横浜市港北区にある篠原城と大豆戸城の跡を見てきたレポートです。
鶴見川の南側にはいくつもの城跡があります。先日小田原城を見てきました。小田原城の城主であった小田原北条氏が戦国時代に支配していた地域は私の住む横浜市も含んでいて、傘下の武将たちが城を拠点に守りを固めていました。それらの城のうち、小机城、寺尾城は以前、ご紹介しています。横浜市北東部には他にも、小田原北条氏配下にあった篠原城と大豆戸城というのもあって、それぞれ見に行ってきましたので、まとめて紹介したいと思います。
2024年1月28日、篠原城を見に行きました。
妙蓮寺から新横浜方向に歩いていくと、途中にあるのが篠原八幡神社。新横浜駅の東口を篠原口と言い、このあたりの地名を篠原と呼びます。
ここはけっこうりっぱな神社です。
さらに新横浜駅に近づくと、小山があり、この上に篠原城があるはずです。小山を一周してみます。
周りが柵で囲まれていて、山に入れないようになっています。
正覚院(しょうがくいん)という曹洞宗の寺院が小山のふもとにあります。
正覚院の裏は墓地になっていて、その奥が城跡です。
墓地のあたりからは、左に新横浜駅、右に新横浜プリンスホテルが見えます。
1周して、小山の東側に戻ってきました。この道を入っていくと、
この地域の歴史の説明パネルが設置されていました。この地図は江戸時代の様子ですが、現在の新横浜駅と菊名駅の位置がわかります。地図の中ほどにある城山と書かれているところが、今いる場所、つまり篠原城跡となります。近くに正覚院も書かれています。
左のほうの菊名駅の北西にある安山と書かれているあたりが、このあと出てくる大豆戸城があった場所です。二つの城がこんなに近接してあったというのは不思議です。
城の本拠地内は立入禁止です。小田原北条氏家臣の金子氏が城主を務めていました。金子城とも呼ばれます。
こんな感じでどこからも入れません。ここは、発掘調査や保全作業がまだ進んでいないのでしょう。人が勝手に入って遺跡を荒らされたら困るので、仕方のない措置です。
2024年10月14日、大豆戸(まめど)城を見に行きました。
菊名駅の西口から横浜線沿いの道を西に歩くと、小山の上に向かう階段があり、そこを上っていきます。
小山の上は平坦な住宅地になっています。地名を大豆戸町といいます。
このあたりに大豆戸城があったらしいのですが、石碑さえ残っていません。完全に住宅地として開発されています。大豆戸城には、戦国時代に小田原北条氏の家臣の小幡氏が居城していました。
これは南側の眺めですが、ふもとがよく見えて城としての立地はよさそうだというのはわかります。
北側に下りていきます。
下りたところに八杉神社があります。
神社の入口には橋があって、菊名川に架けられていたものを、暗渠化による歩道化のために場所をずらしたものです。先日の菊名川暗渠巡りでもご紹介したところです。
さっきの八杉神社と趣きが似ていますが、こちらは隣にある日蓮宗の本乗寺です。大豆戸城の小幡氏が創建したということなので、城はなくなっても寺がかの時代の様子を伝えているということになります。
帰りに、通ったことのなかった菊名駅の南側を歩いてみたら、住宅街の中にこんなロータリーがありました。あとで調べたら、錦が丘ロータリーといって、昔このあたりに東横線菊名駅を作って駅前ロータリーにしようとしたんだけれど、駅はずっと北に作られたので、ロータリーだけが残ったという話です。知らないところを歩いていると、こんな不思議な風景に出会うこともあるので面白いですね。
元気かな?もう何年か会っていません。
こういうロータリーがあるのですね。
Googleの衛星画像やストリートビューの
画像を見ると5本の道路がロータリー
で交わっていて、それらの道路と
ロータリー内の道路の関係では、
後者が優先する道路となり、外から
ロータリーに入ろうとするクルマは手前で
一旦停止し、右手からクルマが来ない
ことを確認してから、左に入って右回り
でロータリーを回り、やがて抜けたい
道路を抜けて行くように矢印までつけて
仕組まれていますね。これはもはや
英国のラウンド・アバウトと同じルール。
日本では稀なので、コース次第では
ロータリーをルール無視で逆走した方
が便利な場合もありますが、そのあたり
はナビではどこまで正しく教えてくれ
るのかな?
あちらのラウンド・アバウトでは
道路をそこに単純にまっすぐ突き刺す
ように接続するのではなく、クルマは
ランドアバウトに左から入って右周り
せざるを得ない形に接続させますが、
このロータリーの場合、道路がまっすぐ
突き刺さるようについているので、
初めて来たドライバーは戸惑うかもしれません。
記事中に貼って頂いた地図、面白いです
ね。新横浜駅の篠原口というと反対側
を対照的な地味な印象です。標高は
そちらの方が完全に高く、お城があった
というのもうなづけますね。
地図によると、正覚院は城山の北側の
すぐ下にあります。wakabyさんが撮影
した画像で、そのお寺と昭和から平成に
かけて造成されたであろう斜面の墓地
や、その上の住宅が見えています。
その住宅が建っているあたりにお城が
あったのでしょう。それにしても
この画像の風景、いかにも横浜郊外
って感じですねえ。急斜面と
上に住宅、下にお寺。
このロータリー、たしかに車ではどう進めばいいのか、はっきりした標識もない(目立たない)ので、初めての人は迷いますね。左側通行を徹底すればいいだけなのですが。私の経験では、昔、釧路市を車で走っていたらロータリーがあって戸惑ったような記憶があります。めったにないですけれど。
篠原城址のあたり、横浜市らしい地形ですね。上に住宅、下にお寺、そして下から上へ向かって墓地がある。下(沖積層)と上(洪積層)が霊的な境界となっているという日本人の古代からの心理構造が生き続けているいうのが、中沢新一の「アースダイバー」での提言でした。