夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

開放の教育

2016年02月09日 18時12分42秒 | 子供と青年の純粋な生命に火を点ずる育み
開放の教育

私も青年時代に親に反抗して、ある時に、真っ赤な鮮血を嘔吐して、胃に激痛が走り、畳の上を七転八倒しました。
まだその頃は信仰に縁れていない時でした。
両親の深い真心の愛を理解出来ない時代でありました。
父母として深い因縁を頂き、その法縁によって導かれた御恩を授かり、
今は経を読誦し、乳哺の恩に報じ、無上道を得んと願い、精進させて頂いております。


親の束縛に対する子供の反抗は往々にして寝小便として顕れる。
蛙をつかまえるとき、蛙は小便を放って逃げて行くのである。
黄金虫を捕まえるときに黄金虫は青黒い不快な便をして逃げて行くのである。
ニイルは『嘘をついたために打たれた子供が指をなめたり、寝床をぬらしたりするような赤ん坊の習慣に帰る』
とその事実を指摘している。
大人の場合は穢い念を思い浮かべても自制の念で、子供のようにしないのであるが、
痰を吐きかけてやりたくなったり、嘔吐をもよおす気がしたりすることは往々にてあるのである。
しかし大人はそんな場合、自制の念でそれを押し消してしまうが、心に思い浮かんだ念(おもい)は形に表現されるか、
反対の観念で打ち消されないかぎり、表面は平静でも、いつまでも消えないで心に集積されて、
やがてある『縁』を得て具象化してその時の観念の象徴となるような
嘔吐をもよおす病気、痰咳をともなう病気に具象化してくるのである。


このように病気を起す内的原因は、遠くわれわれの潜在意識の中にあるのである。
抑圧された反抗観念はやがて形となって現れてくるものである。
いくら外から縛っても人間は決してよくなるものではないのである。
さらに困難な場合は、親の圧迫に対する反抗を内に秘めながら、、これを表面の心で自覚していない場合である。
子供の伸びる力は生命である。
生命は神であるから、放っておいたら必ずよくなるのである。

ニイルは自由教育を説いた。自由教育とは開放の教育である。
生命は開放されたときスクスクと伸びる。

『注』
念の具象化・・・心に思ったことが潜在意識へ集積されて、
ある時期にある縁を得て、その心の思いが象徴的に具象化される。



2月8日(月)のつぶやき

2016年02月09日 04時42分09秒 | 日記・エッセイ