中学生の頃、女子のクラスメイトからマンガを借りたことがあります。いわゆる「少女マンガ」と呼ばれるジャンルのもので、彼女たちは数多く出版されるマンガ雑誌を分担して購入し、仲良しグループ内で貸し借りをして回し読みしていたのでした。
ある日、休み時間中に隣の席の女子の机の上に置いてあった別冊マーガレット(以下、別マ)をなんとなく手に取って読み始めたらこれがすごく新鮮で面白かった。読み慣れた少年マンガとは全く異なる面白さがあったんです。主人公が女性になると、こんなにもストーリーの視点や展開が変わるのか。その面白さに読み始めたら止まらなくなってしまい、
すまないけど、これ貸してくれない?
と持ち主に頼んで、自宅に持ち帰って読み進めました。
別マは月刊誌で、掲載されている作品のほとんどがその号だけでストーリーが完結する、いわゆる「読み切り」です。なので少女マンガビギナーである私にも読みやすかった。
ストーリーの大半は恋愛ものでした。主人公の女の子がカッコ良い男子に惹かれるが、二人の間にはたいてい何らかの障害があって男子の気持ちが主人公に向かなかったり、それを何とかしたりしなかったりというものが多かったようです。ギャグやアクションがほとんどであった少年マンガとは違い、ヒトの気持ちの動きの詳細を描写する少女マンガにはなんだか高尚な趣きを感じました。
その一冊をひととおり読み終わった後は何か中毒のようになってしまい、翌月から彼女たちの回し読みグループの最後尾に加えてもらうことになりました。その後はほぼ毎月、別マを読む習慣がついたのです。
周囲の男子生徒には私のように少女マンガに興味を持つ者はいなかったように記憶しています。ですが、私は特に恥ずかしく感じることなく、むしろ、この少女マンガの魅力を知らず、今や私にとっては単純・幼稚としか思えない少年マンガばかり読んでいる周囲の友人たち(男子)を憐れむような余裕さえ生じておりました。
当初、高尚な趣きを感じさせた少女マンガでありますが、ちょっと読み込んでみると登場する男性キャラクターの行動がおかしい場面がところどころあることに気づきました。我々男性が実生活で同様の境遇に置かれた場合、こうは行動しないだろう、と思える行動パターンが散見でき、その不自然さの印象が後々まで響いてしまう。我慢して読み進めても、その人物キャラに最後まで共感できなくて気持ち悪い読後感となる場合が多々ありました。
これは女性漫画家が創造した男性キャラクターであるがゆえに生じる不自然さなんだろうと想像します。逆に、作者読者を含め多くの女性たちは男性にこのような行動を求めているのだ、と考えれば、女性の思考パターンを読むのに使える良い参考書となりました。
当時読んだ作品の中で特に好きだったのが「くらもちふさこ」という作家の一連の作品でした。その中でも、主人公はじめ主要キャラクターが私とほぼ同年代だった「おしゃべり階段」が印象深かった。
連載中盤の1シーン。
主人公・森本加南(もりもと かな)の学校で開催されるバスケットボールの試合に出場するため、加南の片思いの相手である中山手線(なかやまて せん)が他校から訪問します。敵チームの応援団でさえ褒めるほどの見事なプレイを連発する線を見つめ、加南が心の中で発するセリフ。
「みんな あの人があたしの好きな人よ」
くーっ! いいなぁ、コイツ―!
当時、自分もバスケットボールに熱中する高校生だった私には身をよじるほどにうらやましい境遇でありました。
「俺もこう思われる男になるぞ!」と静かに決意したけど、おっと我が校は男子校だった。
出典:MARGARET COMICS