★ ぼくたちは、すでに、混血種である。<warmgun:“ロクンロール・ニガー”>
★ 女は庭仕事の手をとめ、立ち上がって遠くを見た。天気が変わる。<M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』>
★ 背筋をまっすぐにのばして目を閉じると、風のにおいがした。まるで果実ようなふくらみを持った風だった。そこにはざらりとした果皮があり、果肉のぬめりがあり、種子のつぶだちがあった。果肉が空中で砕けると、種子はやわらかな散弾となって、僕の腕にのめりこんだ。そしてそのあとに微かな痛みが残った。<村上春樹:“めくらやなぎと眠る女”>
★ 雨がつづいた。それは烈しい雨、ひっきりなしの雨、なまあたたかい湯気の立つ雨だった。(レイ・ブラッドベリ:“長雨”>
★ 地図をひろげる。ところどころに点を散らした広大な空白がある。太平洋である。<開高健:『フイッシュ・オン』>
★ 「楽譜の上になんて書いてあるの、読んでごらんなさい」先生は要求した。「モデラート・カンタービレ」と少年は言った。<マルグリット・デュラス:『モデラート・カンタービレ』>
★ 平野には豊に作物が実っていた。果樹園がたくさんあり、平野の向こうの山々は褐色で裸だった。山では戦闘が行われていた。夜になると砲火の閃くのが見えた。暗闇のなかで、それは夏の稲妻のようだった。けれども夜は涼しく、嵐がくる気配はなかった。<ヘミングウェイ:『武器よさらば』>
★ 一夏のあいだ、雲の彫刻師たちはヴァーミリオン・サンズからやってくると、ラグーン・ウエストへのハイウェイの横にならび立つ白いパゴダにも似た珊瑚塔の上を、彩られたグライダーで飛びまわった。<J.G.バラード:『ヴァーミリオン・サンズ』>
★ 二日前に雪が降り、京都御所では清涼殿や常御所の北側の屋根に白く積もって残るのを見かけた。大きな建物だから寒かろうと覚悟して行ったが、冬暖かい青空で、光に恵まれた昼となった。<大仏次郎:『天皇の世紀』>
★ 都市と書物とは、たがいに暗喩たりうるのではないか。都市のなかに生き、都市のなかを歩くことは都市を読むことであり、書物を読むとは、書物のなかを歩き、書物のなかを生きることだ、というように。<清水徹:『書物としての都市 都市としての書物』>
★日本を統ぐ(すめらぐ)には空にある日ひとつあればよいが、この闇の国に統ぐ物は何もない。事物が氾濫する。人は事物と等価である。そして魂を持つ。何人もの人に会い、私は物である人間がなぜ魂を持ってしまうのか、そのことが不思議に思えたのだった。魂とは人のかかる病であるが、人は天地創造の昔からこの病にかかりつづけている。<中上健次:『紀州』 終章“闇の国家”>
★ 赤ん坊の揺り籠は深淵の上で揺れているのだ。<ナボコフ:『記憶よ、語れ』>
★思考とは自発的なものであると言われているが、それは思考が自分自身と合体するという意味ではなく、反対に、思考は自らをのり越えてゆくという意味であって、発語はまさしく、思考が真理へと自分を永遠化してゆく運動にほかならない。<メルロ=ポンティ:『知覚の現象学』>
★ 哲学がもし、考えること自体について考える批判的な作業でないとしたら、今日、哲学とはいったいなんだろうか。また、すでに知っていることを正当化するというのではなく、別のしかたで考えることが、どのようにして、また、どこまで可能なのかを知ろうとするという企てに哲学が存するのでないとしたら、今日、哲学とはいったいなんだろうか。<ミシェル・フーコー:『快楽の活用』>
★ わたしが来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲たがいさせるためである。そして、家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。<『福音書』>
★僕らがいるのはどうやら最後のフロンティアであり、本当に最後の空を見ているらしい。その先には何もなくて、僕らは滅びていく運命にあるらしいことはわかっているのだけれど、それでもまだ、僕らは「ここから、どこへ行くのだろう」と問いかけているのです。僕らは別の医者に診て貰いたい。「おまえたちは死んだ」と言われただけでは、納得しません。僕らは進み続けたいのです。<エドワード・W・サイード:『ペンと剣』 >
★ウィトゲンシュタインが同じことを述べていまして、「この世界に神秘はない。この世界があることが神秘だ」という言い方をしています。つまりこの世界、別の言葉では自然といってもいいのですが、そのことが神秘(奇蹟)だというわけです。その中に、あるいはそれを超えて、特別に神秘があるわけではない。<柄谷行人:“世界宗教について”―『言葉と悲劇』>
★女にはまだ友愛を結ぶ能力がない。女はいまも猫であり小鳥である。最善の場合でも牝牛である。
女にはまだ友愛を結ぶ能力がない。しかし君たち男よ。君たちのいったい誰に友愛を結ぶ能力があるか。
<ニーチェ:『ツァラトゥストラ』の“友”>
★ぼくは生涯において、三人の異なった女性を知り、そしてぼくの内部の三人の異なった男性を知った。ぼくの生涯の歴史を書くことは、この三人の男性の形成と崩壊を、またこの三者のあいだの妥協をえがくことだろう。<野村修『ベンヤミンの生涯』よりベンヤミンの日記>
★いかなる楽しみのために詩は、あらゆる技芸の「子宮」として、その「スタンツァ」をしつらえたのか。その「詩法」は、そんなにも堅固に何を閉じこめているのか。<ジョルジュ・アガンベン『スタンツェ―西洋文化における言葉とイメージ』プロローグ>
★そこでは、汗の一滴一滴、筋肉の屈伸の一つ一つ、喘ぐ息の一息一息が、或る歴史の象徴となる。私の肉体が、その歴史に固有の運動を再生すれば、私の思考はその歴史の意味を捉えるのである。私は、より密度の高い理解に浸されているのを感じる。その理解の内奥で、歴史の様々な時代と、世界の様々な場所が互いに呼び交わし、ようやく解かり合えるようになった言葉を語るのである。<クロード・レヴィ=ストロース:『悲しき熱帯』>
★ 固定され安定しているように見える対象も、それを見る側が不安定に動いていれば別の見え方をする。マジョリティたちが固定的で安定的と思い込んでいる事物や観念が、実際には流動的であり不安定なものであるということが、マイノリティの目からは見える。<徐京植:『ディアスポラ紀行』>
★ 喜びとともに息を凝らした。やはり彼だ。短いようで、長い時間だった。人けの絶えようとする、周囲の目からも奇妙なほど隔絶されている庭の中央で、指先にしばし、大きな複眼と透き徹った四枚の翅を載せていた。<平出隆:『猫の客』>
★ 気がつくと、運命から切り離されたエメラルド色の蜥蜴へと三たび姿を変えていた。開きっぱなしのその瞳孔は、何万回目かの雨が砂浜にどっと降りつけるのを、灌木の枝間から動くことなく見つめている。雨はやがて琥珀となるだろう。
もうどこへも行かないし、砂浜には誰もいない。
<青山真治:『ホテル・クロニクルズ』>
★ ――「雨の木(レイン・ツリー)」というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう。<大江健三郎:“「雨の木」を聴く女たち”>
★よくいるかホテルの夢を見る。<村上春樹:『ダンス・ダンス・ダンス』>
★ それから彼は微笑んだ。とても静かな微笑みだった。
「僕がキキを殺したのか?」と彼はゆっくりと言葉を区切るようにして言った。
「冗談だよ」と僕も微笑んで言った。「ただなんとなくそう言ってみただけだよ。ちょっと言ってみたかったんだ」
<村上春樹:『ダンス・ダンス・ダンス』>
★ 愛とは、私であるということと、他者(あなた)であるということとが、同じことになってしまうような体験なのだ、と。愛とは、私であるという同一性が、他者であるという差異性と完全に等値されている関係なのだ。<大澤真幸 :『恋愛の不可能性について』>
★ だが、<出来事>の記憶が、他者と、真に分有されうるような形で<出来事>の記憶を物語る、とはどういうことだろうか。そのような物語は果たして可能なのか。存在しうるのか。存在するとすれば、それはリアリズムの精度の問題なのだろうか。だが、リアルである、とはどういうことなのだろうか。無数の問いが生起する。<岡真理:『記憶/物語』>
★ 日が長くなり、光が多くなって、太陽がまるで地平線を完全に一周しようとするかのように、だんだん西に、いくつもの丘の向こうに沈んでいくとき、あたしの胸はじんとする。<ル・クレジオ:“春”>
★ 母はぼくを茶色の軍用毛布に包んで抱き上げ、ゆっくりハミングしながら、そこらを歩き回った。曲は「わが心のペグ」だったと思う。自分に聞かせるように、やさしくハミングしていた。心はどこか遠くをさまよっているようだった。
ぼくらはゆっくりと、恐竜たちの間を出たり入ったりしつづけた。足と足の間を、腹の下を、くぐり抜けた。ブロントザウルスのまわりを一周した。ティラノザウルスの歯を見上げた。恐竜たちはみな、目のかわりに青い小さなライトをつけていた。
そこには誰もいなかった。ただぼくと、母と、恐竜たちだけがいた。
<サム・シェパード:『モーテル・クロニクルズ』>
★ よだかは、実にみにくい鳥です。<宮沢賢治:“よだかの星”>
★ だまされやすい人たちは全員サンタクロースを信じていた。しかしサンタクロースはほんとうはガスの集金人なのであった。<ギュンター・グラス『ブリキの太鼓 第1部』>
★ 私は、ある女友達を訪ねるために、リガに着いていた。その女性の家も街も言葉も、私にとって未知のものだった。私の到着を待っている人はおらず、誰も私を知らなかった。私は二時間、ひとりぼっちで街路を歩き回った。このときのような街路を、私はその後二度と見たことがない。どの家の戸口にも、ガス灯の炎が吹き上がっており、歩道の隅石はどれも、火花を飛び散らせており、路面電車はみな、消防車のように走ってきた。<ヴァルター・ベンヤミン:『一方通行路』>
★ 午前1時。皆、寝静まりました。カフェー帰りの客でも乗せているのでしょうか、たまさか窓の外から、シクロのペダルをこぐ音が、遠慮がちにカシャリカシャリと聞こえてくるほかは、このホテル・トンニャット全体が、まるで深海の底に沈んだみたいに、しじまと湿気とに支配されています。<辺見庸:『ハノイ挽歌』>
★ 1848年。王政の瓦壊によって、ブルジョワジーは自分を守ってくれた「覆い」を奪い去られる。一挙に、<詩>は、その伝統的な二つのテーマ、すなわち<人間>と<神>とを失う。
<J.P.サルトル:“マラルメの現実参加”>
★カーテンの後には見るべきものは何もない。<ドゥルーズ:『無人島』>
★ でも、気が狂ってるというのは、やはり悲しいことですわ。もしほかの人たちが気違いだとしたら、その中でわたしはどういうことになるのかしら?<デュラス:『ヴィオルヌの犯罪』>
★ 夜のことは覚えている。青い色が空よりもっと遠くに、あらゆる厚みの彼方にあって、世界の奥底を覆いつくしていた。空とはわたしにとって青い色をつらぬくあの純粋な輝きの帯、あらゆる色の彼方にある冷たい溶解だった。ときどきヴィンロンでのことだが、母は気持ちが沈んでくると、小さな二輪馬車に馬をつながせて、みんなで乾季の夜を眺めに野原に出た。あれらの夜を知るために、わたしには運よくあのような母がいたことになる。空から光が一面の透明な滝となって、沈黙と不動の竜巻となって落ちてきた。空気は青く、手につかめた。青。空は光の輝きのあの持続的な脈動だった。夜はすべてを、見はるかすかぎり河の両岸の野原のすべてを照らしていた。毎晩毎晩が独自で、それぞれがみずからの持続の時と名づけうるものであった。夜の音は野犬の音だった。野犬は神秘に向かって吠えていた。村から村へとたがいに吠え交わし、ついには夜の空間と時間を完全に喰らいつくすのだった。<デュラス:『愛人(ラマン)』>
★ 言語もまた、一個の神秘、一個の秘密である。ロドリゲス島の<英国人湾>に閉じこもって過ごしたあのように長い歳月を、祖父はただ地面に穴を掘り、自分を峡谷に導いてくれる印しを探すことだけに費やすわけではない。彼はまた一個の言語を、彼の語、彼の文法規則、彼のアルファベット、彼の記号体系でもって、本物の言語を発明する。それは話すためというよりはむしろ夢みるための言語、彼がそこで生きる決意をした不思議な世界に語りかけるための言語である。
<ル・クレジオ:『ロドリゲス島への旅』>
★ するといま嬉しいことが起きる。ペン軸と覗き穴のなかの小宇宙とを想い出す過程が私の記憶力を最後の努力にかりたてる。私はもういちどコレットの犬の名前を想い出そうとする―と、果たせるかな、そのはるか遠い海岸のむこうから、夕陽に映える海水が足跡をひとつひとつ満たしてゆく過去のきらめく夕暮れの海岸をよぎって、ほら、ほら、こだましながら、震えながら、聞こえてくる。“フロス、フロス、フロス!” <ナボコフ:『記憶よ、語れ』>
★ まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
<宮沢賢治“春と修羅”>
★ 社会について何か考えて言ったからといって、それでどうなるものではないことは知っている。しかし今はまだ、方向は見えるのだがその実現が困難、といった状態の手前にいると思う。少なくとも私はそうだ。こんな時にはまず考えられることを考えて言うことだ。考えずにすませられるならそれにこしたことはないとも思うが、どうしたものかよくわからないこと、仕方なくでも考えなければならないことがたくさんある。すぐに思いつく素朴な疑問があまり考えられてきたと思えない。だから子供のように考えてみることが必要だと思う。<立岩真也『自由の平等-簡単で別な姿の世界』>
★ 今もおなじだけれど、20数年前のその頃も、毎日、夕方になると、飲まずにいられなかった。<開高健:黄昏の力>
★ 「もしも地獄が一つでも存在するものでございますなら、それはすでに今ここに存在しているもの、われわれが毎日そこに住んでおり、またわれわれがともにいることによって形づくっているこの地獄でございます。これに苦しまずにいる方法は二つございます。第一のものは多くの人々には容易(たやす)いものでございます、すなわち地獄を受け容れその一部となってそれが目に入らなくなるようになることでございます。第二は危険なものであり不断の注意と明敏さを要求いたします、すなわち地獄のただ中にあってなおだれが、また何が地獄ではないか努めて見分けられるようになり、それを永続させ、それに拡がりを与えることができるようになることでございます。」<イタロ・カルヴィーノ:『見えない都市』>
★ 社会主義者というのは、生きそして死んでいったほとんどの人びとが、悲惨でみのりのない過酷な労働の生涯をおくってきたことへの驚きを失わない人間のことである。<テリー・イーグルトン『イデオロギーとは何か』>
★ 私たちは共有の歴史であり、共有の本だ。どの個人にも所有されない。好みや経験は、一夫一婦にしばられない。人工の地図のない世界を、私は歩きたかった。<M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』>
★ 今日のことは忘れよう、明日までは。<ボブ・ディラン:“ミスター・タンブリン・マン”>
★ 村にきて
わたしたち恋をするため裸になる
(・・・・・・)
わたしたち裸のまま
火事と同時に消えるもの
大勢の街の人々が煙を見にくる
<吉岡実:“牧歌”>
★ むかしのことを思い出すと、心臓がはやく打ちはじめる。<ジョン・レノン:“ジェラス・ガイ”>
★ 八千矛神(やちほこのかみ)よ、この私はなよなよした草のようにか弱い女性ですから、私の心は浦や洲にいる鳥と同じです。いまは自分の思うままにふるまっている鳥ですが、のちにはあなたの思うままになる鳥なのですから、鳥のいのちは取らないでください……
いまは朝日がさしてきた青山ですが、やがて夕日が沈んだら、まっ暗な夜が来ましょう。あなたは朝日のように晴れやかに笑っていらっしゃり、さらした梶の皮の綱のような白い腕、泡雪のような若やかな胸を抱きかかえ、玉のような手と手とをおたがいに枕とし、股を長々と伸ばして寝ましょうに、そうやみくもに恋いこがれなさるものではありません……<高橋睦郎:『古事記』現代語訳―『読みなおし日本文学史』による>
★ 人間が意志をはたらかすことができず、しかしこの世の中のあらゆる苦しみをこうむらなければならないと仮定したとき、彼を幸福にしうるものは何か。
この世の中の苦しみを避けることができないのだから、どうしてそもそも人間は幸福でありえようか。
ただ、認識の生を生きることによって。
<ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン:“草稿1914-1916”>
★ そのとき、匂いが蘇った。新しい紙と印刷インクの匂いだ。それが彼を取り巻いていた。30年暮らした中国の村では、活字はどれも黄ばんだ紙に印刷されていた。
もう一度、思い切りその匂いをかいだ。そのとたん、胸がつかえた。胃が暴れ、何かが喉にこみ上げてきた。歯を食いしばってそれを止めると、涙がわっと溢れでた。<矢作俊彦:『ららら科学の子』>
★希望なきひとびとのためにのみ、希望はぼくらにあたえられている。<ベンヤミン:“ゲーテの『親和力』”>
★ 魔女1 この次3人、いつまた会おうか?かみなり、稲妻、雨の中でか?<シェクスピア:『マクベス』>