ゆみんばのブログ☆原点は絵手紙!

これが絵手紙?なんて言われるかも・・・
寄り道・漂流中の絵手紙ブログです

11/30「心恋」

2005-11-30 | Weblog
「うらごい」

「昔は心のことを、「うら」といいました。表面に出ている顔などを
「面」というのに対して、隠れている内面は、「うら」とか、「下」という
言葉で表したのですね。~~~中略~~~心恋は、心の中で、恋しく
思うこと。まだ恋を意識しはじめたころの、あまく淡い想いです。
~~~後略~~~それにしても、心の裏をかく人や、下心のある人が
増えて、「うら」も「した」も、印象のいい言葉ではなくなってしま
いましたね。」    (本文より)

ほんとですね~ 「心恋」文字だけ見ていたら、ほんわか綺麗♪
ところが、声にだして、読むと。。。さえないです(笑)
「うらごい」が綺麗な言葉に聞こえる世の中にしないとねぇ~
コメント

11/29「大器晩成」

2005-11-29 | Weblog
「たいきばんせい」

「~大方(たいほう)は隅(ぐう)無し。大器は晩成す。大音は
声希(こえまれ)なり。大象(たいしょう)は形無し。道は隠れて
名無し~~(老子)<大きな四角形は、角がないようにみえる。
大きな器は、なかなか完成しない。大きな音は、聞き取れず、
大きな形は、形としては見えない。すべての道は人間の認識を
越えたところにあるのだ。>大変奥深い老子の言葉です。」
     (本文より抜粋)

大器晩成を辞書で引くと・・・器の大きな人は、晩年に大成する。
そうなのですよねぇ~~大成する。でも、老子の言葉を読むと
完成しない器。なんだか仏教の「無」のようなものですね。
そして宇宙。近づけば近づくほど広がってゆく。
この本の結びは「完成しない器を作り続けていく・・・・これが、
人生なのかもしれません。」と。。。喜びあり、悲しみ、苦しみありの・・・
コメント

11/28「健気」

2005-11-28 | Weblog
「けなげ」

「健気は、普通ではない、特別だという意味の「異(け)なりげ」
という言葉が、変化したものだといわれます。昔は、どちらかというと
健康だという意味で使われていたようです。健康だということが、
普通ではない、貴重な時代だったのでしょう。~~中略~~~
現代は、身体の健康よりも、心の健康の方が当たり前のことではない
時代になってきたようです。」(本文より抜粋)

健気な様子をみると、抱きしめたいようないじらしさを感じますねぇ~~
やっぱり、普通でないことだからなのですね。
コメント (2)

11/27「天晴れ」

2005-11-27 | Weblog
「あっぱれ」

「すばらしい!お見事!思わず、そう叫ぶ瞬間、誰にでもあると
思います。天晴れと書きますが、これは、当て字です。
もともとは「あはれ」。「ああ・・・・」とか「あれ~」などと
同じで、自然に口から出てくる感嘆詞でした。その「あはれ」を
強調して言ったのがあっぱれ。」

「天晴れ!」そんな言葉が出てくるのは、気分は上昇!
そんな気分で、上向きに筆をつかって書いてみました。
読めないって? 感覚で読んで下さいな(笑)
素直に、相手のことを「天晴れ!」っていえるっていいですねぇ
コメント

11/26「掌」

2005-11-26 | Weblog
「たなごころ」

「手の平のことで、もともとは「手の心」だったそうです。
~~~中略~~~もし、よかったら、今、そっと両手を差し出して
みてください。掌、そう、手の心を上にして、あなたの心を、
ささげ持つように・・・どんな心が見えますか。
ふんわりとした、あたたかい心がのっかっているといいですね。」

どうでしたか? 私は、これを描いている時
ふんわり、あたたかい心がのっかかりますように。。。
そんな気持ちで描きました・・・ダメかなぁ~~
コメント (2)

11/25「機嫌」

2005-11-25 | Weblog
「きげん」

「「機嫌」の機はごんべんに幾と書いたそうです。
そしり、嫌う意味だったとか。。。嫌われないように
そしられないよう気を使ううちに、言葉も変化して
気分をさすようになったそうです。「ごきげんよう」
は、相手が気分良く過ごせますように・・・という
祈り。」(本文を自分なりに要約抜粋)

機嫌という漢字は、ついこの間まで「気嫌」とばかり
思っていました(笑)そのせいか、「機」という漢字
にはしっくりこないのです・・・・
そんな大間違い・思いこみってありませんか?
でも、ごきげんよう~っていう挨拶が、祈りって言うのは
よいですねぇ。では、みなさんこれにて「ごきげんよう~」
コメント (2)

11/24「時雨心地」

2005-11-24 | Weblog
「しぐれごこち」

「蝉時雨・虫時雨・木の葉時雨・落ち葉時雨・雪時雨・・・。
それぞれひとしきり降りそそぐ時に使われます。
そして、涙の時にも・・・。時雨心地とは、今にも泣きそうな
気持ちのこと。~~略~~~もよおした悲しみは、ひと時の
こと。通り雨のように、いつか過ぎていくもの。」

ここに出ている「~時雨」どれもいいですが、「落ち葉時雨」が
この時期にぴったりなので、じ~んときますね。
葉が落ちて行くとき、どんな気持ちなのかしら・・・
悲しいなんて、人間が勝手に思うことで
つかの間の、空中遊泳を楽しんでいるのかもしれないですねぇ~
コメント

11/23「浮世」

2005-11-23 | Weblog
「うきよ」

「戦乱・天災・飢饉・・・中世ごろまでは「憂世」と書いた
そうです。つらく、苦しいこの世。江戸時代になり、暮らしが
豊かになるにつれ、「浮世」に。「浮」には「定めのない、空しい」
「浮ついた」という意味に解釈するようですが「うきうきする」の
「浮」だと思いたいですね」(本文抜粋要約)

同感ですね~~ 「浮世」を離れて旅をする。。。なんていいなぁ~
ちゃんと世の中を感じているから、浮世を思うのでしょうね。
コメント (4)

11/22「琴瑟」

2005-11-22 | Weblog
「きんしつ」

「日本で一般に琴と呼ばれている楽器は、本当は、箏(そう)です。
その箏より大きく、弦も多いのが瑟(しつ)。5~7弦のものをさします。
一般的には、琴の伴奏楽器として瑟が使われることが多く、そこから、
夫婦をたとえていう言葉になったようです。~~~~中略~~~~
琴瑟とくれば「相和す」と続けますね。「相和す」・・・。どちらかが合わせ
ているのではなく、お互いが、合わせているのです。~~後略~~
お互いの言葉に耳を傾けることが、うまくいく秘訣だよ・・・
そう言っているようです。」(本文より抜粋)

「きんしつ」を変換すると、ちゃんと出てきました!
一般的な言葉だったのですねぇ~~私だけかなぁ 驚いているのは(笑)
本には、アンサンブルも、お互いの音を良く聴かないと、いい演奏はできないと
書かれていました。音楽。その言葉から今回のものになったのです。
♪にみえませんか?
コメント

11/21「伯仲」

2005-11-21 | Weblog
「はくちゅう」

「中国では、長男のことを、「伯」、次男のことを
「仲」というそうです。つまり、伯仲とはもともと
兄弟のことです。兄弟の力は、人から見れば、ほとんど
変わらない。そこから、同じような力で、優劣がつけられない
ことを伯仲というようになったそうです。~~中略~~~
でも、それは、実際にはささやかな違いなのです。そんな、
ささやかな違いに一喜一憂するよりも、それぞれの力を
認めてあげたいです。つい人と比べてしまう時は実力伯仲だと
いうことです。」(本文より)

この言葉は今でもよくつかいますよね。
でも、こんな成り立ちだとは!
実力伯仲の相手は兄弟なんだね~
コメント