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Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

カズオ・イシグロの「私を離さないで」

2015-11-21 12:26:39 | その他

カズオ・イシグロは長崎県に生まれ、しかし幼少時に移り住んだイギリスで人生の大半を過ごしている作家です。
彼の、イギリスを舞台にした作品には、やはり日本人としての基礎がフィルターになるせいか、我々日本人がイギリスに対して抱く「イギリスらしさ」がさりげなく濃縮されているような気がします。そういう意味では分かりやすく、また主人公の「です・ます」調の独白形式で進む物語にもやさしい印象があって、読む側の気持ちが物語に馴染みやすい。

「私を離さないで」も、やはりイギリスを舞台にした小説で、臓器提供用に作られたクローン人間たちの苦悩が描かれています。
イギリスらしい落ち着いた静けさを感じさせる寄宿制の学校で育つ子供たちは実はクローンで、クライアントの健康に不具合が生じた時に必要とする臓器を提供するため、教師(保護官)たちによって管理されて生活しています。
自分たちが臓器提供者であることを自覚している子供たちは、それぞれが抱える複雑な不安とともに成長してゆき、成長するにしたがって、これも複雑に発展してゆく人間関係が丁寧に描かれています。
主人公はクローンでありながら臓器提供はせず、他のクローンの介護人として働くことになった女性です。キョウダイのように一緒に育った臓器提供用のクローンたちは臓器を取られて弱っていく。彼らの世話をし、その最期をも看取らなくてはならない重い業務を繰り返す主人公。その主人公の目の前で、かけがえのない友人たちは一人、また一人とその役目を終えて死んでいきます。彼らを見送るたびに、主人公もまた身体の一部を切られたかのように疲労し、弱体化していきます。
恋人のような関係にあったクローンが死んでしまった物語のラストで、主人公は耕されたばかりで何も植わっていない畑を前に立ちつくします。育つ作物の無い畑を囲う鉄条網に絡みつく様々なゴミは、まるで彼女が経験した空虚な人生の儚(はかな)い思い出のように風にはためくのでした。

同じ様にクローンによる臓器提供が題材になっているのがアメリカ映画「アイランド」。「私を離さないで」が出版されたのと同じ年(2005)に公開されています。
臓器提供用(女性クローンは代理出産用としても利用)のクローンが隔離された施設で管理されている、というのは「私を離さないで」と同じ設定。違うところは、クローンたちが自分の役目を全く知らされていないこと。大事な自分の身体の一部を「提供」するなんて考えもせず、清潔に管理された施設の居心地の良さに浸るように生活しています。のほほん。
しかし偶然、事実を知った主人公(クローン)はその運命を受け入れられず、自由を手に入れるために脱走します。その後はハリウッドお得意の派手なアクションシーンが展開してゆきます。

「私を離さないで」の主人公たちも献体用のクローンという、ほぼ同じ立場にありますが、登場人物は皆一様に達観しており、臓器提供も社会に求められた役割として(非常に苦しみながらも)受け入れている。
先の大戦末期、九州の飛行場から出撃する特攻隊員は、みんな例外なく穏やかな表情で飛び立っていった、という話を聞いたことがありますが、それを連想させます。

生に執着する「アイランド」に対して、「私を離さないで」には死に甲斐(社会に貢献できる個人的な機能)を求める日本人的な態度が表れているような気がしました。

以前ご紹介した「最高の人生の見つけ方」とクロサワの「生きる」の比較にも、通じるところがあるような気もします。

コメント (2)
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