70才。役に立つ話が次々現われる。

世界で最低の日本人の声を改善する方法を95%まで独自に確立しました。

病気疾患、治療超面白い。

2013年04月24日 09時26分09秒 | Weblog

 

 昨夜テレビで子宮けいけい癌の手術を見た。

 30才で全摘を宣言された新婚の妻は、死の苦しみを味わう。

 日本ので一人癌を切り取って、子供を生ませた医師が登場した。

 結果は成功で40才で2人の子供を持っていた。

 椎間板ヘルニアも手術後1日で元気に退院していた。

 自慢になるとこまるのだが5分で声がリセットされて、好調時に戻るなど『信じられない、嘘つき』だと思われることを実現している。

  本当に生きていてよかったがあります。

 


医師が絶対に悪くなる妻が改善へ

2013年04月24日 08時43分14秒 | Weblog

 

 難病の妻は67才なのに寝たきりだ。

 食事はミキサーにかけてトロミでえん下しやすくする。

 酸素は24時間鼻から供給する。尿道に管を入れて外の袋に貯める。

 左手はコンクリーで固めた様に動かない。

 2人の医師はこのままどんどん悪くなると言う。

 それでも家で介護する。

 人生の最後は夫の責任で看とるわけだ。

 ところがどんどん良くなる。

 食事は我々と同じで、自分の箸で食べる。

 左手でカップをもつて右手で蕎麦を食べたりする。

 着替えの時、両足を高くあげてはきやすくする。

 まだまだ改善しそうだ。

 歩行機械で自力で歩くが今の目標だ。

 周りの努力か、本人の意思か。

 もっといい報告がかけるかも。 


妻66才で死へ向かう。助けるぞ私は

2013年04月23日 20時26分40秒 | Weblog

 

 妻は多系統萎縮症と言う難病である。発症は20年も以前にあった思われる。

 難病と認定されたのは約6年前だ。

 昨年末、肺炎で緊急入院する。風邪を引くと一段とわるくなる。1週間も寝込むと前の状態に戻らない。歩けていたのが歩けなくなる。立つことも難しくなる。

 それが肺炎で1ヶ月も入院すると「寝たきり」になる。リハビリしても元には戻らないのです。

 川崎市民病院は2ヶ月で退院しなければならない。

 次は療養型病院だ。そこは確実に死へ向かうための病院だ。

 私は妻を自宅で介護することにした。退院の前に医師は家族、特にご主人の命を縮めますよと言われた。

 退院して4ヶ月。今ではミキサー食が普通食になり、飲み込みが悪いためトロミを混ぜるもなくなり、排尿の管も外せて、酸素吸入も24時間から1時間ぐらいになり、痰、食べ物が気管に入るを吸引はゼロである。

 左半身麻痺で左手はコンクリートのように固まり、リハビリを行うと「イタイイタイ」と泣き叫ぶ。

 体全体も固まり、寝たきり状態だったのが改善されて、健全な時の70%ぐらい回復した。

 左手でカップを持ち右手で箸を持ち自分で食事している。

 おかきでもばりばり食べる。

 今は介助で立つことから、歩行器で歩けるかに挑戦している。

 絶対良くならない。どんどん悪くなると断定した医師も複雑な表情で診察してくださる。

 要するに寝たきりから脱出しつつある。

 それは私がボイストレーナーとして長年苦労してきたからか。

 

 

 

 


要介護5チュウブに繋がるを回復させる

2013年04月23日 10時06分06秒 | Weblog

寝たきりの妻が肺炎になる。最悪だ。難病で介護5最高レベルに悪い。

 川崎市民病院に入院。しかし2ケ月で退院しなければならない。

 次は死ぬのを待つだけの病院だ。病室を見学するとチュウブに繋がれた老人ばかりだ。

 しかも延命治療はしないと言う。66才でお別れか。

 川崎市民病院を出るとき、改善は無理だと医師から言われた。

 家に連れ帰る。

 食事はミキサーにかけてトロミをつける。飲み物が一番危ない。

 尿道に管を入れて貯める。

 目は虚ろで言葉もあやしい。左手は動かない。握りこぶしはコンクリーで固めたようだ。

 さて3ケ月でどこまで改善はさせたか述べるのがたのしみだ

 


要介護5チュウブに繋がるを回復させる

2013年04月23日 10時06分06秒 | Weblog

寝たきりの妻が肺炎になる。最悪だ。難病で介護5最高レベルに悪い。

 川崎市民病院に入院。しかし2ケ月で退院しなければならない。

 次は死ぬのを待つだけの病院だ。病室を見学するとチュウブに繋がれた老人ばかりだ。

 しかも延命治療はしないと言う。66才でお別れか。

 川崎市民病院を出るとき、改善は無理だと医師から言われた。

 家に連れ帰る。

 食事はミキサーにかけてトロミをつける。飲み物が一番危ない。

 尿道に管を入れて貯める。

 目は虚ろで言葉もあやしい。左手は動かない。握りこぶしはコンクリーで固めたようだ。

 さて3ケ月でどこまで改善はさせたか述べるのがたのしみだ

 


全魚連、20万隻一斉休漁、検討

2013年04月23日 08時36分55秒 | Weblog

 

 安倍総理よ。円安で誰が儲かり、未来の発展に繋がるのか。

 5月に20万隻が休業する予定だ。これは政府に対する抗議だ・デモだ。

 円安で輸出産業が伸びると政府は言う。しかし輸出、輸入の採算は日本のマイナスだ。

 例えば家電で韓国に日本は大負けだ。これは円高のせいではない。

 日本の家電業者がウサギと亀の戦で負けたウサギになっているのだ。

 一要因に日本の大手メーカーから優秀な人材が韓国に流出した。

 ウサギはその自慢の足の腱を抜かれて、走れなくなっていたのだ。

 このままでは庶民や中小・零細企業だけが損をする方向に走るだろう。

 大手だって足腰は強くない。

 数年後に「国の借金が増えただけ」儲けたのは外国ファンドで終わるだろう。安倍国賊総理の見出しも大きく出るかも。

 


新宿伊勢丹、狛江までチラシ撒く

2013年04月23日 08時20分30秒 | Weblog

 

 新宿伊勢丹がオープニングバザールとして、チラシを都内に大量に新聞に挟んだ。

 ヤマダ電気並みの広範囲だ。

 裏面にはワコールビッグバザールの一面だ。外国性のブランド下着でブラージャー、パンテーが多い。最高金額のドイツブランドパジャマでも10、290円だ。

 4月24日から29日までのお祭りだ。

 それにしてもチラシ代だけでもかなりの金額だろう。ワコールが半額持つにしても、大変だ。

 やはりユニクロの影響がでているのか。

 新宿も渋谷も立派な大きなビルが全館ユニクロになっている。

 東急線・横浜高速みなとみらい線から乗り換えなしで、伊勢丹新宿店へとあった。

 そうか横浜から渋谷で降りるよりも新宿のほうが便利がいいのか。

 


道を5人横一列、慈恵医大看護生

2013年04月22日 09時30分30秒 | Weblog

 

  朝、狛江の方から国領へ自転車で向かうと南国領辺りを歩道一杯に横一列で歩く慈恵医大看護学校の学生に出会う。  3m足らずの道幅なので自転車がすり抜ける幅がない。

楽しそうに話しに夢中でよけてくれない。植え込みに自転車を止めて待つ。

  将来人のお命に関わる仕事につく人達がマナーが欠如していては安心して任せられない。

  これと同じで慈恵医大看護学校の学生が自転車で走りながらメールをしている。

  怪我人が出たらどうするのか。


道を5人横一列、慈恵医大看護生

2013年04月22日 09時28分01秒 | Weblog

 

  朝、狛江の方から国領へ自転車で向かうと南国領辺りを歩道一杯に横一列で歩く慈恵医大看護学校の学生に出会う。  3m足らずの道幅なので自転車がすり抜ける幅がない。

楽しそうに話しに夢中でよけてくれない。植え込みに自転車を止めて待つ。

  将来人のお命に関わる仕事につく人達がマナーが欠如していては安心して任せられない。

  これと同じで慈恵医大看護学校の学生が自転車うで走りながらメールをしている。

  怪我人が出たらどうするのか。


声・手ぶらで帰せない。私の信念

2013年04月22日 07時06分31秒 | Weblog

 

 原則として月3回から2回で、2時間足らずのトレーニングで、高みに向かわえるのは至難の業だ。

 それが2ヶ月も間が空くと「不可能」と言う文字が完全に当てはまる。

 しかし生徒さんにはそれぞれの事情があり、インフルエンザ、ノロウイルス、爆弾低気圧、乗り物の人身事故など参加できない事情が多くある。

 Vigilente のボーカルは4ヶ月もブランクがあった。この間、4回以上のライブはあったはずだ。ヘビメタは人間の声を壊す歌だ。毎週トトレーニングしても追いつかない。

 それが120日以上のブランクだ。それでも稽古に現れる限り、手ぶらで帰すわけにはいかない。この信念が私を高みに押し上げた。

 先日、ヘビメタ君が現れた。2時間後には120日の空白を完全に埋めると突発的に、ある方法を行う。初めての試みだ。

 3分で絶好調の声に戻った。5分後には名古屋に帰ってもいいよと私は叫んだ。凄いことなのです120日間のブランクを3分で埋めるとは。結局、1時間で名古屋に帰った。

 昨日、女性4名が参加した。みんな調子が悪い。一人は2ヶ月間、一人は1ヶ月間のブランク。一人は難聴だ。これでも手ぶらで帰すわけにはいかない。

 ここで女性には禁じていた、ヘビメタ君の方法を行う。ある意味で危険だ。私は命がけだ。

 成功、4名とも一番いい状態に20分ぐらいで戻せた。

 みんなご機嫌で帰っていった。「いい声」と言うお土産を貰ったからだ。

                                              幸せ。