夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

小さな生命の喜び

2016年02月08日 20時58分19秒 | 子供と青年の純粋な生命に火を点ずる育み
小さな生命の喜び

手の平の乗るほどの小さな生命を抱きしめ、
病院の大理石の廊下を、ゆっくりと歩き、
その眼差しの先に、初めてのわが子を
汗ばむ腕のせて、嬉しさと喜びが
戦慄きと変わり、全身に緊張が走る。
いと小さな生命を静かに抱きしめ
ただ只管に、夢中に廊下を歩く。


子供の喜びは親の喜びであり
子供の悲しみは親の悲しみである。
親の喜びは子供の喜びであり
親の悲しみは子供の悲しみである。
子供と親は一心同体であり
子供は親の心を映した尊い姿である。
子供と親とは最も因縁が深いのであります。
自分自身の両親に感謝するとき、
吾が子供もスクスクと健全に生長するのであります。

ニイルの教育思想

『問題の子供を持つ親たちについて困ることは、彼ら自身の心理状態のいかんが、
子供達の状態に大いに影響するということを、どうしても承認しない場合が多いことである。』
ニイルは親の精神そのままが子供に現れていることを発見して、それを書いているのである。
子供の病気は親の病気。子供の神経衰弱は親の神経衰弱、
子供の夜泣きは親の夜泣き、子供の喘息は親の喘息、
子供の成績不良は、親の成績不良だと云う。
つまりそれは、子供は母親の一部分であり、子供の神経病は母に神経病だからである。
だから子供を無病健全に育てようと思うならば、
両親は子供を親の観念で縛ってしまわないようにしなければならないのである。
肉体は『自我の自由』を縛るがゆえに聖者は自分の肉体を殺したくなる。
それと同じ理由で、親は子供の『自我の自由』を縛るときは、子供は親を殺したくなる。
聖者はハッキリ肉体の自殺を意欲しないと同じく、子供もまたハッキリ親を殺したいとは意欲しないが、
聖者が『肉体嫌悪』に陥ると同様の理由で、子供は『両親または片親嫌悪』に陥り、
聖者が苦しめる苦行によって喜びを感ずるように、子供は両親に反抗してそれを苦しめて喜ぶようになるのである。
苦行の聖者と、親不孝の子供とはまったく違っているように見えても同じものなのである。


『注』
ニイル(Alexander Sutherland Neill)―・・・イギリスの新教育の教育家。精神分析学から異常児教育に関心を持ち、
                         世界で一番自由な学校であるサマーヒル学園を開く。
                         ニイルの教育法は戦後の日本の教育界に多大の影響を与えた。      


          ・・・・・続く




2月7日(日)のつぶやき

2016年02月08日 04時53分10秒 | 日記・エッセイ

一切の人々と天地一切のものに対して和解して感謝しなさい。 goo.gl/vBGar1


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