淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「しょせん、すべては、ちっぽけなこと」

2011年04月10日 | Weblog
 朝9時過ぎに目が覚めた。
 身体がだるい。何もしたくない。朝食を食べるのさえ億劫だ。

 しばらくの間、蒲団の中で悶々としていて、やがて起き出し久しぶりの和食。
 納豆と卵と、幾つかの惣菜。それと熱い日本茶。

 いつもなら日曜日でも仕事が入っているのに、今日は本当に珍しく県議選挙投票のみ。
 食事を終え、着替えるのも億劫で、また行儀悪く蒲団に潜り込んだ。
 テレビの音を消して、また目を瞑った。
 別に寝直そうとしたわけじゃなく、ぼんやりと独りで考え事。

 東京電力福島第一原発で今日も続いている、放射能を浴びながらの過酷な作業。
 「スリーマイル島」での原発事故では、2日間で電気が復旧し、約10日間で修復したらしい。勿論、すべてが片付いての10日間というわけではないだろうけれど。

 でも日本の東京電力福島第一原発での事故は、収束の道筋すら見えないままでもう1カ月を迎えようとしている。
 「フクシマ50」と海外では絶賛されているらしい東京電力福島第一原発作業員たち。
 そして、今回の災害での日本人の行動を称賛する声もまた上がっているのだとか。
 素晴らしいと思うし、ひとりの日本人として誇りに思う。
 
 確かに、整然と指示に従い、混乱もなく避難する方々は立派だし、驚嘆に値する行為ではあるだろう。
 正しいと思う。
 ただ、誤解を恐れずに言い切れば、だからといってそのメンタリティのすべてを正当化することもまたある意味では危険なのではないか。

 今朝も、それらの事を指摘する識者が何人かいた。
 こういう状況下では絶対的にそれらは活かされるけれど。
 混乱もなく、すべてはきちんと周っているけれど。

 しかし、全く逆に、建設的に、そして前向きに攻めてゆく種々のワールドワイドなシステムに対して、これらの日本人独特のメンタリティや方法論がいい方向にのみ作用するとは限らない。
 とても難しい問題ではあるけれど・・・。

 頑張ってほしい。
 今、ここが正念場である。

 窓から外を眺めた。
 いい天気だ。
 雲ひとつない4月の青空が広がっている。
 スポーツジムにも街中にも出る気になれず、DVDで映画を一本観る。

 俺の悩みや憤りなんて、所詮そのすべてはちっぽけで、どうでもいいことだ。
 こうしてグダグダしている間でも、東京電力福島第一原発作業員の人たちは、生死を賭けて不眠不休で未曾有の困難に立ち向かっている。
 そこには、ちっぽけでも、どうでもいいことなど何一つない。

 俺は、電気の点いた暖かい部屋で、熱い珈琲を啜りながら、ちっぽけでくだらない棘のような煩わしさを、ああでもないこうでもないと愚痴りながらDVDを観て寛いでいる。
 どうしようもねえなあ・・・お前は!

 早く決めろよ。早く決断しろよ。
 清水の舞台から飛び降りる気持ちで、勇気を出して、これまでとは全く違った道を行けばいいんだってば。
 たかが、虚構じゃないか。所詮は組織も何もかも。
 あとは決断だって。

 でも・・・。
 あともうちょっと。あともうちょっとだけ。
 お時間を!
 別の自分がそうやって嘆願する。

 命を賭して一生懸命頑張っている人たちがいるのに。
 それに比べたら、俺の悩みなんて。
 しょせん、ほんとに、ちっぽけな、ちっぽけなこと、なのに・・・。
 




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