joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

陽の光

2007年02月06日 | 絵画を観て・写真を撮って

             公園の階段と街燈


立春になり、戸外がとても白く晴れ渡るようになったように感じます。

秋から冬にかけて写真を撮っていると、陽の光というものがとても貴重なのだなと思わされます。曇りの日も多いし、晴れだと思っていても時間が経つと曇りになっています。光があったほうが気持ちよく写真が取れるのですが、いつもそうなるとは限りません。

それがこれからは日照時間も増え、陽の光も白く外を照らすようになっていくのかもしれません。

同じ太陽の光でも、季節によって色合いは違うのでしょうか。今までそういうことは気にしたことはないのですが。注意してみたいと思います。

中・北欧や東欧は気温が寒く、冬などは夕方の4時には暗くなり、朝の9時まで暗闇が続きます。

その代わり夏はたしかに日照時間が長く、夜は11時くらいまで明るいこともあります。でも、寒い地方なので、全体的には空は暗く鉛色の時間がとても長い印象があります。

そのため向こうの人は、少し晴れ間がのぞくと、みんな家から出てきて公園にゴザ(?)を引いて日向ぼっこします。

私たちには当たり前の太陽も、彼らにとってはとても貴重な時間なのです。

あちらでは冬の夜のランプがとてもいとおしく感じられるのは、そのせいかもしれません。


first day of spring

2007年02月05日 | 見たこと感じたこと

             青紫の実をつけた木


最近は夜5時ごろはまだ空にうっすらと青さが残るようになりました。着実に季節は変わっていますね。

日中は温度の高い日もありますが、暗くなるとまだまだ寒い日もあります。

枯木が多い反面、緑葉が青々と茂っている木も多くあります。

また12月頃の日差しよりも、強烈なオレンジ色の日差しにもなってきている印象があります。

2月、3月というのは気温はまだまだ寒いはずですが、季節自体はゆっくり春に向かって始動していますね。

(写真は1月初めに撮ったものです)


甘くはない

2007年02月04日 | 絵画を観て・写真を撮って

             「夕暮れの公園で散歩」

             
Flickrがフォトシェアリング・サーヴィスとして便利だったので1ヶ月ほど使っていたのですが、掲載画像が200枚以上を超えると有料サーヴィスになることが分かりました。

1ヶ月2ユーロだから300円ほど。

やっぱり世の中にタダなものはないですね。いや、あるのかもしれないけど、しっかりしたサーヴィスにはやはりお金がかかります。世の中甘くはなかった。

うーん。

他の無料のフォトシェアリング・サーヴィスを見つけて、またそこに一枚一枚画像を掲載するのも面倒だなぁ。

「みんなでつくるフォトライブラリー」は、画像登録から審査の通過までかなり時間がかかるし、また自分が気に入った写真でも審査で不通過になる画像もあるので、kこれもうーんという感じになることもあります。

Yahoo!フォトはとてもデザインがゴテゴテしているんですよね。広告がたくさん入るし、有料なのにとても使い勝手がよくない。

うーーん。うーーん。

なんだか頭がこんがらがってもうどうにでもなれっ!と思います。何もしなければどうにもならないけど。


“You've done enough.”

2007年02月03日 | reflexion

             「夕日のベンチ」


『ER8』の最後で、グリーン先生に診てもらうのが好きだったホームレスの人が出てきます。そのときグリーン先生は脳腫瘍の病気で死ぬ直前にあり、もう病院には出勤していませんでした。代わりにカーター先生が診察をします。

グリーン先生を好きだったそのホームレスの人も、グリーン先生と同じように、病気で死の間近にいました。彼は意識もハッキリせず、カーター先生をグリーン先生と間違えます。

病床にいる彼が涙を流しながら言います。

“Icould be a better person. I could have done more.”(「自分はもっといい人間になれたはずだ。自分はもっと多くのことを成し遂げられたはずだ」)

側にいたカーターは、

「あなたはもう十分生きました」

と涙をうっすら流しながら応えます。


そのホームレスの人が目の前にいれば、僕もカーターと同じように「あなたはもう十分生きました」と答えると思う。本当にそう思うから。

自己攻撃とは“嘘”であり、“罪”や“罰”などはこの世には本当は存在しないと思いたい。人は“罪”の意識で苦しむ必要ないし、謝ることは、もし必要でも一度で十分なのだと思いたい。

そのホームレスの人は、自分を攻撃し続けていたのだと思います。十分すぎるほど、心の中で自分にムチを撃ち続けていたのでしょう。罪の意識で苦しみ続けていたのだと思います。

そのように罪の意識に苛まれることは、できることなら避けたい。

でも、死の間際に涙を流しながら彼が「もっといい人間になれたはずだ」と言うとき、彼はすでにいい人間なのです。「いい人間になれたはず」とか「もっと多くのことを成し遂げられたはず」と言うとき、彼は十分自分の“過ち”に気づいていたのですから。

自分の“過ち”に気づいても、それを訂正できるとは限らない。多くの人は同じ“過ち”を繰り返すものだから。

でも少なくとも彼は、自分の“過ち”に気づいていたし、できることなら自分を変えたいと望んでいました。

もう彼は、一度謝っているのです。それで本当は十分なのだと思いたいです。

だから、カーターが言うように、その人は十分生きていたのだと思います。


バレエ 『パリ・オペラ座 「カルメン」/「若者と死」』

2007年02月03日 | バレエ

             「電線と太陽」


先週NHKで放映されていた『パリ・オペラ座バレエ 「カルメン」/「若者と死」』を観ました。同じ内容のものがDVDでも発売されています。

2005年7月にパリで行われた公演ですね。主演は、ニコラ・ルリッシュとヒロイン・カルメン役にクレールマリ・オスタ。三人の密輸業者にドロテ・ジルベール、アレクシス・ルノー、マルタン・シエといった人たち。と言っても、私は初めてその踊りを観る人たちばかりだけど。

「カルメン」は、私は知らなかったけど、有名なお話なのでしょう。ある女と出会って恋に落ちた青年が、その女カルメンに唆されて強盗殺人を行い、挙句に女に捨てられるというお話。

この作品は面白かったです。まず目を見張るのが、主役のニコラ・ルリッシュという人の体型。超三角形の体型で、とても背が高く肩幅も広いのに(パットしているだろうけど)、足がむちゃくちゃ長くて細いのです。しかもその細さはヒョロヒョロではなく、がっしりしていながらふくらはぎから足首にかけて急激に鋭く細くなるという感じ。いくら向こうのダンサーのスタイルがイイと言っても、ここまで映える体型の人は少ないんじゃないだろうか。

ダンスもとてもいいです(なんか、他に書きようがない)。

ヒロイン・カルメン役のクレールマリ・オスタは、体型はダンサーという感じはしません。小柄で幼児体型です。ただそういうダンサーでも踊りはちゃんと踊るから(という言い方は失礼だけど)見ていて不思議です。

この人はバレエ団の最高位のエトワールなので、観る人が観れば、その偉大さがきっとわかるのでしょう。ただ素人の私は、踊りそのものでとくに気づくことはありませんでした。

でもこの人は、踊りよりも、顔から滲み出る気位の高さといったものが印象的です。もちろん役作りもあるでしょうけど、自分の存在に対する自信といったものが表情から感じ取れるのです。この人の人間性自体に何か無視できないものがあるという感じです。

こういう人には、カルメンという悪女役は確かに合っていたのかもしれない。

でも女性ダンサーなら、僕にはむしろ密輸業者役の一人ドロテ・ジルベールという人の方がより印象的でした。

最初主役たちが出てくる前に大勢のダンサーが踊るシーンがありますが、その中でこのドロテ・ジルベールが颯爽とステップを踏んで前に躍り出るシーンはとても強く心に残ります。

その後はほとんどが主役二人が出ずっぱりなのですが、その短いシーンだけでも、とても満足です。


「若者と死」は、「カルメン」と同じく主役のニコラ・ルリシュと、マリー=アニエス・ジロ。若い芸術家とある女性のお話です。出てくるのもダンサーは二人だけ。

このバレエでは、「カルメン」と同じかそれ以上に、ニコラ・ルリシュというダンサーの凄みを感じさせます。体と表情から滲み出る表現力が圧倒的で、苦悩する若者という役にぴったり。

二回印象的なジャンプのシーンがありますが、それはまさに「空を舞う」「宙に浮かぶ」という表現がぴったりのジャンプです。空中で止まるみたいだ。人間はここまで空高く飛べるのだ、と思えます。

でもそれは、単にこの人の運動能力が高いだけではなく、やはりこの人の苦悩と情熱を表現する力が強くて、それが観る者に空を飛んでいるように思わせるのでしょう。

ヒロインのマリー=アニエス・ジロとの息もぴったりです。


この二作品は合計で1時間20分ほどですが、とても満足度の高いバレエでした。


パリ・オペラ座バレエ 「カルメン」/「若者と死」

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バレエ一覧

2007年02月03日 |  (バレエ一覧)
             「ビオラ」

   ・パリ・オペラ座バレエ『シルヴィア』(全2幕)

   ・『カナダ・ロイヤル・ウィニペグ・バレエ「魔笛」』

   ・バレエ 『ラ・シルフィード』 パリ・オペラ座 2004年6月

   ・バレエ 『パリ・オペラ座 「カルメン」/「若者と死」』 2005年7月

   ・バレエ 『白鳥の湖』 マリインスキー劇場バレエ団 2006年6月

   ・バレエ ボリショイ劇場 『「ジゼル」全2幕』 1990年

   ・バレエ 『チャイコフスキー: 《白鳥の湖》』 1966年

   ・バレエ 『ピーターラビットと仲間たち ザ・バレエ』

   ・『キーロフ・バレエの栄光 』

   ・『エトワール』

チョコレートプリンパフェ

2007年02月02日 | 日記

             「公園の紅葉」


たまにはケーキでも食べようと思い、スーパーのスウィーツのコーナーに行きました。でも結局選んだのはチョコレートプリンパフェでした。

本当は街のケーキ屋さんか喫茶店にでも入って食べようとかとも思ったのですが、おいしいケーキを食べられるお店なんて私は知らないし、なんかそういう場所でケーキを食べる自分を想像すると、おしゃれなお店で、甘いものをガツガツ食べる卑しい男の姿を想像してしまい、やめました。少なくとも一人では行く気がしないなぁ。

このチョコレートプリンパフェはおいしいのは最初だけでした。奥に行けば行くほど苦い(ビターとも言う)味がして、食べ終わった頃にはあんまりおいしくなかった。

まっ、いいか。


写真集 『街角』 木村伊兵衛

2007年02月02日 | 絵本・写真集・画集

             「夕日の光が差す三ノ宮の通り」


木村伊兵衛さんが1981年に出された写真集『街角 (ニコンサロンブックス)』(ニッコールクラブ)を観ました。

木村伊兵衛さんは日本を代表する写真家といわれているし、事実僕も『木村伊兵衛のパリ』にはとても感動しました。

でも、この『街角』にはそれほど感動しなかった。なぜだろう?

一つには、パリの街というのはとても絵になるけれど、日本の街は全然“絵”にならないからだろうか?パリの写真だと“外人”さんばっかりで「カッコいい」けど、日本人の写真だと、みんな「カッコよくない」からだろうか。そう僕は感じているような気がする。

たしかにこの『街角』を見ていても、「人間の表情をこんなに自然に撮ることができるなんて」と思います。

しかしそれ以上に、戦後の貧しさと豊かさの萌芽が交じり合う日本の姿は、観るこちらに色々な複雑な感情を感じさせます。

同じ「日本」でも、今と、「戦後」とでは、確実に日本は違う姿なのだと意識させられます。

この『街角』に映る日本はとても貧しい。人の顔にも心にも、材木と土の貧しさが染み込んでいるように僕には見えます。

木村さん自身は、そこに貧しさを感じていたのだろうか?1974年に亡くなった木村さんにとって、彼が撮った日本は彼にとって当然の日本であって、僕の知っている日本とは違う。僕から見て貧しいと思える日本も、彼にもそう見えたかどうかは分からない。

編集者がチョイスした写真が、たまたま同じ傾向のものばかりになってしまったのだろうか?『木村伊兵衛のパリ』にあったような洒脱さやシャレた感じはなく、貧しさというものを感じさせる、少し辛気で悲しい写真集です。



熱を逃がさない

2007年02月01日 | 衣料・生活用品と関連して

             「団地」


父親がテレビを見ていて、緩衝材(プチプチ)を窓ガラスに貼ると、部屋の室温が暖かくなると言っていたとかで、家の窓にプチプチを貼りました。私の部屋も昨日、貼ってみました。

どの番組が知らないですが、とにかく窓ガラスを通して部屋の熱は逃げていっているそうで、ガラスを水でぬらしたプチプチを貼り付けると空気の流れを遮断できるそうです。捏造された実験に騙されていなかったらいいのだけど。


参考:「「窓ガラス結露防止シート 水貼り」 断熱シートとして、結露防止に。」


恥ずかしい話

2007年02月01日 | テレビ

             「枯葉」


わたしも「あるある」にだまされて、ある健康法をほぼ毎日していました。最近まで。

いや、騙されていたかどうかも分からないけど。ひょっとしたら、捏造は10回に1回か3回に1回程度だったかもしれないし。

3回に1回だったとしても、3回に2回は正しい情報を流していたことになる。捏造が3回に2回だったとしても、3割は正しい情報を流していたことになります。だから、僕が「これはいい」と思ったある健康法も、間違っていないのかもしれないけど。