夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

フロイドの夢の分析・・・③ 第二類の夢・第三類の夢

2016年02月14日 20時06分32秒 | 日記・エッセイ
第二類の夢・第三類の夢

夢の自己分析は自分自身の知らない存在を理解する手がかりになります。
街には夢の分析も理解が進み、新しい学説、予言的な夢、またフロイドから分かれたユング等色々な分派の精神分析医が存在します。また精神科医以外の多くの夢の分析の著書等が溢れています。
フロイド自身も予言的な夢とかは余り詳しく触れていません。
そういう予言的な夢は、人間の意識以外の霊的存在が吾々に対してテレパシイー的にその現象を送ってそういう光景を見せるものであると解釈できるのであります。
フロイドは肉体を離れた霊魂の存在を認めていないのでそういう心霊学的な研究の説明をしていません。

第二類の夢
第二類の夢は錯乱もしていないが脈絡も整然としているが、『何であんなことが頭に浮かんだであろうか』と思えるような夢である。そういう夢の中には予言的な夢が往々として存在します。


第三類の夢
第三類の夢は夢というものが精神が朦朧といるから、秩序整然とした事柄を夢に見ないのだという議論が成り立たないことをことを証明しています。
それは子供よりも大人の方が精神が朦朧としているいう理由はないからであります。
夢というものは、大人に於いては、前項で説明した意識の検閲官がいて、夢の内容がその検閲を通らないような、卑猥な、不道徳的なものである場合は、それを削除したり、改作したりすることを命じて、その内容をバラバラにして怪奇な変形を行なったりするものであります。
フロイドはこのような脈絡もなく錯乱している怪奇な夢を第三類としています。

・・・続く

『注』
心霊学―・・・東京帝国大学英文学科で小泉八雲に学んだ浅野和三郎が大本教を離脱して
       イギリス等欧米を行脚して大正十二年に心霊学をわが 国にもたらしました。
       現在のスピリチュアリズムの源流となる人であります。現在は『日本スピリチュアリスト協会』として引き継がれています。
        著書に『心霊講座』等があります。





フロイドの夢の分析・・・② 第一類の幼児的な夢

2016年02月14日 11時14分44秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
フロイドの夢の分析・・・②

第一類の幼児的な夢

フロイドは夢の仕事を分析して、夢には大体三種類の夢があると分類しました。
第一類は、意味があって解りやすい夢である。驚かせるようなものは何も見られない。
何ら奇態なことはない。例えば子供の夢が普通それであります。幼い子供は、普通は道徳的に人に知らして悪いと思うようなことを考えないから、『心の検閲官』がその夢を検閲して変形する必要がないからです。
子供の夢は、自分の希望を実現した夢を素直に表現してそのままの形でみるのです。
フロイドが子供の夢の実例をあげています。
二十二ヵ月になる男の子が前日に櫻桃(おうとう)を1籠を贈られたが、その中のたった一顆だけ食べることを許されました。すると彼はその夜に櫻桃(おうとう)を全部食べた夢を見ました。
そして眼が覚めるとと同時に『ヘルマンは櫻桃(おうとう)をみんな食べちゃったよ』と嬉しそうに叫んだと云う。
これは食べたいという希望の実現の夢です。

四歳未満の女の子は小児麻痺のために田舎から町へ連れて来られました。
その晩この女の子は、子供のない叔母さんととても広い寝台の上で寝た夢を見たのです。
ところがその寝台が非常に小さくて自分の寝る場所ないという夢を見ました。
此の夢も子供の願望の実現の夢と見ることが出来ると解釈されるのです。
それはあまりにも大きな寝台に寝せられたので、この女の子はあまりにも自分の小ささが目立ったので、
寝台一杯に大きくなりたいと云う願いを、その夢で実現したのです。
この幼児的な夢の実例は、すべて昼間の生活に関係したいることであり、
夢の潜在内容も顕在内容もほとんど似ていることであります。
この種の願望実現の夢は、大人もしばしば見るものであります。
喉が渇いていると、水を飲んでいる夢を見たりします。
しかし大人の夢は、そんな簡単な希望の実現らしいものは夢に見ないのであります。
たいてい怪奇な解釈に苦しむような非常に混濁したでたらめな夢を見ることが多いのです。

・・・続く
『注』
櫻桃(おうとう)―・・・さくらんぼ。

  心の検閲官―・・・現在意識と潜在意識の間には検閲官が介在しています。
      普段生活している表面の心で認識して事柄を自身の都合の好い事柄だけ、潜在意識へ認識させる『心の門番』が存在します。

      潜在意識には取捨選択の機能がありません。ある意味で集合意識、超無意識、宇宙意識等の無次元の世界でもあります。
      潜在意識は何層にも積み重なっていますが、
      普段に使われている潜在意識には無条件で悪も善もすべての事柄をそのまままに受け容れる働きがあります。
      ですから取捨選択が出来る現在意識の心を常々善き方向へふり向ける必要があります。
      これが回向、菩提心が大切と云われる所以であります。





2月13日(土)のつぶやき

2016年02月14日 04時47分02秒 | 日記・エッセイ