移動するのは心地よい体験でした。
しかし川幅狭く急流になっている箇所に差し掛かるあたりから課題の難易度は高くなります。それでも「川底の岩が滑らかに磨かれているので、空飛ぶスーパーマンのごとく腹ばいになって速やかに流れよ」はまだ良かった。高低差15メートルの滝の途中から一人づつ落とされた時は、さすがにビビった。
滝の高さも怖かったけれど、最も不安だったのは着水直前に満足に息が吸い込めなかったこと。出発前に安全確保のためにツアーガイドが二人がかりでコレデモカ!とストラップを締め上げるので、ライフジャケットは絶対に脱げないようになっているのですが、そのぶん胸が締め付けられて空気が入ってこないのです。水中で小規模なパニックを経験しました。

その後も遊んでいるんだか修行をしているんだかわからないセクションがいくつか続き、最後の難所である滝では「滝つぼの形状がちょうど良いので安心してあおむけになってアタマから真っ逆さまに流れ落ちてゆくべし」という無理難題が提示されました。
その滝は高低差は3メートルほど、と言われましたが、上から下を覗きこむと大量の水が一気に落ちてゆく轟音と周囲に飛び散るしぶきの迫力からか、その倍以上の高低差があるように思えました。
滝の上で上流を向いたまま尻を着くと、ガイドが胸倉をつかんで確保してくれます。姿勢を安定させて覚悟を決め、合図をするとガイドが手を放し、真っ逆さまに落ちて行って無事に入水、となるのですが、私の場合上半身にボリュームがあるせいか、流れの中で尻を着くと胸と腹を押す水圧に負けて腰が引け、全然姿勢が安定しないんです。
こんな不安定な姿勢のまま滝に落ちることが怖くて、一生懸命姿勢を正そうとするのですが川の流れは弱まることなく一定の力で上半身を押し続けるため、焦るばかりで全然姿勢は変わらない。

「もう放すよ? いいか?」

私の重い体重を支えるのに疲れてきたガイドが問いかけてきます。

いや、ちょっと待って。姿勢が定まらなくて…。

「ちょっと待ってじゃなくて、もう放しちゃうよ!」

私を支えていることが辛くなってきたのでしょう、ガイドの表情もかなり険しいものになっています。ガイドの方が体格が小さいのですから、無理もない。

 そのとき私は「つまりこうやって死んでいくのだ」という、ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」の主人公のセリフを思い出していました。

私も自分の死期というものをなんとなく意識する年齢になりました。

自分が死ぬときはやり残したことが無いように、あとに残るヒトたちが困らないように、万全を期して死にたいと思ってはおりますが、きっとそんな風にうまくいくわけはなくて、いろんなやり残しや、多くの迷惑を散らかしたまま、あっさり死んでしまうのだと思います。私の場合、偶然の産物以外、きれいに死ぬのは至難の業でありましょう。
今、水の中で焦っている私は、やり残した雑事の流れに身を揉まれながら、まさに死を悟った時の自分を象徴する姿ではありますまいか。
急流の中で姿勢が定まらないのは背筋が弱いせいだし、上半身が水の抵抗を受けるのは飽食嗜好によるボリューム過多のせいです。全部自分のせいなんです。
無駄な食欲に負けず自分を律し、背筋を日々鍛えておきさえすればこんな時にでも下流に頭を向けて姿勢を安定させ、きれいに不安なく水に飛び込むことができたはずなのに。

しかし今となっては全て遅すぎる。やり直す時間はもうないのです。

無理な姿勢の変更をあっさりあきらめて、わかりました。このまま死にます。という気持ちで合図を出し、なぜか合掌し、私はあの世めがけて滝つぼに落ちていったのでした。

 

コメント
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