Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

スペイン

2010-03-31 00:20:14 | 日記


スペインは、ぼくが行ったことがある数少ない国のひとつである。
しかもスペインは、はじめての海外旅行の地だった。

いま堀田善衛の『ゴヤ』を読み始めて、この本を旅行の前に読んでおけばよかったと思う。
だが、いまさらしょうもない。
余計なお世話だが、“みなさま”が行けるなら、スペインに行ってみることをお薦めする。

スペインとイスラム。
ああ、だからスペインの少女たちは、あのように美しかったのだ。
しかも彼女たちは、美しいだけではなかった。

引用しよう;

★ ある記録によれば、1471年に、カスティーリアのイサベラ女王とアラゴン王フェルナンドの手によって設立された異端審問所は、1781年までの310年間に、年間平均100人を焼き殺し、900人を投獄した。合計のところで言えば、この3世紀の間に3万2000人が焚殺され、1万7000人が絞首刑に処せられた。そうして29万1000人が投獄された。これらの被処刑者たちの、残された家族や縁者たちが安穏に暮らしえたということはありえない。

★ しかも、フェルナンド王、イサベラ女王の治世に、約1200万いたスペインの人口は、18世紀半ばに即位したカルロス3世の時代には、半分の600万人以下に減っていた。人々は、新たに“発見”された植民地へ逃げ出してしまったのである。とりわけて、若く強壮な青年たちが出て行ってしまい、女ばかりがのこった。それにつけ加えて、社会のあらゆる層において有能な社会的指導者となるべき人々の多くが、聖職者として独身を強いられ、子孫をなすことがなかった。

★ 神の栄光のみが、あたかもスペインの荒地をいっそう荒廃の地たらしめる、あの光り輝く、残酷な太陽のようにこの国を支配していた。

★ また別の見方をすれば、スペインは15世紀に、南下してイスラム王朝を地中海に追い落して、スペイン全土を一気に植民地化し、まったく同時に、その勢いを駆って、コロンブスとともに新大陸の植民地化に出て行ってしまって、出て行ったものの大部分は戻らなかったのである。そうして戻って来たものは、掠奪された金銀財宝のみであった。

★ そうして、この“黄金の時代”をかたちづくった黄金、新大陸からの金銀財宝は、帝国の栄光を保ち、神聖なるカトリック・ヨーロッパを保守するために、湯水の如くに使われた。それが湯水の如く使われ、産業は衰え、しかもなお金銀財宝だけを抱えていたが故に、スペインは致命的なインフレーション現象を経験した史上最初の国となった。黄金の時代は、同時に衰退の時代のはじまりであった。

★ もっとも、イスラム教徒にとっても黄金の時代、すなわちグラナダに、世にもっとも甘美で繊細巧緻な建築であるアルハンブラ宮殿が完成したその瞬間に、彼らイスラムの王侯貴族たちは、あたかも平家の公達のように、壇ノ浦ではなく地中海へ追い落されたのであった。

★ 一国民が、わずか3世紀の間に人口が半分になるまで外に出て行ってしまい、もともとごろた石だらけの荒廃した土地は、神の栄光によってよりいっそう荒廃し、しかもなお冷たい金銀財宝だけを抱えていたという、こういう異様な民族がほかにいたものであろうか。

★ しかもなお、17世紀は絶頂の“黄金の時代”であった。トレドには、エル・グレコがい、セビーリァにはベラスケスがいた。

<堀田善衛;『ゴヤⅠ-スペイン・光と影』(朝日文庫1994)>




* 写真は、“アルハンブラのねずみ男”




<追記>

これまた余計なお世話であろうが、この堀田善衛『ゴヤⅠ-Ⅳ』(朝日文庫)は現在品切れである。
この『ゴヤ』はもともと“朝日ジャーナル”に連載された。
大仏次郎『天皇の世紀』は朝日新聞に連載され、朝日文庫に入っていたのが品切れとなり、現在文春文庫で刊行中である。

すなわち、朝日新聞社というのは、自社の“過去の財産”にさえ優しくないのである。
この朝日新聞社の“変節”について、どう考えればよいのでしょうか?

まさか大仏次郎や堀田善衛は、<古い>んじゃないですよね。

ぼくはこの両者の良き読者ではなく、“いま”読んでいるわけだが、“歴史学者”が書いている退屈な“歴史”とは、まったくちがった、ぴりぴりした手触りを彼らの歴史記述に感じるよ。
もちろん大岡昇平の『レイテ戦記』にも(これは‘中央公論’連載だけどね)

つまり、言葉のリアルを。
こういう手触りこそ、現在のジャーナリズムの“退屈文体”から喪われたものなんだ。

感受性の鋭さとおおらかさ。
広く複合した視野とあくまで個人として述べうること。

昔は日本にも、そういうひとがいた。

ほんとうにそうかどうか知らないが、海外旅行にも歴史にも関心がない若者が増えていると聞く。

もしそうなら、この日本という“閉域”(閉鎖された場所)の外への好奇心=想像力を喚起する言葉が、あまりにも乏しいからではないだろうか。

すなわち“あらゆる世界を見せる”はずのマスメディアが、この想像力を決定的に奪っているのだ。

この閉域で、“テレビで”なにもかも見ていると無意識に信じている人々こそ、なにひとつ見ることをまなばないのだ。

自分の日常への“微細で柔軟な視線”に自信たっぷりなものたちは、たんなる盲目へとおちいるのみだ。

もちろん逆に、世界中を駆け回り、”あれも見た、これも見た”というひとが、なにひとつ見ていないこともありそうだ。

つまり、旅も歴史も、言葉を道連れにしなければ、無意味だ。