自分が空を飛べることに気が付いたのは、今から20年以上も前のことになります。
当時、私はスリランカのものすごい僻地に住んでおりました(どのくらいすごい僻地かというと、人口よりもたぶん野生の象の数のほうが多く、また、昼間、仕事に行っている間に野生の猿が家宅侵入してテーブル上にオピッコしていってくれるほどの僻地です)。
当時、生後1年に満たない赤ん坊だった娘を、そんなすごい環境下に連れていけるほど私の肝っ玉は太くなかった。妻子は島の中央部にある街・キャンディに住まわせ、私はそこに週末だけ帰る金帰月来システムでした。
20年前のスリランカといえば国内紛争真っ盛りの頃で、テロ行為が頻発していた街の暮らしと、象や猿が群れる野生の王国のどちらが危険だったかは意見の分かれるところではありますが。
僻地では日没後、辺りは真っ暗になります。視界に灯りは皆無で、そのかわり晴れていれば夜空の星がきれいに見え、それが家の前にある貯水池の水面に反射して、なんとも幻想的な夜景を楽しむことができました。
ある月明かりの無い晩のこと、いつものように家の前で星空を眺めておりました。
子供のころ、夜空を見上げてジャンプすると単純に面白かったことを思い出し、垂直飛びをするようにジャンプしてみました。普通、ジャンプしたときは地面を見ながら着地しますが、星空を見上げる姿勢のまま着地すると、ほんの僅かに、星が近づいたり遠ざかったりするように見えるんです。
久しぶりの感覚が妙に面白くて、周囲に誰もいないのをいいことに、私は子供のように上向きジャンプを何度も繰り返しました。少々息が切れるほど(回数にして30回くらいでしょうか)繰り返してジャンプしていた時、星が近づく感覚がいきなり強まり、視界がゆがむような感覚に襲われ、思わず下を見ると自分が宙に浮いていることに気が付きました。足の裏が地面と接していないのです。
驚愕。
えーっ? という大声が自然に口から出ました。
衝撃を受けてはおりますが、宙に浮くというのは身体のどこにも何の圧力も感じていない状態なので、どこか無責任な、他人事のような衝撃でした。
驚いた拍子にちょっとのけぞったせいでしょうか、直立していた姿勢が崩れて宙に浮いたまま傾いてしまいました。一度傾いてしまうと元に戻せません。なぜ自分が浮いているのかわからず、したがって態勢を変えるためにはどこにどんな力を入れれば良いのか、見当がつかないんです。もちろん着地することさえもできず、私は傾いたまま浮いておりました。
これは困った。宙に浮く、という前代未聞の体験をしている興奮などはなく、ただひたすら困ってしまった。オジサンの垂直飛びですから、ほんの数十センチの高度(というか低度)なのですが、着地できないまま、というのは何も拠り所がなく、不安で苦しいほどです。助けを呼ぼうにも周囲には誰もいませんし。
その晩は時間はかかりましたが徐々に高度を下げることができ、足が地面に着くようにはなりました。しかし体重が完全に戻ることはなく、後ろに傾いた変な姿勢のまま、足で地面を蹴るように移動して屋内に入って戸締りをし、就寝中にこれ以上浮遊しないように、ベッドの足にくくりつけた細引きをウェストに回してもやい結びで確保して眠りました。
幸いにも、翌朝目覚めたときには私の体重は元に戻っておりました。文字通り地に足を着けて普通に生活することができるようになっており、安心したものです。
それからは、周囲に人目がないのを良いことに、宙に浮く練習に熱中しました。これは新たに授かった不思議な力なのかもしれません。もしそうならば、何かの拍子にまた浮いてしまうかもしれず、そうなる前にコントロールできるようにしておこう、と思ったんです。もちろん「人目がない」とは言っても、まったく誰もいないわけではないので、練習は室内限定です。
まずは寝室で数十回のジャンプを繰り返し、身体を浮かせます。宙に浮くことができたら、姿勢を保つ方法を習得し、次に高度を思いのままに上げ下げする練習をし、その後、水平方向に移動する練習に移りました。
それぞれの移動方法に違う種類のコツがあり、なかなか思い通りに飛ぶことができず、もどかしい。最も難しかったのは「弧を描いて移動する」という、いかにも飛行しているような空中移動法で、これを習得するのは時間を要しました。最終的にはスキーのボーゲンの要領を応用することで、きれいな弧を描くことができるようになりました。
自分の身体を移動させるのですから疲れるのは当たり前ですが、普通の体育的な運動で生じる疲労とは違う種類の疲れを感じ、根を詰めて練習した後しばらくは横になって休む必要がありました。
十分に室内練習を積んだ後、屋外での飛行訓練に移りました。やはり他人に目撃されると面倒なので、もっぱら夜間飛行ばかりです。
夜間飛行で気を付けるべきは「無事に帰ってくること」です。前述したように、電灯なども極端に少ない地域ですから、夜が更けると真っ暗なんです。道路の交通量も夜間はほとんどないので、目印になるものが何もなく、不用意に空高く飛び上がってしまうと簡単に迷子になってしまいます。
帰宅時の目印として、空に向けて灯した懐中電灯を家の前の立ち木のてっぺんに括り付けることにしました。少なくとも電池が切れるまでには帰ってくる必要があります。
夜間飛行の始まりです。
スーパーマンやウルトラマンなど、多くのヒーローはまるで水中を泳ぐがごとく地表と平行の姿勢で空中を移動します。空気の抵抗を受けにくいので、高速飛行が可能な姿勢です。ですが、あれはマンだからできるんです。生身の人間にはあれは真似できない。
ヒーローを気取ってあれを試してみてまず感じたのは首が痛くなること。顔の向きが身体に対して直角になりますので、首の後ろが凝るんです。あまり長くは取れない姿勢です。
そして寒さ。時速40キロ程度の体感速度でも、襟や袖など、衣類のすき間から空気がどんどん入り込んできて、体温を奪います。
風は体温を奪うだけではありません。高速飛行時にはシャツの襟から入った空気が裾をはためかせ、風圧でボタンがはじけ飛びます。靴はあっさりと脱げます。驚いたことにズボンも、下着さえも簡単に脱げてしまうんです。手を上に(前に?)伸ばしているのでその分ウェストが細くなり、ベルトに余裕が生じて風が入り、スピードを上げた途端に風をはらんで、あっという間に下半身丸裸。
丸出しで空中に浮かぶ中年男。正真正銘の変態であります。
結局、立ち姿勢のまま飛ぶのが一番自然で楽だということがわかりました。
空中を飛んでいる小虫が目に入るのを防ぐためにオートバイ用のゴーグルをつけ、上半身はウィンドブレーカーを着込み、下半身はジーンズと水田足袋(足にぴったりとフィットして脱げにくい田んぼ用の長靴です)。空を飛ぶときの服装は普段の農作業の時とあまり変わらない、ごく普通の格好であります。
立ち姿勢のままだと空気抵抗を受けますので、ちょっとスピードを出したいときは膝を曲げます。曲げると膝が出っ張って風を切るので、そこばかりが冷えて痛くなる。冷えるのを防止するために手をのせてカバーする。空中で正座しているような、お辞儀しているような、なんとも間抜けな姿勢になります。
というわけで、空を飛ぶというのは、実はあまりカッコ良くないのです。意外と思われるでしょうが。