われはアルファなりオメガなり、生と死の鍵を持つ、永遠に輝く不滅の生命なる者である。
冷たい風の中で梅の花が喜んで咲いていますよ。梅の花の喜びは神の悦びですよ。
今此処に、永遠の喜びを花びらにたくして、生きる梅の花の真心。
予言的であり透視的な夢の分析・・・最終回
毎年六月にカナダ大寺院の副監督をして友人と一緒にパーテイに行く事になっていたウースター博士が自分の夜会服のワイシャツの飾りボタンにはめ込んである大きな澄み切った真珠を指差して、それを証拠だてるための日記を見せて話したのである。
この立派な真珠のボタンは息子が見ることもはめる事も赦さないほど大切にしていたのです。
ところがある晩タドウサックホテルのダンスパーテイに行こうとして、
彼の息子がこっそりと借り出してホテルのダンスパーテイに行ったのです。
彼の家から道に出るには玄関から釘付けにした板道がつづいていました。
息子は朝の午前三時頃帰ってきて素早く、また静かに自分の寝室に行こうと思いながら、此の板道をかけ上り寝室に着いて服を脱ぎ始めました。
驚いたことに自分が内緒でつけた父の大切にしていた大きな真珠のボタンがなくなっていたのでした。
自分の服の中をくまなく探し、ホテルへ引き返しました。
少女や少年達の助けを借りてすべての部屋を探しましたがどうしても真珠のボタンは見つかりませんでした。
彼はその夜の時間のすべてを使い、自分の家の周り、道路を探しましたが無駄でありました。
翌朝家族全部で毎日時間を利用してホテル、道路等を綿密に捜索し懸賞金まで懸けましたが見つかりませんでした。
九月になって家族は望みを捨てて本宅に帰りました。
ところがその冬の一月に少年の息子は夢を見ました。夢の中で彼と家族はタドウサックに住んでいました。
そして彼と父は板道をはがしていました。
すると上の段から数えて八番めと九番めの敷板の紛失した真珠のボタンがはまって、板の下の地上に転んでいるのを発見しましたのであります。
その時この副監督は自分の息子の夢を大して重要していませんでした。
それでも日記に記録してして置いたのが証拠であるとして見せたのが、その日記であったのです。
そして次ぎの夏、タドウサックの別荘に来て夢のことを思い出しので、
日記に従って、八番めと九番めの敷板をはがして見たところ、
丁度その夢に見た場所に真珠のボタンが転んでいたというのであります。
これらの出来事は潜在意識の予言的能力、透視能力を考慮に入れなければ説明が出来ないのであります。
現在意識は落ちた場所を認識していないが、潜在意識の心が注意深くその事を認識していたのであります。
その紛失した特定した場所を、機会を待って、夢の中で詳細に知らせたのである。
これらの事実から潜在意識は現在意識で聞くことも出来ないこと聞きことが出来、
また現在意識で達することの出来ない距離を越えることが出来、
そして時間も超えることも出来るのではないかと思われ、このことにより予言的なことを成しえることを肯定しなければならないと思われます。
私の経験でも、夢ではありませんが、車の鍵を見失ったことがあります。
車の中をくまなく捜し、また庭、服、バック、玄関、部屋の中まで詳細に捜しましたが見つかりません。
翌朝、瞑想(神想観)していますと車の後部座席のヘッドレスとシートの間に鍵のイメージがありましたので、その場所に行って見ますと、後部座席のヘッドレスとシートの間の見えない所にはさまっていました。
この事実も現在意識では鍵のある場所を認識出来ませんが、潜在意識は私の行動の全てを認識していて、また肉眼では見ることが出来ない場所をも認識していて、ある機会(瞑想時)に現在意識に認識させることが出来たことであります。
夢は潜在意識の成せる業であり、また彩であります。
潜在意識は意識全体の九十五%程を占めていますので、運命を左右する鍵を握っています。
この潜在意識を浄化して、健全なる道へと導く必要があります。
これらの善の方向性へと導くには現在意識が鍵を握っています。
現在意識でたゆまなく明るい創造、聖書、仏教書、明朗な肯定的な思想、明るい神の教えである、
人間は罪も無い、病も無い、迷いも無い、神の子であり永遠なるものであることを認識して、
明るい言葉の力を使って魂を鼓舞して光明生活を送ることが潜在意識の浄化となり、魂の向上につながります。
このことが運命の改善になり、本当の幸福を得ることになります。
毎年六月にカナダ大寺院の副監督をして友人と一緒にパーテイに行く事になっていたウースター博士が自分の夜会服のワイシャツの飾りボタンにはめ込んである大きな澄み切った真珠を指差して、それを証拠だてるための日記を見せて話したのである。
この立派な真珠のボタンは息子が見ることもはめる事も赦さないほど大切にしていたのです。
ところがある晩タドウサックホテルのダンスパーテイに行こうとして、
彼の息子がこっそりと借り出してホテルのダンスパーテイに行ったのです。
彼の家から道に出るには玄関から釘付けにした板道がつづいていました。
息子は朝の午前三時頃帰ってきて素早く、また静かに自分の寝室に行こうと思いながら、此の板道をかけ上り寝室に着いて服を脱ぎ始めました。
驚いたことに自分が内緒でつけた父の大切にしていた大きな真珠のボタンがなくなっていたのでした。
自分の服の中をくまなく探し、ホテルへ引き返しました。
少女や少年達の助けを借りてすべての部屋を探しましたがどうしても真珠のボタンは見つかりませんでした。
彼はその夜の時間のすべてを使い、自分の家の周り、道路を探しましたが無駄でありました。
翌朝家族全部で毎日時間を利用してホテル、道路等を綿密に捜索し懸賞金まで懸けましたが見つかりませんでした。
九月になって家族は望みを捨てて本宅に帰りました。
ところがその冬の一月に少年の息子は夢を見ました。夢の中で彼と家族はタドウサックに住んでいました。
そして彼と父は板道をはがしていました。
すると上の段から数えて八番めと九番めの敷板の紛失した真珠のボタンがはまって、板の下の地上に転んでいるのを発見しましたのであります。
その時この副監督は自分の息子の夢を大して重要していませんでした。
それでも日記に記録してして置いたのが証拠であるとして見せたのが、その日記であったのです。
そして次ぎの夏、タドウサックの別荘に来て夢のことを思い出しので、
日記に従って、八番めと九番めの敷板をはがして見たところ、
丁度その夢に見た場所に真珠のボタンが転んでいたというのであります。
これらの出来事は潜在意識の予言的能力、透視能力を考慮に入れなければ説明が出来ないのであります。
現在意識は落ちた場所を認識していないが、潜在意識の心が注意深くその事を認識していたのであります。
その紛失した特定した場所を、機会を待って、夢の中で詳細に知らせたのである。
これらの事実から潜在意識は現在意識で聞くことも出来ないこと聞きことが出来、
また現在意識で達することの出来ない距離を越えることが出来、
そして時間も超えることも出来るのではないかと思われ、このことにより予言的なことを成しえることを肯定しなければならないと思われます。
私の経験でも、夢ではありませんが、車の鍵を見失ったことがあります。
車の中をくまなく捜し、また庭、服、バック、玄関、部屋の中まで詳細に捜しましたが見つかりません。
翌朝、瞑想(神想観)していますと車の後部座席のヘッドレスとシートの間に鍵のイメージがありましたので、その場所に行って見ますと、後部座席のヘッドレスとシートの間の見えない所にはさまっていました。
この事実も現在意識では鍵のある場所を認識出来ませんが、潜在意識は私の行動の全てを認識していて、また肉眼では見ることが出来ない場所をも認識していて、ある機会(瞑想時)に現在意識に認識させることが出来たことであります。
夢は潜在意識の成せる業であり、また彩であります。
潜在意識は意識全体の九十五%程を占めていますので、運命を左右する鍵を握っています。
この潜在意識を浄化して、健全なる道へと導く必要があります。
これらの善の方向性へと導くには現在意識が鍵を握っています。
現在意識でたゆまなく明るい創造、聖書、仏教書、明朗な肯定的な思想、明るい神の教えである、
人間は罪も無い、病も無い、迷いも無い、神の子であり永遠なるものであることを認識して、
明るい言葉の力を使って魂を鼓舞して光明生活を送ることが潜在意識の浄化となり、魂の向上につながります。
このことが運命の改善になり、本当の幸福を得ることになります。
フロイドの夢の分析・・・⑦(神話的夢)
またまた機器の故障で来週が思いやられます。
外国製の機器は故障すると大変です。修理の部品等が外国から取り寄せる事があり、即応することが困難であります。
以前もフランス製の機器の故障で、フランスの技師と日本の技師の考えの相違でうまく調整が出来なかったことがあります。
人間は男性と女性との両性を兼ね持ち合わせている。
フロイドは生物学的、心理学的、何れの意味においても純粋の男性又は女性は存在しないといっています。
自分の生物学的な性の特質と異性の生物学的特質の混同であり、
能動性と受動性との合一であるということが観察により示されていると云っています。
一人の女性が夫が性的不能症により夫婦関係がうまくいかないことにより、潜在意識の中に他の男性に誘惑されたいものがあり、それを無意識に知っていることにより外出に恐怖心を持っているのである。とフロイドは言っている。
この外出恐怖症の女性は、子供の時から何時も『男に生まれて来たら』と云っていたのです。
彼女は生まれつきのお転婆娘であったのである。そして一人の兄がいたが、その兄と自分を同一化して自分と兄とを同性のように思っていたのです。汽車から覗いてみてムスメ(性器)が見えなかったと云うことは本来あったものを失った。
女児は男児の去勢されたものという幼児的な去勢恐怖が潜在意識に残っていたものが現れたのである。
子供の時のこのような性に関する観察の話をすると、彼女は直ちにフロイドに答えて次ぎのように言うのだった。
『こんな話がございます。ある男の子に切られちゃったのと聞いた女の子はイイエ、前からこうなの、と答えたのですって。』
神話的夢
夢に現れる象徴は、その人個人のみに限られた象徴を使うのでなく、
民族、全人類の無意識的想念の中に宿っている想念の象徴化の法則を使うのであるから、
同じ象徴が、古代伝承の民話神話等に出てくる象徴と同一の形が現れる。
聖書のモーゼが杖で岩を指し、水を噴出させた故事があります。
この杖は夢の象徴のステッキ等が男性の性器の一部を現すと示されています。
モーゼは神の命令に背いて自分の力で、岩から水を出したので、約束の地に入ることが出来ないと神が告げ給うたと云うのである。
フロイドはこれを解釈して『夢に於いては明白に男根である所の杖を禁ぜられているのに拘わらず、
自分でつかんで、その杖をもって打つことによって水を出すこと、これらはすべて嬰児的自慰の主要契機を現すものである』といっています。
自然の契機で水が出たのであるならば、約束の地に入ることが出来るのだが、
人為的に快楽を求めたのではエデンの楽園から追放されるより仕方がないことが、
モーゼの神話に内在する意義であります。
C・Gユングも『夢における精神の自己示現』において精神が心としてあらわれるのは神話類型の性質を持っていることが直ちにわかる。
即ち精神といわれる現象は、意識以前に人間の心の素地に普遍的に存在する自律的な原像でも遭遇したが、
それも患者の夢の研究の時遭遇した。と言っている。
・・・続く
またまた機器の故障で来週が思いやられます。
外国製の機器は故障すると大変です。修理の部品等が外国から取り寄せる事があり、即応することが困難であります。
以前もフランス製の機器の故障で、フランスの技師と日本の技師の考えの相違でうまく調整が出来なかったことがあります。
人間は男性と女性との両性を兼ね持ち合わせている。
フロイドは生物学的、心理学的、何れの意味においても純粋の男性又は女性は存在しないといっています。
自分の生物学的な性の特質と異性の生物学的特質の混同であり、
能動性と受動性との合一であるということが観察により示されていると云っています。
一人の女性が夫が性的不能症により夫婦関係がうまくいかないことにより、潜在意識の中に他の男性に誘惑されたいものがあり、それを無意識に知っていることにより外出に恐怖心を持っているのである。とフロイドは言っている。
この外出恐怖症の女性は、子供の時から何時も『男に生まれて来たら』と云っていたのです。
彼女は生まれつきのお転婆娘であったのである。そして一人の兄がいたが、その兄と自分を同一化して自分と兄とを同性のように思っていたのです。汽車から覗いてみてムスメ(性器)が見えなかったと云うことは本来あったものを失った。
女児は男児の去勢されたものという幼児的な去勢恐怖が潜在意識に残っていたものが現れたのである。
子供の時のこのような性に関する観察の話をすると、彼女は直ちにフロイドに答えて次ぎのように言うのだった。
『こんな話がございます。ある男の子に切られちゃったのと聞いた女の子はイイエ、前からこうなの、と答えたのですって。』
神話的夢
夢に現れる象徴は、その人個人のみに限られた象徴を使うのでなく、
民族、全人類の無意識的想念の中に宿っている想念の象徴化の法則を使うのであるから、
同じ象徴が、古代伝承の民話神話等に出てくる象徴と同一の形が現れる。
聖書のモーゼが杖で岩を指し、水を噴出させた故事があります。
この杖は夢の象徴のステッキ等が男性の性器の一部を現すと示されています。
モーゼは神の命令に背いて自分の力で、岩から水を出したので、約束の地に入ることが出来ないと神が告げ給うたと云うのである。
フロイドはこれを解釈して『夢に於いては明白に男根である所の杖を禁ぜられているのに拘わらず、
自分でつかんで、その杖をもって打つことによって水を出すこと、これらはすべて嬰児的自慰の主要契機を現すものである』といっています。
自然の契機で水が出たのであるならば、約束の地に入ることが出来るのだが、
人為的に快楽を求めたのではエデンの楽園から追放されるより仕方がないことが、
モーゼの神話に内在する意義であります。
C・Gユングも『夢における精神の自己示現』において精神が心としてあらわれるのは神話類型の性質を持っていることが直ちにわかる。
即ち精神といわれる現象は、意識以前に人間の心の素地に普遍的に存在する自律的な原像でも遭遇したが、
それも患者の夢の研究の時遭遇した。と言っている。
・・・続く
フロイドの夢の分析・・・⑥(夢分析に必要な用語集)
フロイドが分析上の指摘した用語を紹介。
皇帝、皇后、或は王、女王は多くの場合は夢を見た本人の両親の象徴である。
ステッキ、樹木の幹、傘、ネクタイ、ナイフ、槍等の長い棒状のものは男性の性器などの男性的なものを象徴する。
箱、容器、戸棚、花瓶、ストーブ、家屋等のあるものを内包するものは女性的なもの或はその一部を象徴する。
鍵と鍵穴とは閉ざされているものとそれを開くための道具とを象徴する。
教会も女性の一部を象徴する。
ヘルメット、婦人の帽子等は男性の一部の象徴である。
階段等を登る夢は性行為の象徴である。
なめらかな壁は人間の粘膜や皮膚をあらわす。
子供が夢に出てくると妊娠又は女性の一部に象徴される。
フロイドのこれらのグロッサリーには西欧の習慣、神話等が影響している。
フロイドは夢の分析のグロッサリーにはリピドー(性的欲望の昇華)として捉えているところが多々あります。
幼い精神の本能的な『性的欲望の昇華』から『文化的な欲望の昇華』、
さらにはこの欲望の昇華(動的エネルギー)が肉体的な昇華でない
内なる精神的な霊的エネルギーの『超自我への昇華』の欲求に向かい高い精神の高揚を勝ち取るに到ることになります。
・・・続く
フロイドが分析上の指摘した用語を紹介。
皇帝、皇后、或は王、女王は多くの場合は夢を見た本人の両親の象徴である。
ステッキ、樹木の幹、傘、ネクタイ、ナイフ、槍等の長い棒状のものは男性の性器などの男性的なものを象徴する。
箱、容器、戸棚、花瓶、ストーブ、家屋等のあるものを内包するものは女性的なもの或はその一部を象徴する。
鍵と鍵穴とは閉ざされているものとそれを開くための道具とを象徴する。
教会も女性の一部を象徴する。
ヘルメット、婦人の帽子等は男性の一部の象徴である。
階段等を登る夢は性行為の象徴である。
なめらかな壁は人間の粘膜や皮膚をあらわす。
子供が夢に出てくると妊娠又は女性の一部に象徴される。
フロイドのこれらのグロッサリーには西欧の習慣、神話等が影響している。
フロイドは夢の分析のグロッサリーにはリピドー(性的欲望の昇華)として捉えているところが多々あります。
幼い精神の本能的な『性的欲望の昇華』から『文化的な欲望の昇華』、
さらにはこの欲望の昇華(動的エネルギー)が肉体的な昇華でない
内なる精神的な霊的エネルギーの『超自我への昇華』の欲求に向かい高い精神の高揚を勝ち取るに到ることになります。
・・・続く
フロイドの夢の分析・・・? (夢の改作・削除・寸断)―潜在意識を赦し和解の道へ goo.gl/r2c5FJ
フロイドの夢の分析・・・⑤ (夢の改作・削除・寸断)―潜在意識を赦し和解の道へ fb.me/53I45PTNK
フロイドの夢の分析・・・⑤(夢の改作・削除・寸断)
天の愛と地の愛と。父の愛と母の愛と。天の生気と地の生気と。
両々そろって万物は育成するのである。
失敗は大したことでない。損も大したことでない。自分の心を乱すか乱さないかの方が大切だ。
あらゆる言葉、あらゆる行動ことごとく未来に果(み)を結ぶ種となる。
夢の改作・削除・寸断
ある女が数年前に自分の姉の最初の子が死んで横たわっているのを見た光景と同じのような光景の中に
今度は姉の生き残っていた一人の子供が死んで横たわっている所の夢を見たのです。
その夢を見ても彼女は何ら苦痛を感じなかったというのです。
フロイドははその夢を分析して、彼女は姉の子供が死ぬことを望んでいる欲望を表しているのであるとだと解釈したのであった。
しかし彼女はそんな筈はないと否定した。
よく分析してしてみると、数年前に姉の最初の子供が死んだ葬式の席上で
彼女は自分の愛する男と相会うことが出来て逢引を楽しんだのであった。
彼女はその愛人とそれ以来合ったことがないのである。
もし二番目の子供が死ぬことになれば、その愛人は会葬のための姉の家に来るだろう、
彼女はその男と合うことが出来るのである。彼女は愛人に合いたいのだが、この感情を不純なものであるとして、
表面の心で認識すべきでものでは無いとして意識の検閲官が改作を命じているのである。
彼女はその男に合うことは喜ばしい感情であったが、それを悦びの光景そのままに表現することは検閲官が承知しないのである。
だから喜ばしくない、悲しい光景にその感情を夢の中で改作して、自分の本当の感情を押し隠したのである。
このように意識の検閲官は夢の内容を、改作して、削除して、秩序性もなくして様々な断片を一つの光景に凝縮してしまうのであります。
そしてその本当の事実を思い出さないようにカムフラージュして夢を完成するのです。
現在意識の心は善い心と悪い心が同居していて、心が動揺して悩みますが、
悪い心を表面の心で認識しているとその悪い心は時間が解決してくれます。
明るい善の心を持ち続けてポジティブな生活していく中で
『悪い心は本来実在しない』のでありますから消えていきます。
しかし潜在意識に抑圧されている、自分自身がコンプレックスと感じている感情は表面の心(現在意識)が認識するまで開放されることが困難になります。
例えば鉄の箸を真っ赤に熱せられいると知って握るのと、知らないで握るとでは
火傷の度合いが甚だ違いが出て来る事と同じようなものであります。
このように悪い事でありながら悪いと認識していないのは心に歪みがでることになります。
自分の表面の心(現在意識)と隠された心(潜在意識)とが相対立するのでなく
両面の心が共に和解して調和することが大切であります。
先ほどのフロイドの話でも、自分自身の潜在的な醜い心を分析により、
表面に浮かび上がらせ客観的に認識するとその感情は次第に消えるものでありますが、
その隠された自分自身の内面の心を排他し責める(自己処罰)のでなく、
自分自身の内面の心を温かく抱擁して愛し、赦すことが大切であります。
その赦す心は自分自身の深い心に内在している『仏の心』『如来の心』「神の子」が赦すのであります。
・・・続く
天の愛と地の愛と。父の愛と母の愛と。天の生気と地の生気と。
両々そろって万物は育成するのである。
失敗は大したことでない。損も大したことでない。自分の心を乱すか乱さないかの方が大切だ。
あらゆる言葉、あらゆる行動ことごとく未来に果(み)を結ぶ種となる。
夢の改作・削除・寸断
ある女が数年前に自分の姉の最初の子が死んで横たわっているのを見た光景と同じのような光景の中に
今度は姉の生き残っていた一人の子供が死んで横たわっている所の夢を見たのです。
その夢を見ても彼女は何ら苦痛を感じなかったというのです。
フロイドははその夢を分析して、彼女は姉の子供が死ぬことを望んでいる欲望を表しているのであるとだと解釈したのであった。
しかし彼女はそんな筈はないと否定した。
よく分析してしてみると、数年前に姉の最初の子供が死んだ葬式の席上で
彼女は自分の愛する男と相会うことが出来て逢引を楽しんだのであった。
彼女はその愛人とそれ以来合ったことがないのである。
もし二番目の子供が死ぬことになれば、その愛人は会葬のための姉の家に来るだろう、
彼女はその男と合うことが出来るのである。彼女は愛人に合いたいのだが、この感情を不純なものであるとして、
表面の心で認識すべきでものでは無いとして意識の検閲官が改作を命じているのである。
彼女はその男に合うことは喜ばしい感情であったが、それを悦びの光景そのままに表現することは検閲官が承知しないのである。
だから喜ばしくない、悲しい光景にその感情を夢の中で改作して、自分の本当の感情を押し隠したのである。
このように意識の検閲官は夢の内容を、改作して、削除して、秩序性もなくして様々な断片を一つの光景に凝縮してしまうのであります。
そしてその本当の事実を思い出さないようにカムフラージュして夢を完成するのです。
現在意識の心は善い心と悪い心が同居していて、心が動揺して悩みますが、
悪い心を表面の心で認識しているとその悪い心は時間が解決してくれます。
明るい善の心を持ち続けてポジティブな生活していく中で
『悪い心は本来実在しない』のでありますから消えていきます。
しかし潜在意識に抑圧されている、自分自身がコンプレックスと感じている感情は表面の心(現在意識)が認識するまで開放されることが困難になります。
例えば鉄の箸を真っ赤に熱せられいると知って握るのと、知らないで握るとでは
火傷の度合いが甚だ違いが出て来る事と同じようなものであります。
このように悪い事でありながら悪いと認識していないのは心に歪みがでることになります。
自分の表面の心(現在意識)と隠された心(潜在意識)とが相対立するのでなく
両面の心が共に和解して調和することが大切であります。
先ほどのフロイドの話でも、自分自身の潜在的な醜い心を分析により、
表面に浮かび上がらせ客観的に認識するとその感情は次第に消えるものでありますが、
その隠された自分自身の内面の心を排他し責める(自己処罰)のでなく、
自分自身の内面の心を温かく抱擁して愛し、赦すことが大切であります。
その赦す心は自分自身の深い心に内在している『仏の心』『如来の心』「神の子」が赦すのであります。
・・・続く
夢を分析する価値
フロイドは夢判断の原著 (Die Traumdeutung 1900)の序言で、
『私はここに夢判断の叙述を試みるのであるが、神経病理学的関心の範囲外には出なかったと信じている。
なぜなら夢は、心理学的に検討すると、一連の異常な心的形成物中の最初のものであり、
それにつづく心的形成物のうちヒステリー性の恐怖症、脅迫観念および妄想観念等は実際的な数々の理由から、
医師が取り扱わなければならないものだからである。
夢は同様な実際的(臨床的)意義を要求しうるものではない。
これはいずれわかるであろう。しかしそれだけにも判例としての夢の理論的価値はいっそう大きいわけで、
夢形象のの発生を説きあかすことの出来ない者は、また恐怖症や脅迫観念や妄想観念などを理解できないであろうし、
たぶんそれらの治療に十分成功することもおぼつかないであろう。・・・・・』
このようにフロイドは夢の発生源を良く理解することが、内的に秘められた人間性を解剖することにつながり、
それによって心の病を理解することも出来き、コンプレックス(抑圧されて歪んだ心)に陥った心を開放することに成功することが出来ると言っています。
夢を分析する価値
夢を分析すると、すべての夢は前日の印象と連絡していることが分かるのであります。
しかもその前日の印象も実につまらない何ら重要な事でないとして忘れ去られるように、
つまらない外見をわざと装うているのです。
その夢を分析してみるとそのつまらない外見は、仮面であり、実はその奥に発表をはばかるような、
恥ずかしい、または重大な感情が隠されているのだということがわかるのであります。
・・・続く
フロイドは夢判断の原著 (Die Traumdeutung 1900)の序言で、
『私はここに夢判断の叙述を試みるのであるが、神経病理学的関心の範囲外には出なかったと信じている。
なぜなら夢は、心理学的に検討すると、一連の異常な心的形成物中の最初のものであり、
それにつづく心的形成物のうちヒステリー性の恐怖症、脅迫観念および妄想観念等は実際的な数々の理由から、
医師が取り扱わなければならないものだからである。
夢は同様な実際的(臨床的)意義を要求しうるものではない。
これはいずれわかるであろう。しかしそれだけにも判例としての夢の理論的価値はいっそう大きいわけで、
夢形象のの発生を説きあかすことの出来ない者は、また恐怖症や脅迫観念や妄想観念などを理解できないであろうし、
たぶんそれらの治療に十分成功することもおぼつかないであろう。・・・・・』
このようにフロイドは夢の発生源を良く理解することが、内的に秘められた人間性を解剖することにつながり、
それによって心の病を理解することも出来き、コンプレックス(抑圧されて歪んだ心)に陥った心を開放することに成功することが出来ると言っています。
夢を分析する価値
夢を分析すると、すべての夢は前日の印象と連絡していることが分かるのであります。
しかもその前日の印象も実につまらない何ら重要な事でないとして忘れ去られるように、
つまらない外見をわざと装うているのです。
その夢を分析してみるとそのつまらない外見は、仮面であり、実はその奥に発表をはばかるような、
恥ずかしい、または重大な感情が隠されているのだということがわかるのであります。
・・・続く
朝から雪が時折激しく降りました。
またインフルエンザ等が流行して病院は多忙な時期です。
忙しいと云う事に感謝せよ。忙しい事の必要性は『内に秘めた無限の力』を呼び覚ます。
夢の凝縮―夢の戯曲化―夢の転移(精神的価値転換)
意識の検閲官が夢の内容を検閲してその内容を改作したり、削除したりする過程を、
フロイドは『夢の凝縮』と云っています。
例えば甲の人物から一つの特徴や行動を借りてきて、乙の人物から違う特徴や考え方を借りてきて、
甲、乙を複合して別の人物作り上げて夢に見るようなやり方である。
別の言い方だと、大蛇の胴体と、鷲の爪と鹿の角と猛虎の牙とをつなぎ合わせて
麒麟と云う空想的な動物的形態を合成するように、様々な特徴を一つの形に凝縮するやり方であります。
フロイドが自分の妻を入れ替えてF・G婦人と名づけて夢をみるような合成をすることも夢の凝縮であります。
このような混合した影絵的な映像を分析によって解釈するのが夢判断の処理方法であります。
フロイドがまだ有名でなかった時分に、汽車に乗っている夢を見ました。
夢の中で彼はシルクハットのような形で透明なガラス製のものを抱いていました。
フロイドは自分のこの夢を分析して、それは自分が金持ちになり、独立出来るようになったら、
何か発明して旅行したいと思っている希望を実現しているのだと解釈しています。
それは『帽子を手に持つ者は安全に国中を旅行出来る』という格言がある。
帽子を手に持つ事とは、謙遜に人前では帽子を被らないと云う意味である。
その帽子がどうしてガラス製であるのか、
それはその頃アウエル博士がアウエル燈というランプを発明して大いにうけて人気を博し当てたという事で、
発明することを象徴しているので、自分もそのようになりたいという願望を膝の上に抱いているのである。
このフロイドの夢は自分も発明して大いに金持ちになって旅行したいと云う願いを凝縮した夢なのです。
一つの夢は一つ以上の要素を抱合しているのです。
その様々な要素を連絡する糸は様々に重なり合い、もつれ合って変形することをフロイドは『夢の戯曲化』と言っています。
夢の内容の本当の意味を隠し、夢の本当の内容を夢に現している形に変化することを『夢の転位』と云っています。
また『夢の転位』を『精神的価値転換』とも云っています。
・・・続く
またインフルエンザ等が流行して病院は多忙な時期です。
忙しいと云う事に感謝せよ。忙しい事の必要性は『内に秘めた無限の力』を呼び覚ます。
夢の凝縮―夢の戯曲化―夢の転移(精神的価値転換)
意識の検閲官が夢の内容を検閲してその内容を改作したり、削除したりする過程を、
フロイドは『夢の凝縮』と云っています。
例えば甲の人物から一つの特徴や行動を借りてきて、乙の人物から違う特徴や考え方を借りてきて、
甲、乙を複合して別の人物作り上げて夢に見るようなやり方である。
別の言い方だと、大蛇の胴体と、鷲の爪と鹿の角と猛虎の牙とをつなぎ合わせて
麒麟と云う空想的な動物的形態を合成するように、様々な特徴を一つの形に凝縮するやり方であります。
フロイドが自分の妻を入れ替えてF・G婦人と名づけて夢をみるような合成をすることも夢の凝縮であります。
このような混合した影絵的な映像を分析によって解釈するのが夢判断の処理方法であります。
フロイドがまだ有名でなかった時分に、汽車に乗っている夢を見ました。
夢の中で彼はシルクハットのような形で透明なガラス製のものを抱いていました。
フロイドは自分のこの夢を分析して、それは自分が金持ちになり、独立出来るようになったら、
何か発明して旅行したいと思っている希望を実現しているのだと解釈しています。
それは『帽子を手に持つ者は安全に国中を旅行出来る』という格言がある。
帽子を手に持つ事とは、謙遜に人前では帽子を被らないと云う意味である。
その帽子がどうしてガラス製であるのか、
それはその頃アウエル博士がアウエル燈というランプを発明して大いにうけて人気を博し当てたという事で、
発明することを象徴しているので、自分もそのようになりたいという願望を膝の上に抱いているのである。
このフロイドの夢は自分も発明して大いに金持ちになって旅行したいと云う願いを凝縮した夢なのです。
一つの夢は一つ以上の要素を抱合しているのです。
その様々な要素を連絡する糸は様々に重なり合い、もつれ合って変形することをフロイドは『夢の戯曲化』と言っています。
夢の内容の本当の意味を隠し、夢の本当の内容を夢に現している形に変化することを『夢の転位』と云っています。
また『夢の転位』を『精神的価値転換』とも云っています。
・・・続く
第二類の夢・第三類の夢
夢の自己分析は自分自身の知らない存在を理解する手がかりになります。
街には夢の分析も理解が進み、新しい学説、予言的な夢、またフロイドから分かれたユング等色々な分派の精神分析医が存在します。また精神科医以外の多くの夢の分析の著書等が溢れています。
フロイド自身も予言的な夢とかは余り詳しく触れていません。
そういう予言的な夢は、人間の意識以外の霊的存在が吾々に対してテレパシイー的にその現象を送ってそういう光景を見せるものであると解釈できるのであります。
フロイドは肉体を離れた霊魂の存在を認めていないのでそういう心霊学的な研究の説明をしていません。
第二類の夢
第二類の夢は錯乱もしていないが脈絡も整然としているが、『何であんなことが頭に浮かんだであろうか』と思えるような夢である。そういう夢の中には予言的な夢が往々として存在します。
第三類の夢
第三類の夢は夢というものが精神が朦朧といるから、秩序整然とした事柄を夢に見ないのだという議論が成り立たないことをことを証明しています。
それは子供よりも大人の方が精神が朦朧としているいう理由はないからであります。
夢というものは、大人に於いては、前項で説明した意識の検閲官がいて、夢の内容がその検閲を通らないような、卑猥な、不道徳的なものである場合は、それを削除したり、改作したりすることを命じて、その内容をバラバラにして怪奇な変形を行なったりするものであります。
フロイドはこのような脈絡もなく錯乱している怪奇な夢を第三類としています。
・・・続く
『注』
心霊学―・・・東京帝国大学英文学科で小泉八雲に学んだ浅野和三郎が大本教を離脱して
イギリス等欧米を行脚して大正十二年に心霊学をわが 国にもたらしました。
現在のスピリチュアリズムの源流となる人であります。現在は『日本スピリチュアリスト協会』として引き継がれています。
著書に『心霊講座』等があります。
夢の自己分析は自分自身の知らない存在を理解する手がかりになります。
街には夢の分析も理解が進み、新しい学説、予言的な夢、またフロイドから分かれたユング等色々な分派の精神分析医が存在します。また精神科医以外の多くの夢の分析の著書等が溢れています。
フロイド自身も予言的な夢とかは余り詳しく触れていません。
そういう予言的な夢は、人間の意識以外の霊的存在が吾々に対してテレパシイー的にその現象を送ってそういう光景を見せるものであると解釈できるのであります。
フロイドは肉体を離れた霊魂の存在を認めていないのでそういう心霊学的な研究の説明をしていません。
第二類の夢
第二類の夢は錯乱もしていないが脈絡も整然としているが、『何であんなことが頭に浮かんだであろうか』と思えるような夢である。そういう夢の中には予言的な夢が往々として存在します。
第三類の夢
第三類の夢は夢というものが精神が朦朧といるから、秩序整然とした事柄を夢に見ないのだという議論が成り立たないことをことを証明しています。
それは子供よりも大人の方が精神が朦朧としているいう理由はないからであります。
夢というものは、大人に於いては、前項で説明した意識の検閲官がいて、夢の内容がその検閲を通らないような、卑猥な、不道徳的なものである場合は、それを削除したり、改作したりすることを命じて、その内容をバラバラにして怪奇な変形を行なったりするものであります。
フロイドはこのような脈絡もなく錯乱している怪奇な夢を第三類としています。
・・・続く
『注』
心霊学―・・・東京帝国大学英文学科で小泉八雲に学んだ浅野和三郎が大本教を離脱して
イギリス等欧米を行脚して大正十二年に心霊学をわが 国にもたらしました。
現在のスピリチュアリズムの源流となる人であります。現在は『日本スピリチュアリスト協会』として引き継がれています。
著書に『心霊講座』等があります。
フロイドの夢の分析・・・②
第一類の幼児的な夢
フロイドは夢の仕事を分析して、夢には大体三種類の夢があると分類しました。
第一類は、意味があって解りやすい夢である。驚かせるようなものは何も見られない。
何ら奇態なことはない。例えば子供の夢が普通それであります。幼い子供は、普通は道徳的に人に知らして悪いと思うようなことを考えないから、『心の検閲官』がその夢を検閲して変形する必要がないからです。
子供の夢は、自分の希望を実現した夢を素直に表現してそのままの形でみるのです。
フロイドが子供の夢の実例をあげています。
二十二ヵ月になる男の子が前日に櫻桃(おうとう)を1籠を贈られたが、その中のたった一顆だけ食べることを許されました。すると彼はその夜に櫻桃(おうとう)を全部食べた夢を見ました。
そして眼が覚めるとと同時に『ヘルマンは櫻桃(おうとう)をみんな食べちゃったよ』と嬉しそうに叫んだと云う。
これは食べたいという希望の実現の夢です。
四歳未満の女の子は小児麻痺のために田舎から町へ連れて来られました。
その晩この女の子は、子供のない叔母さんととても広い寝台の上で寝た夢を見たのです。
ところがその寝台が非常に小さくて自分の寝る場所ないという夢を見ました。
此の夢も子供の願望の実現の夢と見ることが出来ると解釈されるのです。
それはあまりにも大きな寝台に寝せられたので、この女の子はあまりにも自分の小ささが目立ったので、
寝台一杯に大きくなりたいと云う願いを、その夢で実現したのです。
この幼児的な夢の実例は、すべて昼間の生活に関係したいることであり、
夢の潜在内容も顕在内容もほとんど似ていることであります。
この種の願望実現の夢は、大人もしばしば見るものであります。
喉が渇いていると、水を飲んでいる夢を見たりします。
しかし大人の夢は、そんな簡単な希望の実現らしいものは夢に見ないのであります。
たいてい怪奇な解釈に苦しむような非常に混濁したでたらめな夢を見ることが多いのです。
・・・続く
心の検閲官―・・・現在意識と潜在意識の間には検閲官が介在しています。
普段生活している表面の心で認識して事柄を自身の都合の好い事柄だけ、潜在意識へ認識させる『心の門番』が存在します。
潜在意識には取捨選択の機能がありません。ある意味で集合意識、超無意識、宇宙意識等の無次元の世界でもあります。
潜在意識は何層にも積み重なっていますが、
普段に使われている潜在意識には無条件で悪も善もすべての事柄をそのまままに受け容れる働きがあります。
ですから取捨選択が出来る現在意識の心を常々善き方向へふり向ける必要があります。
これが回向、菩提心が大切と云われる所以であります。
第一類の幼児的な夢
フロイドは夢の仕事を分析して、夢には大体三種類の夢があると分類しました。
第一類は、意味があって解りやすい夢である。驚かせるようなものは何も見られない。
何ら奇態なことはない。例えば子供の夢が普通それであります。幼い子供は、普通は道徳的に人に知らして悪いと思うようなことを考えないから、『心の検閲官』がその夢を検閲して変形する必要がないからです。
子供の夢は、自分の希望を実現した夢を素直に表現してそのままの形でみるのです。
フロイドが子供の夢の実例をあげています。
二十二ヵ月になる男の子が前日に櫻桃(おうとう)を1籠を贈られたが、その中のたった一顆だけ食べることを許されました。すると彼はその夜に櫻桃(おうとう)を全部食べた夢を見ました。
そして眼が覚めるとと同時に『ヘルマンは櫻桃(おうとう)をみんな食べちゃったよ』と嬉しそうに叫んだと云う。
これは食べたいという希望の実現の夢です。
四歳未満の女の子は小児麻痺のために田舎から町へ連れて来られました。
その晩この女の子は、子供のない叔母さんととても広い寝台の上で寝た夢を見たのです。
ところがその寝台が非常に小さくて自分の寝る場所ないという夢を見ました。
此の夢も子供の願望の実現の夢と見ることが出来ると解釈されるのです。
それはあまりにも大きな寝台に寝せられたので、この女の子はあまりにも自分の小ささが目立ったので、
寝台一杯に大きくなりたいと云う願いを、その夢で実現したのです。
この幼児的な夢の実例は、すべて昼間の生活に関係したいることであり、
夢の潜在内容も顕在内容もほとんど似ていることであります。
この種の願望実現の夢は、大人もしばしば見るものであります。
喉が渇いていると、水を飲んでいる夢を見たりします。
しかし大人の夢は、そんな簡単な希望の実現らしいものは夢に見ないのであります。
たいてい怪奇な解釈に苦しむような非常に混濁したでたらめな夢を見ることが多いのです。
・・・続く
『注』
櫻桃(おうとう)―・・・さくらんぼ。
櫻桃(おうとう)―・・・さくらんぼ。
心の検閲官―・・・現在意識と潜在意識の間には検閲官が介在しています。
普段生活している表面の心で認識して事柄を自身の都合の好い事柄だけ、潜在意識へ認識させる『心の門番』が存在します。
潜在意識には取捨選択の機能がありません。ある意味で集合意識、超無意識、宇宙意識等の無次元の世界でもあります。
潜在意識は何層にも積み重なっていますが、
普段に使われている潜在意識には無条件で悪も善もすべての事柄をそのまままに受け容れる働きがあります。
ですから取捨選択が出来る現在意識の心を常々善き方向へふり向ける必要があります。
これが回向、菩提心が大切と云われる所以であります。