水仙
久々に更新された経済評論家・会計士の勝間和代さんのブログ
『日々の生活から起きていることを観察しよう!!』から。「ものぐさのコスト」という記事がエントリーされています。
勝間さんが紹介されているのは、「ものぐさ」だとmp3を使って音楽をパソコンに取り込むよりも携帯で音楽をダウンロードしたがるのですが、それだと料金がとても高いこと。またウン万円もする
ジョーバは実は数百円のバランスボールと同じ機能だということなどです。
僕は携帯もバランスボールも使わないのですが、自分の中で思い当たるのは本代。以前はよく本を買っていました。専門書から駄本まで本屋でよく買っていました。無駄遣いと言えば無駄遣いですが、「これは知的投資だ。ケチっては頭がよくならない」「今本を読まなくてどうする」「借りた本では線を引けない」とか理由をつけて(私からすれば)一杯本を買っていました。
ただある時期をきっかけに図書館を使うようになると、もう本を買うことも少なくなりました。私の市の図書館では区ごとに図書館があり別の区の本を取り寄せてもらえるし、図書館にない本の購入を申し込めば多くの場合は買ってくれます。洋書でも英語であれば購入してもらえます(他の言語は試したことなし)。
もちろん本が届くまでに時間がかかるし、購入してもらう場合には一ヶ月以上待たなくてはなりません。ですから「今すぐ読みたい」という方にはオススメできません。
でも、思うのですが、本当に「たった今読まなければならない」という本はホントに多いのだろうか?と自分に問うこともあります。論文や記事を書く上で参照しなければならないのならともかく、それ以外であれば、その読みたい本と同じテーマを扱っている本は過去にもあるものだと思います。私は速読を身につけていないので、たくさん本を読むこともできないので、本を取り寄せてもらっている間は別の本を読むことで事足りています。
こういうこともそのときの習慣や気分の状態に左右されるのだと思います。本屋にいることが楽しくて仕方ない時もあるし、収入が多い人は図書館で本を借りるなんてまどろっこしいので買うとなると思います。
ですから(当たり前だけど)人それぞれなのですが、少なくとも今の私には図書館という存在はとても有り難いです。
そういえば最近は本屋に行くこともなんだか嫌になりました。以前は大好きだったのですが。お気に入りの通りと本屋があって、毎日のようにそこを通り、また近くの喫茶店に入っていました。
その場所にもう住んでいないこともあるけれど、今では本にいても全然ときめかなくなった。なんだか新刊書のタイトルがどぎつくて人の不安を煽ることで消費者の恐怖感を駆り立てて焦らせて本を買わせようとしているように思えるのです。「社会は不安定になっていて、あなたも危ないですよ」とささやくような本が増えているように思う。あるいはそういうタイトルの本に僕が敏感になっているのかもしれない。
社会の嫌なことから目を背けることはよくありませんが、他人に言われるがままに情報を吸収しようとしても上手くいきません。けばけばしいタイトルの本が並ぶ本屋にいては、そのとき自分に合った情報と必ずしも出会えないように思います。
(そういえば、ブックマークからポータルサイトのアドレスを外したので、最近は「ニュース」をインターネットでも見なくなりました。新聞もスポーツ欄以外はろくに読みません。つまらない情報を目にすることがずいぶんと減ってきたように思います)。
もっとも本屋と言っても、落ち着くような本が並ぶコーナーもあります。新刊コーナーをさっさと通り過ぎてそういう場所に行ければと思います。