前回のアシダカグモについて、まだ考えています。
追い払うためにブーツを投げつけた私に、アシダカグモがあきらかに反撃と思われる行動をした、というものでした(詳細は前項「アシダカグモ」を参照のこと)。
普通、野生動物が人間を襲う場合、その目的は捕食か自己防衛(威嚇を含む)だと思います。
猫が鼠などの小動物を捕らえておもちゃにすることもあるので、ゲームのような感覚で襲う場合もあるかもしれません。
ですが、今回、私が経験したアシダカグモの攻撃はどれにも当てはまらないように思えます。
その行動をもう一度整理してみますと、
① 飛んできたブーツを危険物とみなし、避ける
② その危険物がある特定のヒトによって投げられたものであると認識する
③ 投げつける行為に明らかな敵意(もしくは侮辱)が含まれていたことを認識する
④ 危険物回避には成功したが、敵意に関しては理不尽なものであり納得がいかない
⑤ 投げたヒトに報復
と、今回の反撃行動にはこのような過程が含まれていると思うんです。
ところで、ヒトが怒りを感じるのは、その人のセルフイメージが傷つけられたとき、だそうです。
「お金を使う客の方が店員よりも偉いのだ」と考えているヒトが商店などの店員にぞんざいな口調で応対されると、店員よりも上にあったはずの客のセルフイメージが傷つけられ、客は怒りを感じることになります。
今回の蜘蛛の場合、④の部分です。
「壁を這っていただけなのにブーツを投げつけやがって、あの野郎ふざけてる!」
と、蜘蛛が考え、怒るものなのか?
また、玉砕覚悟の特攻というのも、単独活動をする蜘蛛には似合わない。
社会性の強い昆虫である蜂や蟻が、巣や仲間の安全を脅かす外敵に身を挺して立ち向かうことは一般的ですが、蜘蛛はそんなことしないように思えるんです。根拠は無いんだけど。
心理学者・岸田秀氏は「野生動物の活動は本能によるものである」という前提で、「人間は本能が壊れた動物である」としました。
アシダカグモはブーツを投げつけられて怒り、そしてその怒りのままに「返り討ちに合うかもしれないけど仕返しをしてやろう」と考えているようで、これは自己防衛本能に反する極めて人間的な思考であるように思えます。本能に従って生きるのであれば、ブーツを投げるような乱暴な生き物には関わりを持たないように避けるはずではないのか?
「昆虫」をあらわす英単語・インセクト(insect)は「本能」(インスティンクト:instinct)に似ているので、もしかしたら昆虫の語源は「本能で動くもの」なのかもしれない、などと考えていたのですが、実は人間と同じで、本能だけでなく感情の波にも左右されている生物なのかも知れません。
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