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書評「脳科学は人格を変えられるか?(エレーヌ・フォックス)」

2015-06-28 21:46:10 | 書評(脳科学・心理学)


不安、憂うつといった気分やうつ病が生まれるメカニズムは脳科学でどこまでわかったのか?そして、それらの改善方法、治療法として脳科学が推奨できることはあるのか?といった興味でこの本を読んだ。この本の大部分はそうした脳の働きが生まれるメカニズムの説明に費やされる。著者のエレーヌ・フォックスは第一線の科学者なので、多くの動物実験や臨床試験を例示しながらていねいに説明を積み上げていく。だから、医学生物学にあまりなじみのない人にはまだるっこしく感じられるかもしれない。しかしそれが科学者としての誠意だと感じられた。つまり、ただのおもしろそうな心理学の本とは一線を画している。そして、最後に期待の持てる治療法として認知行動療法やマインドフルネスなどが提示される。そこまで来るまでは、しばらく辛抱して読み続けていかなければならない。

下記は私なりにまとめたこの本のポイントである。
自分の勉強のためにまとめているという側面も大きいので、面倒だったら読み飛ばしてほしい。

・著者は、ネガティブな心の動きを担当する脳の回路を「レイニーブレイン(悲観脳)」、ポジティブな心の動きを担当する脳の回路を「サニーブレイン(楽観脳)」と呼ぶ。また、こうした心の状態を「アフェクティブ・マインドセット(心の姿勢)」と呼んでいる。
・サニーブレインの中でもっとも活発にはたらいている化学的メッセンジャーはドーパミンとオピオイドで、ある経験を気持ちよく感じさせるのはオピオイドのはたらきで、その経験を「欲して」反復させる作用をもつのがドーパミンである。
・ドーパミンやオピオイドは皮質下という部分にある側坐核で分泌される。大脳皮質にある前頭前野は側坐核と回路がつながっていて側坐核にブレーキをかけるはたらきをする。側坐核と前頭前野からなるユニットがサニーブレインの回路を構成している。
・抑うつの人ではそうでない人と比べて、楽しさを感じた時に側坐核は同じように活性化したが、より急速に活性が減弱した。fMRIで脳をスキャンすることで、このような脳の部位の活性化が観察できる。
・また、楽観的な人では左脳の活動度が高く、悲観的な人では右脳のほうが活動度が高い。
・一方、レイニーブレインは、皮質下にある偏桃体という親指の爪くらいの大きさの組織が恐怖などの反応の中心をなし、大脳皮質にある前頭前野がそれを抑制するという構造をとっている。しかし、偏桃体から大脳皮質に向かう経路の数は逆方向の経路よりずっと多いため、恐怖の反応に対してはブレーキがかかりにくい。(偏桃体の反応性が高いと内向型になるというスーザン・ケイン「内向型人間の時代」の説明とも通じるところがある)
・このレイニーブレインによる警報機能が頻繁に活性化されると、警報の回路が必要以上に強まり、人は悲観的な思考形式へと押しやられ、暗く憂うつな思考につながり、悪ければ慢性的な不安障害に発展してしまう。
・アフェクティブ・マインドセットにはドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質が関与しており、これらのはたらきに影響を与える遺伝子上のスニップス(一塩基多型。遺伝子変異といったらわかりやすいか)としてよく知られているのが二つある。一つは、セロトニン運搬(トランスポーター)遺伝子で、脳内のセロトニンのレベルを調節し、ストレスへの耐性に関連している。もう一つは、ドーパミン受容体D4遺伝子で、快楽にまつわる心の動きに影響を与えている。
・セロトニンのいちばん重要な機能は気分の安定であり、脳内のハッピーケミカルと呼ばれる。セロトニンの機能がうまくはたらかないと不安症や抑うつが起こる可能性がある。セロトニン運搬遺伝子は、脳細胞とその周辺から余剰のセロトニンを運搬し再吸収に回す役目を果たすことで、脳内のセロトニン・レベルを適正に保ち、気分の浮き沈みのコントロールにかかわっている。この遺伝子は長いタイプLと短いタイプSがあり、ヒトは2本遺伝子を持つので、SS型、LL型、SL型の3種類に分かれる。SS型は遺伝子発現量が低くセロトニン再吸収が遅い。LL型は遺伝子発現量が高くセロトニン再吸収が早い。SL型はその中間である。
・セロトニン運搬遺伝子がSS型の人は他のタイプよりリスクに手を出す率が低かった。SS型やSL型は他のタイプより恐怖の表情を見たとき偏桃体がより激しい反応を示したので、脆弱な遺伝子と考えられた。Lタイプはさらに二つのタイプに分かれ、Laはセロトニン運搬力が高いが、Lgは珍しいタイプだがセロトニン運搬力が低くてS型に似ている。著者らの研究によると、遺伝子発現が低いSS型とLgLg型はそれ以外に比べて、逆境に弱いが、ポジティブな環境に置かれればそこからいちばん利益を受けることが多いため、「可塑的な」遺伝子でありまわりの環境に影響を受けやすいタイプであると結論付けた。
・脳内で学習や記憶に重要な役目をはたす海馬にはグルココルチコイド受容体が大量に存在している。この受容体はストレスに対する反応に関係し、発現量が少ないとストレスに対する反応が増大する。母親からの愛情が薄かったり、妊娠後期に母親が抑うつや不安に悩まされていると、赤ん坊のこの遺伝子のプロモーターがメチル化し、遺伝子発現量が低下しストレスに弱い子供が育つ。このように、環境は遺伝子のエピジェネティックな変化を介して楽観や悲観に影響する。
・人間が老いてもなお新たな脳細胞が作られるということが、それまでの常識をくつがえして1990年代に発見された。脳の可塑性の可能性が出てきた。脳細胞が増殖する場所として知られているのは海馬である。実際にタクシー運転手は複雑な道を覚えることで海馬が大きくなった。海馬は恐怖の学習にもかかわっている。
・無自覚のうちに発生する認識のバイアスが、それぞれの世界観に直接影響を与える。レイニーブレインが過剰に活動する悲観的な人は、ネガティブなものごとに目が行くし、どちらにも受け止められるような社会的サインを悪い方向に解釈する。いっぽう楽観的な人は、ポジティブな面に自然と引き寄せられるし、ものごとのよい面を見つめようとする。こうした心のバイアスは可塑的であり、有害な心のバイアスを修正するための方法として認知心理学者や臨床心理学者が「認知バイアスの修正」と呼ばれるコンピューターを使った簡単なプログラムを開発した。これは無意識下に作用する手法である。
・偏桃体を含む領域、側頭葉、前頭前野を結ぶ鉤状束と呼ばれる神経線維の太い束があり、この束の太さがその人の不安度と反比例するという。不安に弱い人は、パニックにかかわる中枢がもともと反応しやすい、前頭前野の働きが弱いため不安のコントロールがうまくいかない、さらに鉤状束が弱いため抑制のメッセージが伝わりにくい、ということから不安をしずめるのが困難になってしまう。脳の可塑性を考えると、年月をかけて繰り返された経験や学習が鉤状束を強める可能性を筆者は主張する。
・カウンセリング療法のひとつである認知行動療法は感情のコントロール力を高める作用があり、不安症や抑うつ症の治療に最適であることが多い。この療法は患者の意識レベルで作用し、何らかのガイドラインや方策を患者に提示することで、思考パターンや行動形式を変えようと試みるものだ。この療法がどんなメカニズムで脳に変化をもたらすのか正確にはわかっていないが、ひとつにはネガティブな認知バイアスを変化させられることにあると考えられる。認知バイアス修正法も認知行動療法も、偏桃体ではなく前頭前野の抑制中枢に作用することが実証されている。
・抗うつ剤は、シナプス接合部に存在するセロトニンなどの神経伝達物質を増加させる効果をもつ。抗うつ剤もネガティブな認知バイアスを弱めることがわかっているが、偏桃体に直接影響を与えると考えられている。
・注意集中法で瞑想を実践している仏教僧を対象に行った実験では、気が散るのを防いだり邪念を遠ざける前頭前野の回路の活性化は、瞑想初心者よりエキスパートのほうがずっと強かった。さらに瞑想の実践がはるかに多い超エキスパートでは、回路がそれほど活性化されていなくても、容易に集中モードに入れるという。
・瞑想の手法として、マインドフルネスという方法もよく知られている。この方法は、入ってくる感覚や頭に浮かぶ感情・思考を、判断したり反応したりすることなく心の中を通過させる。自分の認識に〈ラベルづけ〉することもよく用いられる手法で、これにより自分の感情を一定の距離を置いて眺めることができ、感情を効果的にコントロールできるようになるという。先駆的な研究としては、ジェフリー・シュウォーツがマインドフルネス認知行動療法を強迫性障害の治療に有効であることを証明し、ジョン・カバット・ジンはマインドフルネスストレス低減法を開発、マーク・ウィリアムズ、ジョン・ティーズデール、ツィンデル・シーガルは共同でマインドフルネスストレス低減法が抑うつの治療、とくに再発防止に効果があることを示している。マインドフルネスの度合いには個人差があり、強烈な表情の顔写真を見てラベルづけするテストにおいて、マインドフルネスの度合いが高い人は前頭前野に強い活性の波が起こったあと偏桃体の活動が静まった。逆にマインドフルネスの度合いが低い人は前頭前野の活動量はあまり変わらず偏桃体の恐怖反応は抑制されなかった。また、マインドフルネスストレス低減法を実践することで、抑制中枢のニューロンが増加する一方、偏桃体の密度が低くなっていることもわかった。
・豊かな人生を送る、幸福になるためには、ネガティブな感情をすべて排除するのではなく、ネガティブな感情1に対して、ポジティブな感情3のバランスを保つことが大事だという。


私自身、瞑想法の一つである坐禅を以前から実践している。認知行動療法やマインドフルネスについても前から興味は持っていたが、ここまで科学的に有効性が示されたからには、いよいよ学んでみなくてはならないと思っている。

【付記】
本の表紙の絵がかっこよくてキングクリムゾンのCDみたいだとひそかに思っていたら、同じようなことを言っているネット上の書き込みがあった。
著者のエレーヌ・フォックスは2015年7月末からNHK白熱教室に出演するようなので、こちらも見逃せない。


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