Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

BOB DYLAN自伝

2010-12-30 17:51:55 | 日記



★ わたし自身にとっても、歌は軽い娯楽ではなく、もっと重要なものだった。歌とは、異なる現実の認識へ――異なる国、自由で公平な国へ――導いてくれる道標だった。30年後、音楽史家のグリール・マーカスは、それを「見えない共和国」と呼ぶ。ただし、わたしは大衆文化に異をとなえてはいなかったし、騒ぎを起こすつもりもなかった。メインストリームの文化は、ひどく貧弱でペテンのようだと考えていただけだ。それは窓の外を一面におおった雪のようで、その上を歩くにはおかしな履物をはかなくてはならない。自分たちがいま歴史上のどの時代にいるのか、その時代の真実が何なのか。わたしにはそんなことはわからなかった。(略)いまがどの時代であるかというと、それはいつだって太陽の光が射しはじめたばかりのときなのだ。

★ 子どものころわたしは本や作家に夢中になることはなかったが、物語は好きだった。神秘的なアフリカについて書いたエドガー・ライス・バローズ、西部の伝説を書いたルーク・ショート、それにジュール・ヴェルヌ、H.G.ウェルズ。こうした作家が好きだったが、それもフォークシンガーを知るまでのことだった。フォークシンガーの歌は、歌詞を何番かまで歌うだけなのに、一冊の本のようだった。人物やできごとの何がフォークソングとして歌うだけの価値を決定するのかを語るのはむずかしい。おそらくは公平で正直な裏表のない人物であることが関係している。それと広い意味での勇敢さというものが。アル・カポネはギャングの世界でシカゴの地下組織を支配するようになったが、カポネのことを歌にした人はいない。(略)彼はつまらない。一瞬たりともひとりで戦ったことのない小判鮫のような男。

★ きらきらした空気が肌を刺し、夜になると青いかすみが立ちこめる寒い冬だった。緑の草に寝そべり、本物の夏のにおいを嗅いだのが、はるか昔に思えた――湖の上で反射した光が踊り、黒いタールの道に黄色い蝶が舞う夏。朝の早い時間にマンハッタンのセヴンスアヴェニューを歩いていると、車のバックシートで眠る人を見かけることがある。わたしは運よく、眠る場所がある――ニューヨークの住人さえ、眠る場所がないことがある。わたしには持っていないものがたくさんあり、明確な身分さえ定まっていない。「おれは流れ者のギャンブラー、ふるさとを遠く離れて旅をする」。短いことばで言えば、それがわたしだった。

<ボブ・ディラン『ボブ・ディラン自伝』(ソフトバンク パブリッシング2005)>






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