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Weekend Strummer

ウィークエンド・ストラマー。
世間知らずのオジサンが脈絡無く語る、ギター・アフリカ・自閉症。

30年後の再会

2015-12-29 02:03:11 | ケニヤ

青年海外協力隊は今年で50周年を迎えた日本のODA(政府開発援助)事業です。50年間でこの事業を経験した日本人青年は40000人以上にのぼり、かくいう私もその一人。
私は1980年代半ばの3年間、ケニヤ西部の農業省地方事務所に配属され、稲作改良普及活動に従事しました。担当地域内の農家圃場を訪れ、育苗法や田植えの仕方などの基本的な技術指導をしたり、カバによる食害に頭を悩ませたり、村人が運営する精米所をサポートしたり、といった活動を行っておりました。
任期満了後、約30年を経て再びケニヤでの業務に就く機会に恵まれた私が、以前一緒に仕事をした農家のヒトビトとの再会を望むのは当然の成り行きでありました。

昨年のイースター休暇を利用して、30年前の任地であるキスムを訪れました。キスムはビクトリア湖に面した古い街で、30年経っても街並みに大きな変化はなかったようです。ですがそのぶん老朽化した建物が目立ち、確実な時間の流れを感じました。

サンセットホテルはビクトリア湖に沈む夕日を眺めることができるリゾート・ホテル。
隊員時代、懐に余裕のある時にここのディナーを食べるのが楽しみでした。

中島らもの傑作冒険小説「ガダラの豚」にも登場しましたが、現在は老朽化著しく、かつての華やかな雰囲気はゼロ。
スイミング・プールの水は緑に濁り、エレベーターも作動しません。

当時、若く生意気な外国人だった私に付き合ってくれていたのは、いずれも私より10歳以上年上の農家のオジサン・オバサンたちでありました。ケニヤの平均寿命が60歳くらいであることや、当時の、水道も給電もない村での過酷な生活状況などを考え合わせますと、みんな果たしてまだ生きているかどうか。もしかしたらもう死んじゃったかもしれないな。などと縁起でもない想像をしながら旅支度を整えたのでした。

 サンセットホテルを出発した私がまず向かったのは町はずれのショッピングセンター。お土産を買わなくっちゃ。

 砂糖を購入しました。1キロパックの砂糖を、何人の農家に会えるかわからないので、とりあえず20パックほど。
農家へのお土産として、砂糖ほど最適なものはありません。生活必需品なので絶対に喜んでもらえます。

そして、きっと大勢寄って来るであろう村のガキンチョどものために、アメちゃん。お徳用100個入りパック。マンゴー風味。

 買い物を済ませた後、村へと向かいます。これはキスムとナイロビをつなぐ国道。地元ではナイロビ・ロードと呼ばれておりました。
以前はメンテナンスが追いつかなくて穴ぼこだらけだった往復2車線が、現在は4車線。ひろびろスムース。

 アヘロという町で南へ折れます。県道は昔と同じ往復2車線。

続いてカティトという町で右折。ここから更に道路のグレードが下がります。昔は小石が浮いたダートだったのですが、今はきれいに舗装されています。
目的地であるワサレ村が近くなってきました。右折する道があるはずなので、減速して注意深く目を配ります。グーグルアースでおおよそのアタリを着けてきたのですが、どうも以前とは地形が変わっているのか、もしくは私の記憶が薄れてしまったのか、村の位置が良くわからないのです。

確信が得られないまま「きっとこの道だろう」と見当をつけて曲がってみると、メイズの畑が広がっていました。
おやー? おかしいなぁ。こんな景色じゃなかったはず…。
でも、何か手がかりが見つかるまで行ってみよう。

30年前はもっと細い道で、雨季にはオートバイで川を渡ったりして通った村です。道は広くなったようですが、あまり普請もしないのでしょう、深いぬかるみが目立ちます。私のクルマは一応4輪駆動車ではありますが、ハマったら抜け出すのはきっと一苦労。ここからは徒歩で進むことにしました。こんなこともあろうかと、ゴム長靴も用意してきたんです。

  

長靴は持ってきましたが、帽子を持って来ないちゃった。日射病予防のため、ハンカチを頭巾代わりにして頭部を覆います。

 

分岐が連続する道を自分の勘だけを頼りに進みます。しかし周囲の様子が昔と全然違います。苦労して拡げた水田があったはずなのに、見渡す限り畑ばかり。30年前はほぼ毎日行き来していた道なのに、さっぱり思い出せません。自分の記憶がまったくあてにならなくなりました。自己不信。確信がないまま、かなりの距離を歩いたようで、不安。
ガキンチョでもいればアメちゃんをふるまって何か情報を得られるのに、こんな時に限ってヒトッコ一人見当たりません。

          

ぽくりぽくりと歩く牛の群れが私を追い越していきます。草が食べられる放牧地へ行くのか、それとも村に帰るのか? 
村に帰る方に賭けて、ついて行くことにしました。

 

牛の群れとすれ違う形で出会ったジジババの一群であります。復活祭を祝うために教会へお出かけでしょうか。英語が通じる右端のオジジに道を尋ねてみました。

ぼかぁ30年ほど前に、この辺にあったワサレ村で稲作の仕事をしていた者なんだけど…。

「おー、オートバイで来てたヒトじゃないかい? 知っとるよ知っとるよ。村に行きたいのなら案内してあげるからついといで」

やったー!

緩やかにカーブを描く道をしばらく行くと、まばらに家が建つ場所に出ました。

「ここがワサレ村だよ」

と、言われても、全く見覚えがありません。こんな景色だったかなー? 
あまり期待せず、最初の家を訪問しました。

ホディー(スワヒリ語で「ごめんください」)。

土壁の家に、ヨボヨボのオジジとヨボヨボのオババが静かに住んでおりました。見覚えあるぞ、このヨボヨボ・コンビ…。

 

 あ、思い出した! ダマールのオバチャンだ! よかったー、生きてたかー!

ダマールさんは村の婦人会のリーダーだったオバチャンです。昔はもっとでっぷりとして丈夫そうなヒトでしたが、30年経った今は何となくしなびて、味わい深いオババになっておりました。隣の男性は旦那さん。
いきなり現れた東洋人である私をポカーンとした表情で見上げておりましたが、頭巾とサングラスを取って自己紹介しましたら、私の表情と彼女の昔の記憶が脳内のどこかで運よく結びついたのでしょう、おお! と目を見開いて立ち上がり、私の手を取り名前を連呼。小躍りして喜んでくれました。
しわくちゃの顔で。
目に涙を浮かべて。
ヨボヨボなのにジャンプして。

うわぁ、嬉しい! 来て良かった!

不覚にも涙が流れました。

 

(この項、続く)

 

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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つづき (びんぞう)
2015-12-29 11:56:04
つづきを楽しみに待ってます。
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