ゆみんばのブログ☆原点は絵手紙!

これが絵手紙?なんて言われるかも・・・
寄り道・漂流中の絵手紙ブログです

4/22「花橘」

2006-04-22 | Weblog
「はなたちばな」

「橘は蜜柑の古名といいましたが、今では、橘というと別の
植物のことです。田道間守が、常世の国から戻ってきたのは
九年後。その時すでに、彼を派遣した垂仁天皇は亡くなって
いました。田道間守は、天皇の墓の前で泣き崩れ、橘(蜜柑)
の実を供えて、後を追ったといわれています。甘酸っぱい
香りは、胸がきゅんと締めつけられるような思い出が、いっ
ぱい詰まっているからなのかもしれません。」(本文より抜粋)

去年、4月23日からの言葉を書き始め、今日で繋がりました♪
見て下さった皆さん、有り難うございました!
そして、この本の著者山下景子様有り難うございました!

さて・・・明日は・・・そうですねぇ~今のところ白紙なのです。
しばらく、充電期間とさせていただきます。

最後になりましたが、山下景子さんの新刊のご紹介を!
「美しい暦のことば」(インデックス・コミュニケーション)
「美人のいろは」(幻冬舎) 好評発売中ですよ♪
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4/21「常世草」

2006-04-21 | Weblog
「とこよぐさ」

まさか、蜜柑(みかん)のことだとは・・・
お隣の三重県は蜜柑の産地です。
すると、この近辺は理想郷?そんなことはないか(笑)
でも温暖で過ごしやすい土地です。

「その昔、垂仁天皇は、常世の国に、田道間守(たじまもり)を
遣わし、9年後、持ち帰った果実が「常世草」
昔は、蜜柑のことを橘(たちばな)といいました。「田道間守花」
(たじまばな)が縮まって「橘」。そして密のように甘かったから
蜜柑に。今では当たり前に食べている蜜柑。理想郷へのあこがれが、
いっぱい詰まっているのですね。」(本文要約・抜粋)
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4/20「虹」

2006-04-20 | Weblog
「にじ」

「中国の人は、虹というのは、龍が天に上る姿だと思って
いたそうです。空が泣いた後に劇的に現れる七色の虹は、
希望の形そのもの。大自然から私たちへのすばらしい贈り
物のように思えます。」(本文より抜粋)

一番上はトンパ文字で虹。その下二つは象形文字です。
トンパ文字も龍です。そして下のは椅子ではないですよ~
両端は龍だそうです。さらに簡略したのが三番目。
「虹」の虫は龍だったのですねぇ~~私はテントウムシ
かなぁ~と・・・・小さい虹だ(笑)
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4/19「餞」

2006-04-19 | Weblog
「はなむけ」

「昔は、旅立つ人の乗った馬の鼻を、行き先へと向けて
見送るという習慣があったそうです。そこから、馬の鼻向け
という言葉ができました。本当にやりたいことであれば、きっと
たくさんの人の瞳が、あなたの背中を押してくれます。どうか、
進みたい方向をまっすぐに見つめてください。」(本文より抜粋)

「はなむけ」この言葉の漢字が「餞」とは少し以外な気がしませんか。
柔らかさがないというのか・・・こんな時は象形文字ですね♪
ちょっと背中を押してあげました。え?背中を蹴っているみたい
だって?(笑)
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4/18「草分け」

2006-04-18 | Weblog
「くさわけ」

「「草分け」とは、初めて事を起こす人のことです。
草深い未開の地に踏み込み、新しい土地を開拓するという
意味でした。文字どおり、草を分けて、進んでいくこと
だったのですね。~~中略~~今では、縦横にたくさんの
道ができ、道路も、人生の道も、昔に比べて、自由に選択
できるようになりました。これも、無数の草分けたちのおかげ
なのです。初めはそこに道はなかったのですから・・・・」

自分の命は繋がっている・・・生きている間、少しでも
草を分け、道作りのお手伝いをして、次の世代に繋げない
ものです・・・夢子さんの文章を読んで、考えたことです。
何かしなくてはねぇ~~でも、難しい・・・

クレヨンで描いてみました。
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4/17「堪忍袋」

2006-04-17 | Weblog
「かんにんぶくろ」

「~堪忍の袋は常に胸にかけ、破れたら縫え、破れたら縫え~
(徳川家康)「人の一生は、重荷を背負うて遠き道を行くが
如し」といった家康の一生は苦労の連続。今日は家康の命日。
よかったら、小さな堪忍袋をぶらさげてみませんか。それも、
心の奥底にしまっておくのではなく、気軽に、胸にかけて
みましょう。」(本文より抜粋)

「堪忍袋」この袋を破らないようにヒヤヒヤしているより、
破れたら何度でも縫う!アッケラカンですね~~
大きな袋だったら、穴も大きくなるから、小さい袋d(^_^o) ネッ
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4/16「夢路」

2006-04-16 | Weblog
「ゆめじ」

「夢と現(うつつ)を結ぶ道。そして夢の中の道。
それが、夢路です。昔は、夢の中に人が出てくると、
自分を思って会いにきたのだと考えました。~~略~~
今では、夢を見ている人の抑圧された潜在意識が、夢を
見させるというのが定説です。夢に出た人を思っているのは、
自分の方だという考え方です。でも、恋しい人がたずねてくる
夢路なら、あった方がうれしいですね。」(本文より抜粋)

「思っているひと」と夢路で逢えましたか?
私は何回か、父母と逢ってます♪
もっとも、とりとめのない映像?かな・・・・
そんな目覚めは、「微笑み目覚め」(^-^ ) ニコッ
今夜も夢で逢えたらいいなぁ~~おやすみなさい
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4/15「終日」

2006-04-15 | Weblog
「ひねもす」

「心地よい夢は、こんなふうに、のたりのたりと、
心の中で寄せては返すことを繰り返すのでしょう。
でも、それがいいのです。あなたの夢が潜在意識に
浸透するように、何度も繰り返しましょう。ゆったりと
まどろみながら。」 (本文より抜粋)

ひねもす・・・・というと「のたりのたり」ですねぇ~
最近、どうも調子がでないと思っていたら、きっと
春の海になっていたのですねぇ(笑)
のんびりした字にしたかったので象形文字を使いました。
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4/14「有頂天」

2006-04-14 | Weblog
「うちょうてん」

「仏教では、欲界、色界(清らかな世界)、無色界(精神的世界)の
三界を魂はさまよっていると考えるそうです。その無色界の頂点に
位置するのが有頂天。たいていの人にはたどりつけない境地ですから、
本当は、なかなか有頂天になれないわけですね。「有頂天になっている」
という時は、いましめの気持ちも含まれているような気がします。
気持ちだけ舞い上がり、大切なものを置き去りにしていませんか。」
       (本文より要約抜粋)

私の場合、この言葉を使うときは殆ど「いましめ」ですねぇ
「有頂天になるな!ポカッ!」(笑)
でも、語源を知って、納得です。やすやすと有頂天になっては
ダメなんですね~自分に「渇!」で正解♪
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4/13「青春」

2006-04-13 | Weblog
「せいしゅん」

「中国の五行説では「木火土金水」の五つが、天地万物の
すべてのものに当てはまると考えられました。ここから、
青春、朱夏、白秋、玄冬という言葉ができ、人生に当てはめ
られるようになったということです。青春の次には、朱い夏
が待っていたのです。人によって季節の色のイメージが違う
ように、青い春だけにこだわることはないのかもしれませんね。」
    (本文より抜粋要約)

なんでも考えかた次第ですね~青春のあとの色なんて考えもしなかったです。
でも、朱夏も通り過ぎて、白秋?玄冬?のあたりかなぁ(笑)
その時々で、一番良い色をだせたらいいなぁ~
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