joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

将来のカメラ

2007年02月25日 | ちょっと言ってみました

今日、外を歩いていて思ったのは、カメラ機能付きメガネがあれば便利だ、ということでした。

普段はどこに行くにもコンパクトデジカメを持ち歩きますが、今日は寒くて曇りできれいな写真は撮れそうにないし、図書館に返す本を入れたキャスター付きバッグを引くのに神経がいるので、カメラは持っていませんでした。

ただ歩いていると、これを写真に撮ったら面白そう、と思った被写体があったのも事実。

そこで思ったのが、メガネにカメラの機能が付いて、メガネのレンズを通して写真を撮ることができるカメラがあれば便利だなぁということ。シャッターも手で押す必要はなく、頭からイメージを送ればカシャッとできるのだ。

これだとカメラを持ち歩かなくても、気になる被写体があればいつでもカシャっとできます。両手がふさがっていても、いつでも手軽に写真が取れます。

まぁ、僕が携帯電話をもっていないだけで、多くの人には携帯のカメラで十分なのかもしれないけど。

重い寒さ

2007年02月25日 | 日記

             暗い冬の夕方の踏切り


今日は寒い。めずらしく冬みたいに寒い。どこか体の芯まで重いものがドーンと響いているような寒さだ。背中とお腹に氷を置かれたみたいだ。

体も風邪気味のように感じる。風邪の引きかけの一歩か二歩手前のような感じ。

あぁ、やだやだ。


『右脳をどのように経営にいかすか?』 七田眞 神田昌典

2007年02月25日 | Audiobook

             きらきら輝く道


日本に右脳幼児教育を広めた七田眞さんと神田昌典さんとの対談カセット『右脳をどのように経営にいかすか?』を聞きました。

私は七田さんの本は何冊か読んだことがありますが、その肉声を聞いたのはこれが初めて。

神田さんのオーディオ対談を聞いていると、話し方や声からその人がどういう人かというのを、なんとなく想像してしまいます。もちろんその想像が当たっているかどうかはわかりません。

ただ今回の対談を聴いていると、七田眞さんという方はとても謙虚で温和な人柄なのだなということが伝わってきます。七田さんの声を聴いていると、本当にこういう人がいるんだと驚くほどです。

この対談で七田さんはもちろんご自身の色々な考えを述べていますし、読者の中には意見を異にする場合もあるでしょう。でも、そのような意見の違いがありながらも、七田さんの話し振りを聞いていると、この方は自分の言っていることを本当に自分で信じている人なんだな、という印象をもちます。

これは簡単そうで、じつは難しいと思う。どれだけ立派なことを言っていても、自分が心底からそのことを信じるのは難しい。

しかし七田さんは気負いもなく、とてもリラックスした感じで、淡々と自分の意見を述べていきます。

こういう方は、おそらく、他人が自分と違う意見をぶつけてきても、「あなたはそういう考えなんですね」と認めることができるんではないかと感じます。

右脳教育というのは、イメージや直観力といったことを子供に伝えていく教育だそうです。対談で神田さんも言っていますが、この「イメージや直観」といった概念は、今でこそそういう内容を扱った本が書店に並び、社会的に認知された考えですが、一昔前なら多くの偏見にさらされていた考えでしょう。またその概念に不信な目を向けるほど、余計に右脳の開発は滞るので、馴染めない人はますます馴染めないということになるのだと思います。

おそらく今でも右脳教育に偏見をもつ人も少なくないと思います。

またフォトリーディングという右脳を使う速読を広めている神田昌典さんですら、「私は右脳が開いたということは全然ないんですが…」と言うように、大人は自分に右脳があることを信じることはとても難しいものがあります。

面白いのは、七田眞さん自身が、「私自身も自分には右脳の能力がないと感じていたんですが、友達の右脳の凄い力を見せられて、自分には右脳はまだ開発されていないけど、自分以外の人が右脳を開く手助けをしようと思い、こうやって右脳教育に取り組んだんです」と述べていることです。

たしかに懐疑心を培っている人たちが、自分の中で今すぐに右脳が開くことを信じることは難しいでしょう。右脳を扱う自己啓発的な本はたくさんありますが、その中で右脳を開くことができる読者はわずかだと思います。

多くの人はそこで「こんなの役に立たないよ」と本を投げます。

七田さんの面白い所は、自分には右脳の力はまだないけど、他人が右脳を開く手助けをしよう、と最初に考えたところですね。人間が素晴らしい能力をもっているのは確かなんだから、色々な方法を試して他人の力を伸ばそうと思ったところです。自分が賢くなるより先に他人を賢くしてあげようと思ったところです。


七田さんの著書では、右脳の特徴は「早く・効率的に」回転すると同時に、「他人との調和」を志向する点です。それに対し左脳は「遅く」回転すると同時に、「自分を守る」というエゴを強化する点です。

「早く・効率的に」思考が回転するとは、言い換えれば、自分の感情に引っ張られずに考えることができるという意味だと思います。つまり客観的に物事に取り組む力ですね。そのように客観的に物事に取り組める人ほど、“自分”というエゴに振り回されないので、他人の意見にも耳を傾けることができるでしょう。

だからよりポイントを絞って言えば、右脳の思考の特徴は、「早く・効率的に」and/or 「強く」考えることができることだと、私は想像しています。

人間の思考の形態には、七田さんの言うように「早く・効率的に」大量の情報を摂取するタイプと同時に、一つの問題を一歩一歩進めるタイプの思考を得意とする人たちがあります。

いわゆる頭がいいと言われる人たちの中でも、たくさんの情報を取り込むのが好きな人もいれば、分野を絞ってコツコツ思考を進めるのが好きな人もいます。

ただ、早く考えるにしても、コツコツ考えるにしても、重要なことはどれだけ自分の過去・感情・エゴにとらわれずに考えることができるかなのでしょう。私は詳しく知りませんが、おそらく七田さんが目指されてきた教育は、偏見や常識やその人の過去に囚われずに思考を働かせる力なのだと想像しています。

七田さんが「大量の情報を早く・効率的に摂取すること」を強調するのは、既存の学校教育が長い年数をかけて、ゆっくりと(鈍く)知識・論理を教え、そのため子供たちは与えられた知識を自分で活用する能力を発達させてこなかったからだと思います。その活用する能力とは、自分で新しく問いを作り出す能力でもあるだろうし、また自分で行動する能力でもあるのでしょう。

このことは、七田さんが子供の教育において、必ずしも既存のレールを上手く渡ることを理想と考えているわけではないことと結びついているのだと思います。むしろ学校の勉強ができなくても、その子の得意なことを伸ばして行けば、その子が将来人のために役に立てるようなことが見つかります、と七田さんは言います。

もちろん、やりたいことだけをやっていても、それで食べていけるかどうかはわかりません。ただ同時に、その子が得意なこと・夢中になれることを見つけた子供は、愉しい時間を過ごすことができるのも事実です。

ただ過去・既存のレールにとらわれないことが子育てで大事だと言う大人は多いでしょうし、そのために「ゆとり教育」が生まれました。しかしその実態は、「ゆとり」というより、単なる放任だったのでしょう。

しかし七田さんの考えている教育は、放任でもないし、かといって子供をミスへの恐怖で凍りついている「労働者」のように扱う教育でもなさそうです。そこでポイントとなるのが、イメージと直観力をキーにする教育ということなのだと思います。

私たちが受けてきた教育は論理を追うことを第一義にします。しかし七田さんは、論理ではなく直観を大切にします。

論理も直観も、知識・情報を脈絡づけるchannel能力です。違いは、論理が目の前の確実・安全な道だけを通ろうとするのに対し、直観は、一見道が見えない場所にも道があることを感じ取るセンサーを発達させていることです。

ここでもポイントは、明らかなもの・確実なものだけを信じる態度(未来への不安と過去への執着)と、崖をジャンプしていく態度(過去を手放し未来を信頼する)との違いです。

先に私は、「一つの問題を一歩一歩進めるタイプの思考を得意とする人たちがあります」と言いました。ただこのタイプの思考は、七田さんが言う「論理」を重視する思考とは異なるのだと思います。

「一つの問題を一歩一歩進めるタイプの思考」とは、たとえ先の道が見えなくても、先に何かがあると信じて進んでいく思考のことを言います。自分のやっていることが実を結ぶかどうかはわからないけれど、それでも何か自分の中で対象に惹かれる部分があるので、一つ一つやってしまう、という態度です。

それに対して論理とは、一つ一つのステップに確実性を求める執着心の表れです。このような論理を追う態度では、そのときそのときのステップではとりあえず安心感は得られますが、つねにリターンを計算できる道だけを歩んでいるので、結果的には既存のレールを歩んでいるだけになります。

こうやって見ていくと、七田さんが考えている理想の教育とは、必ずしも公教育が敷いたレールを上手く歩くことではなく、むしろ既存のレールではない場所に(も)自分が行くべき道があることを信じる力を、子供たちに伝えていく能力のように思います。