100万部を突破した「嫌われる勇気」の著者、岸見一郎によるNHK100de名著シリーズの一冊である。2年くらい前に「嫌われる勇気」を読んでアドラー心理学を知ったが、わかりやすいようでよくわからないアドラー心理学を復習して、すこし頭の中を整理してみようという気持ちで読んで(テレビも見て)みた。そして、子育ての仕方へのヒントにしたいというのがもう一つの動機である。岸見氏も子育てで悩んでいたときにアドラーの本に出会ったという。
アドラー心理学を学ぶ上で一つ前提として頭にとどめておくべきことは、アドラー自身、晩年は幸福ではなかったということだ。娘の失踪に心を痛めて不眠が続き67歳で心筋梗塞で亡くなっている。現代の認知行動療法ならこういうときどうすればいいか答えを出してくれるように思えるが、アドラー自らが作り上げた心理学でこの非常事態に心のバランスを保つことはできなかったようだ。歴史的には認知行動療法が出てくる前の理論だからそういう限界はあるにしても、役に立つところは参考にしたいと思う。内容は次の4回に分かれている。
第1回:人生を変える「逆転の発想」
普通われわれが考える「原因論」では、幼い時の境遇や過去の経験が今の自分の生き方を規定していると考えるが、アドラーの「目的論」では今の生き方は自分が選び取ったものだとする。その自分の人生の意味づけの仕方を「ライフスタイル」と呼び自分で決めているが、変えるのは簡単ではない。親の価値観や文化や賞罰教育が影響している。しかし、「ライフスタイル」は自分で選んだものなので、いつでも選び直せる。
第2回:自分を苦しめているものの正体
劣等感を何かができない言い訳に使うことを「劣等コンプレックス」という。その裏返しとして、自分を実際よりも優れているように見せようとするのを「優越コンプレックス」という。上司が部下に対して、教師が生徒に対して理不尽にしかりつけたりすること、さらにいじめや差別は「優越コンプレックス」のある人が引き起こす。健全な優越性の追求の仕方は、他人との競争ではなく、自分の中でマイナスからプラスを目指して前進することである。そして真に人生の課題を克服できる人は、ただ自分のためだけに優越性を追求するのではなく、他者への貢献を意識できる。
第3回:対人関係を転換する
対人関係の問題は、他者を自分の行く手を遮る「敵」と見なすことから生まれる。それは、親子関係、夫婦関係、友人関係、職場の対人関係すべてにいえる。それゆえに、他者との関係の中に入っていきたくないと考えてしまう。しかし、他者がいつもそんなに危険なわけではないし、生きる喜びや幸せも対人関係の中でしか得ることはできない。他者を敵ではなく「仲間」と考えられれば人生は大きく変わる。幼いころに親に甘やかされて育つと、他者が自分に何をしてくれるか、ほめられるかにしか関心を示さない、「承認欲求」を持った大人になる。例えば、子育てや認知症の親の介護などは、相手から「ありがとう」という言葉をかけてもらえないので承認欲求のある人にはつらいものとなる。相手からの「ありがとう」を期待するのではなく、その相手と一緒に過ごせたことに対して「ありがとう」と思えればそれで十分である。生きることは「ギブ&テイク」ではなく、「ギブ&ギブ」である。貢献感を持てれば、承認欲求は消える。承認欲求から脱却する3つの方法がある。1つ目は、他者に関心を持ち、相手の立場に立って理解するよう努めること。2つ目は、他者は自分の期待を満たすために生きているのではないし、自分も他者の期待を満たすために生きているわけではないことを知ること。3つ目は、重要なキーワード「課題の分離」である。自分の課題と相手の課題を分けて考えること。例えば、子どもが勉強しないとしても、それは子どもの課題なので、親は子どもに勉強しなさいとは言えない。勉強しなさいと言われることは、子どもにとっては自分の課題に土足で踏み込まれることを意味するので当然反発する。親が子どもに対してイライラしたり不安になるとしたら、それとどう向き合うかは子供ではなく親の課題である。岸見氏はそんな親には仕事や趣味に力を注ぐよう助言するという。一方で、子どもや他者から協力を求められたときは、「共同の課題にする」ことで協力することができる。
第4回:「自分」と「他者」を勇気づける
他者と結びついている、貢献しているという感覚が「共同体感覚」であり、それを持つことがアドラー心理学の目標である。共同体感覚とはどんな感覚なのか3つの観点から述べられる。1つ目は、ありのままの自分を受け入れる「自己受容」。自分を受け入れる方法の一つは自分の短所を長所に置き換えてみること。例えば、「集中力がない」は「散漫力がある」に、「飽きっぽい」は「決断力がある」に、「性格が暗い」は「優しい」に、言い換えるといい。自分に価値があると思えれば対人関係に中に入っていく勇気を持てるという。2つ目は、自分の存在や行動が共同体に役に立っていると思える「他者貢献」。「他者貢献」を自覚できれば「自己受容」にもつながる。3つ目は、他者を無条件で信じる「他者信頼」。「他者信頼」があれば「他者貢献」ができる。アドラーの教育論の基本は「勇気づけ」であり、親や教師が子どもに対して共同体感覚を持ち、対人関係の中に入っていく勇気を持てるように援助することである。そのために、「叱ること」と「ほめること」を認めていない。そういった行為は上下の対人関係を前提としているからである。対等な関係で貢献感を持つよう援助するために、親は子に「ありがとう」「助かった」ということが大切である。しかし、他の人から「ありがとう」といわれることを期待はしないこと、それを期待すれば承認欲求があることになる。
こうして見るとアドラー心理学には、仏教における自らは他人に支配されないとする「自灯明法灯明」、そして見返りを求めず他人に貢献する「利他の心」という2つの精神との共通点が感じられる。
さて、アドラー心理学の勧める教育法をどこまで実行できるだろうか。子どもを上から目線で叱ったりほめたりすることを減らすことはできたとしても、完全にやめることはできないだろう。子どもの能力ではなくがんばりをほめることはその子のやる気や成果の向上につながると、近年の研究で実証されているのだ。しかし、子どもに対して一人の人間として尊敬し感謝する気持ちは持てるし、意識して「ありがとう」と言葉をかけることはできるはずだ。
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