夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

フロイドの夢の分析・・・⑦(神話的夢)

2016年02月19日 22時57分33秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
フロイドの夢の分析・・・⑦(神話的夢)

またまた機器の故障で来週が思いやられます。
外国製の機器は故障すると大変です。修理の部品等が外国から取り寄せる事があり、即応することが困難であります。
以前もフランス製の機器の故障で、フランスの技師と日本の技師の考えの相違でうまく調整が出来なかったことがあります。

人間は男性と女性との両性を兼ね持ち合わせている。


フロイドは生物学的、心理学的、何れの意味においても純粋の男性又は女性は存在しないといっています。
自分の生物学的な性の特質と異性の生物学的特質の混同であり、
能動性と受動性との合一であるということが観察により示されていると云っています。

一人の女性が夫が性的不能症により夫婦関係がうまくいかないことにより、潜在意識の中に他の男性に誘惑されたいものがあり、それを無意識に知っていることにより外出に恐怖心を持っているのである。とフロイドは言っている。
この外出恐怖症の女性は、子供の時から何時も『男に生まれて来たら』と云っていたのです。
彼女は生まれつきのお転婆娘であったのである。そして一人の兄がいたが、その兄と自分を同一化して自分と兄とを同性のように思っていたのです。汽車から覗いてみてムスメ(性器)が見えなかったと云うことは本来あったものを失った。
女児は男児の去勢されたものという幼児的な去勢恐怖が潜在意識に残っていたものが現れたのである。
子供の時のこのような性に関する観察の話をすると、彼女は直ちにフロイドに答えて次ぎのように言うのだった。

『こんな話がございます。ある男の子に切られちゃったのと聞いた女の子はイイエ、前からこうなの、と答えたのですって。』


神話的夢


夢に現れる象徴は、その人個人のみに限られた象徴を使うのでなく、
民族、全人類の無意識的想念の中に宿っている想念の象徴化の法則を使うのであるから、
同じ象徴が、古代伝承の民話神話等に出てくる象徴と同一の形が現れる。
聖書のモーゼが杖で岩を指し、水を噴出させた故事があります。
この杖は夢の象徴のステッキ等が男性の性器の一部を現すと示されています。
モーゼは神の命令に背いて自分の力で、岩から水を出したので、約束の地に入ることが出来ないと神が告げ給うたと云うのである。
フロイドはこれを解釈して『夢に於いては明白に男根である所の杖を禁ぜられているのに拘わらず、
自分でつかんで、その杖をもって打つことによって水を出すこと、これらはすべて嬰児的自慰の主要契機を現すものである』といっています。
自然の契機で水が出たのであるならば、約束の地に入ることが出来るのだが、
人為的に快楽を求めたのではエデンの楽園から追放されるより仕方がないことが、
モーゼの神話に内在する意義であります。




C・Gユングも『夢における精神の自己示現』において精神が心としてあらわれるのは神話類型の性質を持っていることが直ちにわかる。
即ち精神といわれる現象は、意識以前に人間の心の素地に普遍的に存在する自律的な原像でも遭遇したが、
それも患者の夢の研究の時遭遇した。と言っている。

・・・続く


最新の画像もっと見る

コメントを投稿