Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

東京タワー

2010-03-14 10:42:18 | 日記


昨日は、ぼくが大新聞コラムを批判したブログについて、コメントがきて、コメント欄での応酬があった。

そのあと、もうひとりの方からのコメントがあって、その返信にぼくは、“もうこういうことはやめてもいい”と書いた。

それで今、皮肉な気持で、天声人語と読売編集手帳を見た。
天声人語は、“まさに” 鶴岡八幡宮の銀杏の話題だった。
この話題を読売編集手帳が書いた記事をぼくは先日批判したのだ。

ぼくは、“歴史を認識する”とは、どういうことなのか?と書いた。
これらコラムの“歴史認識”は、歴史を認識していないのではないか?と書いた。
今日の天声人語に対しても同じ疑問を提起する。
わけのわからない“比喩”と“連想ゲーム”で、ほんとうに、出来事そのものの具体性を認識できるのであろうか?
“過去に起こったこと”に、現在において“向き合う(現前させる)”という言葉の働きは、これらコラムの”言説“のようなものでしかないのだろうか。

もしぼくたちが、あらゆる過去の事件について、ある具体性の本質を見ず、すべてを“ムード・ミュージック”のように聞き流すなら、<歴史>とは、どこにあるのだろうか。
まさにこの<歴史認識>というのは、<現在>への認識なのだ。

この現在にこそ、あらゆる時間と空間は殺到している。


今日の読売編集手帳には、日野啓三氏の名があった。
前にブログで書いたが、ぼくは日野氏の“最後の日々”の著書を連続して読んだ。
たしかにそこには、病室から見えた“東京タワー”のことが書いてあった。
問題は、そこで日野氏が見たものが、東京タワーだけではなかったことである。

読売編集手帳を引用する;

芥川賞作家で読売新聞の先輩記者でもあった日野啓三さんは、大病の手術後に鎮痛剤の作用で幻覚の中にいた時、現実の世界につなぎとめてくれたのは病室の窓から見える東京タワーの存在感だった、と書いている◆リリー・フランキーさんの私小説「東京タワー」も、こう書き出す。〈それはまるで、独楽の芯のようにきっちりと、ど真ん中に突き刺さっている。東京の中心に。日本の中心に。ボクらの憧れの中心に。〉◆東京タワーに淡く、あるいは深く、それぞれ思い入れを持つ人は多いだろう。その人たちは今、ちょっぴり複雑な気持ちかも知れない。建設中の東京スカイツリーが、今月中にも333メートルを超えるという◆ツリーはさらに伸び続け、完成すると634メートルになる。2倍近くも高さで抜かれる東京タワーを擬人化して心境を推し量れば、みるみるうちに大きくなった息子や娘を仰ぎ見る昭和世代の親、といったところか◆いずれ今日の若者たちはタワーよりはツリーを見上げ、様々に人生の思いを投影していくのだろう。タワー世代にとっては寂しいけれど、それはそれで楽しみなことでもある。(引用)


日野啓三氏の東京タワーは、“リード”として使用され、すぐ、“リリー・フランキーさん”の「東京タワー」とドッキングされる。
まるで、日野啓三とリリー・フランキーが、同じことを考えていたかのように。

こういうのを、ぼくは、“トリック”と感じる。
日野啓三氏にとって“東京タワー”は、《ボクらの憧れの中心》だったわけではない。
日野啓三氏の小説には、そんなことは書いてない。

《東京タワーを擬人化して心境を推し量れば、みるみるうちに大きくなった息子や娘を仰ぎ見る昭和世代の親、といったところか》

なぜ大新聞コラムの書き手は、“擬人化”が好きなのだろうか。
ぼくはこういう態度を“オカルト”と呼ぶ。

なにかを記述するとき、“擬人化”や“比喩”で語ることが、<文学的>ではないのだ。
<言葉>とは、もっとストレートに使用されるべきである。
ストレートで素朴な<意味>を担った言葉の群のなかで、“最小の比喩(レトリック)”が輝くのだ。

いつもいつも、“ストレートに語らない(語れない)”ひとは、レトリックでなにかを直視することを避け続けている。

自分の認識を追いつめず、いつもいつも曖昧なレトリックで、認識することを回避し続ける。
そこには、三流演歌的な混濁した情感しかありえないではないか。

ぼくたちにいま必用なのは、ストレートに見ることなのだ。
ストレートに読むことなのだ。

ストレートに話し、書き、関係することなのだ。