「夕日のベンチ」
『ER8』の最後で、グリーン先生に診てもらうのが好きだったホームレスの人が出てきます。そのときグリーン先生は脳腫瘍の病気で死ぬ直前にあり、もう病院には出勤していませんでした。代わりにカーター先生が診察をします。
グリーン先生を好きだったそのホームレスの人も、グリーン先生と同じように、病気で死の間近にいました。彼は意識もハッキリせず、カーター先生をグリーン先生と間違えます。
病床にいる彼が涙を流しながら言います。
“Icould be a better person. I could have done more.”(「自分はもっといい人間になれたはずだ。自分はもっと多くのことを成し遂げられたはずだ」)
側にいたカーターは、
「あなたはもう十分生きました」
と涙をうっすら流しながら応えます。
そのホームレスの人が目の前にいれば、僕もカーターと同じように「あなたはもう十分生きました」と答えると思う。本当にそう思うから。
自己攻撃とは“嘘”であり、“罪”や“罰”などはこの世には本当は存在しないと思いたい。人は“罪”の意識で苦しむ必要ないし、謝ることは、もし必要でも一度で十分なのだと思いたい。
そのホームレスの人は、自分を攻撃し続けていたのだと思います。十分すぎるほど、心の中で自分にムチを撃ち続けていたのでしょう。罪の意識で苦しみ続けていたのだと思います。
そのように罪の意識に苛まれることは、できることなら避けたい。
でも、死の間際に涙を流しながら彼が「もっといい人間になれたはずだ」と言うとき、彼はすでにいい人間なのです。「いい人間になれたはず」とか「もっと多くのことを成し遂げられたはず」と言うとき、彼は十分自分の“過ち”に気づいていたのですから。
自分の“過ち”に気づいても、それを訂正できるとは限らない。多くの人は同じ“過ち”を繰り返すものだから。
でも少なくとも彼は、自分の“過ち”に気づいていたし、できることなら自分を変えたいと望んでいました。
もう彼は、一度謝っているのです。それで本当は十分なのだと思いたいです。
だから、カーターが言うように、その人は十分生きていたのだと思います。