Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ミシマ問題

2010-12-22 12:11:51 | 日記



あるツイッターで《日本では真実を隠すことがマスコミの仕事》という言葉を読んだ。

まったく同感だが、これは、“欧米はそうじゃない”ということではないだろう。

“欧米には”、日本よりは勇気あるひと、理性的に考えるひと、嘘がきらいな人が“少数”いるということである。

もちろん《真実を語る》とか、《真実を暴く》ということが、どういうことなのかも、問題である。



そういう“主題”にからむかどうか定かでないが、不破利晴ブログが<三島由紀夫>の決起文と思われるものを掲載している。

三島が決起、自決した1970年は、ぼくが大学を卒業し“社会人”となった年である。
三島の死も、その日仕事で、たまたま通りかかった有楽町朝日新聞社前で知ったのだ、あの切り落とされた生首。

現在、ユーチューブで見られる映像も、“その日の”ニュースで見た。
ただし三島の自衛隊員への“檄”は、さっぱり聞き取れなかった。
いちばん印象的なのは、緊張で硬直しロボットの演説であるかのような三島を、自衛隊員たちがギャグでも見るようにニヤニヤ見ていることであった。

自衛隊員たちは、この三島の“決起”を、文士の馬鹿げたパフォーマンス(お笑い)と受け止めた。
彼等は三島の生首を見た後、どうおもったのだろうか?


ぼく自身、まったく三島に共感する立場ではなかった。
三島の小説は(なぜか)ほとんど読んでいたが、本当に好きなものはひとつもなかった。
だからこの事件後も、この事件についての文章をあまり読んでこなかった。

しかし、たしかに、ここにきて<三島由紀夫>が気になる。
いまぼくが読んでいる大江健三郎『さようなら、私の本よ!』のひとつの柱が<三島由紀夫>であることが明らかになってきた(まだ読書中である)


不破ブログに張りつけてあったユーチューブ映像で、三島が自衛官たちに叫んでいる“セリフ”がスーパーで(字幕で)でている。

《 聞け 命を懸けて訴えているんだ 諸君は武士だろう 私と共に立つものはいないのか 》


ぼくは不覚にも涙が出た(風邪で情緒不安定である;笑)


たしかにあそこで三島由紀夫が自決しなかったら、あの“馬鹿げた行為(ギャグ)”が、歴史に残ることもなかった(つまり年月のへだたりによって、それが別様の意味を喚起することも)


ぼくは政治的に単純なので、政治的立場は、1970年と変わっていない。

すなわち三島の以下のような<認識>には絶対に賛同できない;

★ 日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。(三島由紀夫:不破ブログから転載)