萎んだ花びら
画集『岩波 世界の巨匠12 マティス』を見ました。
私はマティスという人のことを名前しか知らなかったけど、ピカソと同じ時代の人なんですね。ピカソは、もしできるならマティスのような絵を描きたいと言っていたそうです。
いつものように解説を読まずに観ていたので、絵の背景や技法の変化などは知らないのですが、それでも楽しめました。
僕自身は絵を描くということは全然ありません。それだけに絵を描く人の気持ちというのは分かりづらい。
ピカソにしてもマティスにしても、私(たち)素人がわかりやすい“上手い”絵を描くことがあります。初期の修業時代にはそういう絵ばかり描いていたのでしょう。
それが時代を経るにつれて、より抽象的な絵画、あるいは私たちが現実と見なす形とはかけ離れた絵画へと変化していきます。
絵画を見ていていつも思うのですが、マティスの絵にしても、それが巨匠の絵だと知らされていなければ、本当に感動できたかどうかわからない絵もあります。
たしかにマティスの絵には惹きつけられます。しかし、そのひきつけられる理由は「マティスの絵だから」という以上の理由を見つけるのは簡単ではないように思う。
一見小学生が書いたようにも見えるマティスの絵は、どういう所が普通の子供の描いた絵と違うのだろうか?たしかに何かが違うのだろうし、私(たち)はマティスの絵を観てただの絵じゃないとは感覚的には感じますが、それを言葉で表現することができません。
美術史家の解説を見ればすぐにわかるのだろうけど。
「オセアニアの絵」(1952)、「石榴のある静物」(1947)「黄と青の室内」(1946)そして「食卓」(1897)などが、とりわけ私の印象に残りました。