愛犬バタコが死んで2週間が経過しました。
朝の起床時、自分の周囲にバタコがいないことが不思議でなりません。彼女がまだ室内にいる雰囲気は感じられるのに。
用事を済ませた外出先で帰路に就く時、自宅で待つバタコはもういないことを思い出し、帰宅する理由がひとつ少なくなっていることに気づいたりします。
大事なものを失くしてしまったのに、自分の生活が滞りなく経過しているのも不思議な気がします。バタコがいないのに夜は明け、陽が沈む。どこかに忘れ物をしたまま、そしてそれに気づいているのにも関わらず前に進まざるを得ないような、非常に気持ちが悪い状態が続いています。
バタコを埋葬した庭の一角は、墓標こそ設けませんでしたが、常にきれいに整えてあります。埋葬した地面を均し、周囲をレンガで囲い、その中を園芸店で購入したウッドチップで満たしました。バタコがいたということを人生の句読点のように忘れ去るのではなく、墓地の手入れに熱中することで彼女との関係がいまだ継続しているように思いたい。
可愛がるためだけに飼われた愛玩動物ですから、そして13年半もの長い時間を一緒に過ごしたんですから、いなくなりゃそりゃ寂しいのは当たり前です。
すでにタイトルも詳細も忘れてしまいましたが、リック・ボイヤーの作品にやたらと暴力に強い口腔外科医が登場する冒険小説がありました。劇中、愛犬家である主人公が可愛がっていた飼い犬が、敵対する組織によって殺されてしまいます。しかも非常にむごたらしい方法で。犬の遺体を埋葬したあとの主人公のセリフがクールでした。
「飼い犬が死んだら、その日のうちに次の犬を入手することにしている」
そして実際に彼は某所から子犬を入手して一緒に暮らし始めるのです(もちろん組織への復讐もします)。
ペットである犬には、可愛がる対象としての機能だけを求めるべきなのかもしれません。
とはいうものの、こちとらそんなゴルゴ13みたいなクールな男じゃないのであった。
えーん。
外から帰るのがほんと辛いね。
事あるごとに鼻の奥がツンツン🥲
まだまだ慣れそうもないよ。