淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「石原慎太郎氏の死、西村賢太氏の死、そして生きている者たちの人生もまた、こうして静かに続いてゆく」

2022年02月08日 | Weblog
 石原慎太郎が亡くなった。89歳だった。
 彼の小説を初めて読んだのは10代の頃だった。「太陽の季節」を読み、彼と三島由紀夫との対談集も貪るようにして読んだ。

 今でも記憶の片隅に残っているのは、石原慎太郎が、三島由紀夫のボディビルで鍛えた肉体を、「それは虚構の肉体だ」と面と向かって批判していたことだった。
 ボディビルなんて、ただの筋肉改造じゃないか、確かそういう趣旨の発言をしていたように思う。
 スポーツ競技で相手と戦うことでのみ、肉体と精神は鍛えられる・・・もう対談集自体手元にないので、具体的な批判内容は忘れてしまったけれど、そんなことを対談集で言っていたのを読んだ覚えがある。

 個人的に、石原慎太郎の政治的発言には違和感を覚える部分もあるにはある。
 一見、傲慢そうにもプライドの塊みたいにも見えなくはない。
 しかし、考え方は多少違っていても、彼の政治に対する対峙の仕方や覚悟だけはずっと素晴らしいと思っていた。
 確かに「行動する作家」だった。

 すべての石原作品を読んだわけじゃないけれど、大好きな小説を挙げろと言われたら真っ先に「行為と死」を挙げたい。この小説は素晴らしい。
 一度、10代の時に読んで影響を受け、その後、また読み返した。是非、3度目も読んでみたいと思っている。というか、こういう小説を書いてみたい。書けないだろうけど。

 そんな石原慎太郎を敬愛していた作家、西村賢太氏もまた亡くなってしまった。先日もここで書いたけれど、彼の私小説もまたすこぶる面白い。全部、一気読みしてきた。
 よくもまあ、ここまで自分の「恥部」を曝け出してもなお、自らを書き連ねることが出来るものだ。心底、感心する。相手側から訴えられても文句は言えないだろう。それほど凄まじい告白の数々なのだ。

 2人は、どちらかと言えば内向的で頭でっかちの作家たちが跋扈している文壇というなかで、いつも異彩を放ち、常に行動力を持ちながら走り続けていた。

 こうしてまた、日本文学界に君臨するトップランナーがいなくなってしまった・・・。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする