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Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

蚊の進化

2010-06-28 00:12:02 | その他の国々
蚊はヒトや他の動物から吸血します。
血液は体外に出ると凝固してしまうので、蚊は凝血を妨げるためにヒトの体内に唾液を注入してから吸血します。我々が感じる痒みの原因は、この唾液という異物に対する人間のアレルギー反応なんだそうです。
痒みのつらさから、よく「痒みさえなければいくらでも蚊に血を吸わせてやるのに」などと言うヒトがいますが、蚊の方も可能であればヒトに痒みを感じさせずに吸血したいと考えているはずです。ヒトに気づかれずにコッソリと吸血できれば、叩き潰される確立は激減しますもの。
そのため蚊は唾液成分を変化させて、できるだけヒトのアレルギー反応が起こらないように工夫しているんだそうです。
そうだとすると、蚊の吸血行為はヒトにとってどんどん痒くない方向に向かい、双方にとって平和になるかと思われますが、しかし蚊は吸血するだけでなくマラリヤや脳炎やデング熱などの病気も媒介するのです。
ですから、痒くなけりゃ血を吸わせて良いってわけじゃないんで、我々も蚊の唾液には常に敏感であるべきなんです。人間は痒みを感じることで、蚊から我が身を守っているのですから。

蚊は唾液成分を変化させることで進化し、ヒトは敏感にアレルギー反応することで対応する。
一方の働きかけにもう一方が反応する、ということだけに注目すれば、これは一種のコミュニケーションの様でもあります。

ラオスに来る前の話。
西アフリカのガーナに長期間滞在したあと、日本に帰国しました。
その時の関東地方はまだ蚊が生息する季節であったため、知らないうちに何箇所も蚊に刺され、腕や足に相当の数の吸血痕が赤く浮き出て来ました。しかし、不思議なことにまったく痒みを感じませんでした。
ガーナの蚊と日本の蚊では唾液成分が異なるのだと思います。ガーナ滞在中、彼の地の蚊の唾液に対して敏感に対応していた私の身体は、日本の蚊には無防備になってしまったのでしょう。

長期の外国暮らしの後、母国・日本が遠い存在に感じられるようになり、情けないことにそこに生息する蚊とのコミュニケーションも成立しなくなってしまった。
私は本当に日本人なのかー?
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俺にかまうと後悔するぜ。その2

2010-06-16 00:24:41 | オカルト
スリランカの幽霊屋敷で私が啖呵を切るハナシ、続編です。

啖呵を切ったその日から霊障が始まりました。向こうも生前イジメッコだったようで、その気になっちゃったみたいなんです。
ただ、さすがイジメッコだけあって、やり口がかなりセコい。

その日からゴハンに小石が混じるようになって、毎食不愉快な口当たりに悩まされました。

ある夜、私がトイレで沈思黙考していると、いきなり照明が消えました。暗闇。
トイレで真っ暗にされるとものすごく怖いです。オケツ丸出し状態で無防備ですし。
それに、ちゃんと拭けているか目視確認できないのですごく不便 (この場合、不便ならむしろ問題ないんですが・・・)。

照明関係では、シャワー中、シャンプーをすすいでいる最中に電気を消されたこともありました。すすぎの際は当然目をつぶっているわけですが、すすぎ終わって目を開けても真っ暗なんです。コレ、相当ビックリします。
安物シャンプーが目に入って失明したのか、と本気で思いましたもん。

また、別の夜、キッチンの冷蔵庫にビールを取りに行った時。
私の他には誰もいないはずの静かなキッチンでいきなり水道蛇口が開いてダーっと水が出てきました。
自分の身体の中で、血の気が引くときの「サーッ」という音が聞こえました。
極度に驚くと息が入ってくるばかりで逆に声は出ないものだ、と知りました。
水を出しっぱなしにしておくわけにもいかないので、震える手を伸ばして触りたくない蛇口をひねって水を止め、寝室に逃げ戻る。足に力が入らなくて、よたよたしてしまう。
ドアを閉めてすぐに施錠。

な、なんなんだよー、いったいー。

ラジオのスイッチをひねり、何を言っているのかサッパリだけど、とりあえず陽気な雰囲気のシンハラ語の深夜放送で怖さを紛らわす。ビールを忘れてきてしまったので、部屋にあるウィスキーをラッパ飲みする。こういうときは強い酒の方が頼もしい。
部屋の照明と意味不明ながらもにぎやかなオシャベリに元気づけられ、また徐々に体内に蓄積してゆくアルコールの作用で気分が落ち着いてきました。もちろん、まだ怖いんだけど。

しかし、やり方がセコすぎやしねーか?
電気消したり、蛇口ひねったりして脅かすなんて。
まるでガキのイタズラじゃねーか。

改めて考えてみたら、コケにされているようでだんだん腹が立ってきました。
アルコールに含まれる「勇気成分」がアセトアルデヒドと融合して「怒気」となり、私のイジメッコ根性が化学反応を起こして肥大。
ヒトコト言ってやらなくちゃ腹の虫が治まらない。こぶしを固めて椅子から勢いよく立ち上がりました。が、寝室から出てゆくほどの勇気はないので、施錠したままのドアに向かって、

こんのヤローっ! オメー、心底うっとーしーんだよっ!
俺が死んだら絶対イジメてやっかんなー! 覚えてろー、バーカ!

と、怒鳴りました。

その途端!
寝室のドアのノブがガチャガチャと音を立てて回ったのです!
ドアの向こうには誰もいないはずなのに、ドアを開けようとする何者かがいるんです!
ノブを回す勢いには、あきらかに私の発言に対する強い怒りが含まれておりました。
一気に酔いが醒めました。血の気が引く音を再び耳にしました。

うわああああああ! ごめんなさーい!
死んでも仕返しに来ないからー、もう許してくださーい!

と、ベッドに突っ伏して泣きながら許しを乞う私でありました。
コメント (2)
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俺にかまうと後悔するぜ。

2010-06-13 00:00:19 | オカルト

おかしな雰囲気を感じることがあります。その大半は臆病者の勘違いだと思いますが、本人は「霊的な何かの気配である」と確信しています。
そんな時、私は心の中でささやくように啖呵を切ることにしています。
「俺ぁガキの時分からイジメッコだったんだよ。俺に何かチョッカイ出すつもりなら、覚悟しとけよ。死んであんたと同じ立場(霊)になったら、俺は絶対あんたのことをイジメに来っかんな」
ちょっと凄むんです。通じるのかどうかわかりませんが、不思議に気配が無くなり、気分も楽になることが多い。

1990年代半ば。スリランカに住んだときのこと。
農業関係の仕事をしているために勤務地は地方であることが多く、その時の赴任地は島の東北部にある農場でありました。周辺地域は人口密度が低く、商店も少なく、とても不便な土地だったので、妻と当時まだ0.9歳だった娘は島の中央部の街・キャンディに借りた家に住まわせ、私は週末だけ農場からキャンディに移動するというパターンになりました。いわゆる「金帰月来」というやつです。

農場近くにあてがわれた住居はとても大きなものでした。敷地面積が2000㎡くらいあったでしょうか。その地域の開発を担当する省の大臣が開発状況を視察する際、滞在するために作られた家だそうです。しかし私が借り受けた当時、すでに大臣による視察の頻度は極度に減り、管理人が時々掃除をしに来る以外、誰も立ち入らない家でした。
敷地の半分以上をうっそうとした暗い雑木林が占め、平屋の住居は清潔に保たれてはおりましたが、なんだか薄暗くて変な雰囲気。屋内が変に湿っぽいのです。

でも、当初はあまり気になりませんでした。そんな広い空間を独り占めできるなんて初めての経験でしたから、私は少々浮かれ気味だったんです。
一番大きな主寝室を寝室兼書斎として使うことにして、ベッドと机と本棚を運び入れ、照明も増やして雰囲気を明るくしました。改善に努めたおかげでそれなりに明るく快適な部屋となり、夕食後のほとんどの時間をそこで過ごすことになりました。
使用人を一人雇って細々とした家事をまかせ、かなり快適な生活が始まったかに思えました。

でも、やっぱり嫌な気分が抜けないんです。
で、前述の啖呵を切ったんです。なんか悪さするつもりなら覚悟してかかって来いよな、と。
そしたらすごかった。いきなり霊障が始まったんです。

(この項続く)

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五つの銅貨

2010-06-07 00:13:15 | 映画の話



1959年のアメリカ映画です。
コルネット(小型のトランペット)の名奏者レッド・ニコルズの半生を、主に家族との関係を軸に描いた作品。ダニー・ケイが主人公レッド・ニコルズを、家庭に笑いを絶やさない優しい父親として好演しています。
主人公には小児麻痺を患う最愛の娘がおります。劇中の父娘のやり取りが幸せそうでとても微笑ましく、この映画の大きな魅力になっています。
名場面のひとつが、歩けない娘の足に湿布処置を施すシーン。湿布の熱さに耐えられず泣き声をあげる幼い娘をジョークで笑わせるのですが、コレがほんとにおかしい。特に「逆さ泣き」は必見。

私がこの映画を初めて観たのは12歳の時。テレビの洋画番組で観ました。この時の感覚は極めて独特なものでありました。
初めて観る映画であるにもかかわらず、妙な既知感があるんです。観たことがあるような気がする。加えて、単純に「映画を観る」というのではなく、むしろ「映画に浸る」と言った方が、感覚としてはより近いものがあるんです。
その時、一緒にテレビを観ていた両親にその旨を話すと、感心されました。

この映画は1960年1月に日本でロードショー公開されており、当時新婚だった私の両親は連れ立って映画館に出かけたそうです。
その時すでに母親の胎内にいた私は、彼女の目と耳を通じてこの映画を体験したようなのです。ただ、当然のことながらストーリーなどの細部は記憶しておらず、この映画が持つホーム・ドラマ特有の幸福感や明るい雰囲気などが強く印象付けられたのではないかと思います。
胎教というものはバカにはできない、と私が信じる根拠になっております。

これも胎教の影響でしょうか、私も家族を笑わせることに喜びを感じる者であります。
はっきり言って、ウケることしか考えていない。日常生活で偶然生じる小ネタは絶対に見過ごしませんし、爆笑を得るためには労を厭わず仕掛けを作り、周到に準備します。

いや、コレは胎教の影響ではなく、目立ちたがりの性格から来るものですね、きっと・・・。

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一番肝心なのは素敵なタイミング

2010-06-04 01:12:21 | 映画の話

新聞の科学欄で読んだ話です。

ある研究者が映画の観客のまばたきのタイミングについてデータを取ったところ、観客はストーリーの流れにはあまり影響しないシーンの時に集中して瞬きをし、重要なシーンには瞬きせずに済むように備えていることがわかったんですって。
ということは、我々は映画を観ている時、そのストーリーや展開をある程度予測し、盛り上がる部分を期待していることになります。

映画の作り手は、広く「間(ま)」と呼ばれているオチのタイミングを計り、そのオチをより効果的に観客に見せようとしている。
観客は、その映画が持つ「間」に合わせて展開を予想し、面白い部分を見逃さないように準備する。
我々は意識しておりませんが、作り手と観客の間にはある種のコミュニケーションとも言えるようなやりとりがあるようです。

特にコメディ映画では「間」がとても重要で、これをはずすと観客は安心して笑えない。
反対に観客をおどかす趣旨を持ったホラー映画では、観客が期待するタイミングからわざとはずすことが求められるのだと思います。
ただ、この「間」は自然と身についた社会的な感覚ですから、意図的にはずすのはとても難しいと思います。どうしてもうまい「間」に落ち着いてしまう。こういう意味で、優れたホラー・スリラー映画というのは、非常に高度なテクニックを持って作られているのではないかと思います。

先日、アメリカ人の友人に薦められて「Quarantine(クアランティン)」というホラー映画を観ました。2008年の作品で、残念ながら日本では未公開のようです。
これは怖かったー。
「消防署24時間密着レポート!」というようなテレビ番組のために撮影クルーが消防署を取材中、とあるアパートに緊急事態が発生、救命士たちと現場に駆けつけます。そこではどういうわけか住民がどんどんゾンビー化しており、その原因は何かの病原菌によるものだとした当局がアパートを封鎖してしまいます。消防士や撮影クルーはゾンビー住民とアパート内に閉じ込められる・・・という内容です。
すごく上手な監督だと思います。ビックリ箱のように脅かすポイントが次々と出てくるのですが、それがことごとく「間」をずらしてあるように感じるんです。血しぶきがあがったり、死んだはずのヒトが生き返ったり、と、ホラー映画のイベントとしては使い古されたネタばかりなのに、間をずらすだけでこんなにも怖いものになるのか、と感心しました。

ビックリしたいヒトにはお勧めです「クアランティン」。

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