写真を撮るようになってから、何度か本屋や図書館で写真集を手にとって見ました。写真を撮るのが好きになったので、当然写真集を見るのも好きになると思ったのです。
でも何冊か手にとっても、あまり感動しないのです。
プロの写真家なのだから、どれも上手いのだと思います(当たり前か)。
僕はデジカメで撮った写真をパソコンでみると、デジカメの小さな液晶ではいい感じで撮れたと思っても、パソコンで大きめサイズで見てみるといつも間の抜けた写真に感じます。それだけ大きなサイズの写真では、写したものがすべて大きく見えるので、撮るもの全体に神経を行き渡らせていないと、いろいろな計算外が写真の中に入り込んでいるのだと思います。
プロやハイアマチュアの人たちは、きっと、画面全体の構図や背景もすべて配慮が行き届いていて、それゆえ大きなサイズの写真を撮っても見栄えのする作品を作れるのではないでしょうか。
そう考えると、大型の写真集でもどれもいい感じに撮れているプロの写真集というのは、じつは凄い技術の賜物なんだと想像しています。
そうは思うのですが、ただ一読者としては、あまり感動する作品には出会っていません。
その中で図書館で見ていて気になった写真集が、フランスの写真家サラ・ムーンの『VRAIS SEMBLANTS―幻花』(1991)。
僕は普段風景の写真しか撮らないけど、この写真集は、意図的に作ったセットの中でモデルを撮ったり、あるいはお庭や池を撮ったり。どの作品も、作り手が意図的にこしらえた場面を撮ったものです。
こういう分野には馴染みがないのだけど、どうして僕はこの作品集が気になったのだろうか。
どれもセピア色の、古い写真のような演出がされています。
普段、風景をそのままパチリと撮っている者には、とても想像がつかない写真です。徹底的に意図的に対象を設定して撮っているのに、見ているものに何か感情を呼び起こします。
僕はフランスもパリのことも知らないけれど、いかにもフランス的な写真と言えば言えるのかもしれない。
どの写真も、おフランスらしい、“シック”なセンスが前面に出ています。同時に、そのようなシックさが、過去に失ったものを悔やむような哀愁に包まれています。
そうですね、“哀しい”という言葉がいちばん合うのかもしれません。おしゃれだけど哀しい。美しいけど寂しい。
そんな感情を見るものに呼び起こします。そんなところで、気になって思わず借りてしまったのかもしれません。
涼風