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Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

モザンビークの「フランゴ・ザンベジアーナ」

2016-11-30 04:18:30 | モザンビーク

アフリカ大陸南部の国、モザンビークに来ています。

1975年までポルトガル領だった国で、そのせいかアフリカにしてはレストラン等で供される料理が洗練されているような気がします。

私が滞在しているのはザンベジア州というところなのですが、ここにはフランゴ・ザンベジアーナという、ソースで味付けした地鶏(ぢどり)を炭火でじっくり焼いた郷土料理があり、これがすごくおいしいんです。皮はパリパリと香ばしく、中の身はしっとりシコシコの噛み応え。スープと炭火焼という違いはありますが、以前ご紹介したケニヤのクク・キベラに匹敵するうまさです。

どんなふうに料理するんだろ? 

興味に駆られて、グリルに観察しに行きました。
椰子の葉影に設えたグリルには、ヒゲの濃い、見た目からして暑苦しそうな料理人が汗を流しながら働いていました。
下味をつけたチキンをじりじりと焼きます。焼きながら、ときどき刷毛でソースを塗るのですが、このソースがちょっと不思議。塗った直後はとろみがあり、白濁していますが、焼き上がるころにはところどころ透明化してゼラチンのようになります。まろやかな酸味を含むその味はマヨネーズのようでもあり、ヨーグルトのようでもあり。味を探るとどこかにココナツの風味とレモンのさわやかさも感じられ、なんだか繊細でオシャレな感じ。

同じ皿に載っているのはシマ。ケニヤのウガリに似た主食です。
メイズの粉を炊いたものなので、同じと言えば同じですが、これは違うものですね。断じてウガリではない。
アフリカ南部に在住する日本人がケニヤを訪問してウガリを食べると、こぞって「シマの方がウマイ」とおっしゃるのですが、なるほどウガリよりも肌理(きめ)が細かくて舌触りがスムースです。マッシュド・ポテトのよう。
ですが、ウガリのような甘みやコクに乏しい。炊く前にしつこく研ぎ過ぎたコメのように味気ない。
トマトソースをかけて食べるのですが、それはそうでしょう。そのまま食べたら味に乏しく、はっきり言っておいしくないのです。二者を食べ比べれば、私の軍配はウガリに上がります。高々と。

・・・これは身内びいきでしょうか? もしくは縄張り根性かな?

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殺されるかもしれない3

2016-11-13 01:36:14 | その他の国々

ガーナで葬儀に参加した私が経験した話、続編です。

「村はずれに知り合いがやっている店があるんだけど、一緒に行かないか?」

と誘ってくれたのは、私と同年配のオジサン。やはり私のクルマの後部座席に乗って来たヒトです。

「野辺送りの連中はまだ帰って来ないよ。暇つぶしにちょっと顔を出して来たいんだけど付き合わないか?」

実際、埋葬には少々時間がかかるようですし、だからと言って葬儀終了前にランチを済ませるわけにもいかない。他にやることも無い身の上でお誘いを断る理由もなく、そしてまたガーナ人とお付き合いするうえで一番大事なのは「軽いノリ」であります。

そんじゃ、行ってみようか。

どうでもいいような話題でおしゃべりしながら、村の中心地を離れ、田舎道を進んで行きます。すぐに道は狭くなり、森が触手を伸ばすように木々の枝が歩行者に迫ってくるようです。隣国トーゴとの境である絶壁も迫っており、雰囲気も暗くなってきました。
さすがに少々不安を感じ、先を行くオジサンの背中に尋ねました。

こんなところにお店があるのかい? 

「あるんだ。もうすぐだから」

こんなところで何を商っているの?

「いや、普通の食堂だよ。もうすぐだから」

お昼ならみんなの分を持って来ているからいらないんだけどな。

「まぁ、行くだけ行ってみようよ。もうすぐだから」

もうすぐ、もうすぐ、と繰り返すオジサン。なんか胡散臭いなー。
その時、背後から声をかけられました。

「よぉ、二人でどこへ行くんだい?」

私の同僚でありました。

いや、このヒトが知り合いの店を紹介してくれるというもんだから。

「もうすぐ野辺送りも帰って来るし、そろそろ戻らないか? すぐ食事になるよ」

同僚の提案にオジサンもあっさり承諾し、今来た道を三人で戻りました。
ほどなく帰ってきた野辺送りのメンバーを迎え、お弔いプログラムの残りの部分も終わり、みんなで昼食をすませて帰路に着き、夕方にはアクラに戻って来ることができました。
翌週、件の同僚と職場で顔を合わせたとき、 

「あの時、危なかったね。あのまま行ってたらきっと殺されてたよ」

えっ? うそ? 確かに雰囲気はおかしかったけど、まさかー。

「あのオトコ、たぶんそのつもりだったよ。あなたを見る目つきが怪しかったので注意して後をつけたんだ」

そうだったのか。気がつかなかったよ。じゃ、助けてくれたんだね。ありがとね。

 しかし、同じクルマで移動してきて、更に直前まで一緒にいたことを多数の人間に目撃されている状況で、しかも軽装で多額の現金も貴重品も身に着けていない外国人を、特に躊躇なく殺害するのでしょうか?
…するんですね、きっと。人目が無い場所での犯行は、どうとでも誤魔化せる。

「知らないヒトについて行っちゃいけないよ」というのは幼少時に両親から言い聞かせられていた、当時の人生の基本事項の一つでありました。幼少時だけじゃない。齢重ねたオジサンになっても大事なことなんだと再認識した出来事でありました。

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殺されるかもしれない2

2016-11-12 10:40:55 | その他の国々

「海外の街は危険なところが多く、治安の良い日本の環境に慣れた我々は外国に行くときは特に気を付けていなくてはならない」
これは現代日本人の常識でありましょう。

ですが、自分が危険な場所にいることを意識している場合、すでにそのヒトは守りの姿勢に入っており、自らに降りかかるかもしれない危険の種類を考え、こういう事態が起こった場合はこう対処しよう、と、ある程度シュミレーションして備えているのではないかと思います。そんな時に、例えばいかにも危害を加えそうな輩が出現した場合、心構えができているためにすぐに逃げられる。危険で要注意として知られている場所では致命的な事件は起きにくいような気がします。

逆に日常の何気ない場面に潜む悪意は性質(たち)が悪い。

10年ほど前、ガーナにいた頃の話。
同僚のひとりが亡くなり、他の多くの同僚たちと葬儀に参列することになりました。ガーナでは葬式は特別な意味を持っています。とても大事なイベントなので、知人が亡くなると万難を排して葬儀に出席することになります。

今回の葬儀はトーゴとの国境に近い故人の出身地で営まれるとのことで、そこへ行くには首都アクラからクルマで数時間の移動。公共の交通機関は便が少なくて非常に不便なので、クルマを持っている参列者に他のみんなが乗せてもらうことになります。私のステーションワゴンにも定員以上の人たちが乗り込むことになりました。同僚だけでなく、その知り合いのヒトタチ、そしてみんなの昼食や飲み物で後部座席も荷台もすし詰めです。クルマの後部に荷重がかかり、そのぶん前部が浮くようで、何となく空に向かって運転するような感覚です。
目的は葬儀という悲しいイベントへの参加ではありましたが、やはり仲間との長距離移動はそれなりに楽しいシチュエーション。退屈になりがちな田舎道の移動を車内のオシャベリがやかましく盛り上げてくれます。
幹線道路を外れて未舗装路をガタゴト走り、ようやく着いた田舎の村。村の背後を固めているようにそびえる岩壁は、隣国トーゴとの境だそうです。そう聞いた途端に、ずいぶん遠くまで来ちゃったように思える。

クルマを降りて、教会に向かいます。我々の到着を待っていたのでしょう、すぐに葬儀が始まりました。
讃美歌を歌い、故人の経歴が紹介され、更に賛美歌を歌い、その他、部族の言葉で進行するためによくわからない式次第が進みます。その後、故人を納めた棺を墓地に埋葬します。棺を乗せたトラックがゆっくりと村を出て行き、親族や教会関係者、それに故人と特に親しかったヒトタチがその後に続きます。野辺送りであります。

我々は村に残って葬列が帰って来るのを待ちます。埋葬後にもう一度教会に集まり、改めてお祈りを捧げた後に閉会するらしい。その後、同じ職場の人間が集まって、持ち寄った弁当を広げて遅めの昼食を済ませ、アクラへの帰路につく予定です。
葬列に参加するほど故人と深いかかわりがあったわけではないヒトタチは所在無げに教会の外に出て、ブラブラしています。「葬儀」という少々特殊な緊張感を持つ集まりが終わった後なので、交わす笑顔も控え目で話し声も低くなる。私のクルマに乗ってきたのに私とは初対面のヒトタチが改めて紹介されたりして、なんだか間抜けなあいさつを交わしたりします。

(この項、続く)

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