淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

日曜の夜、雪が降りしきる中、独りR.E.M最新アルバム「Collapse Into Now」を聴いていた。

2011年04月04日 | Weblog
 4月最初の土日も慌ただしいままに終わってしまった。
 それにしても寒い。
 未だに雪がちらついている。

 4月にしては両日ともに寒く、日曜日の夜は吹雪になって雪まで積もった。
 そんな、ひっそりした夜の街を独り車で走る。
 東日本大震災の余波はまだまだこの街に続いていて、郊外のコンビニや量販店のネオンは消え去り、寒々とした夜の淋しい風景が見て取れる。

 「ツタヤ」の前を通ったらまだ店内に明るい光が灯っている。
 駐車場に車を停め、中を覗くと、4月から夜の10時まで時間延長になったのだとか。
 よかった、よかった。

 いつもは人ごみで賑わう店内も、日曜日の夜はがらんとしていて人影も疎らだ。
 音楽雑誌のコーナーでロックの本を立ち読みし、そのままCDコーナーへ。
 最近は、狂ったようにアメリカやイギリスのロック、それも1990年代から2010年ぐらいまでのロックをピックアップして、とにかくむさぶるように次々聴いている。

 聴き方が極端なのである。
 浜田省吾を、まるで拝むように何日も何日も聴くかと思うと、突然、今度は山下達郎を年代順に聴いてみたり・・・。
 
 そうかと思えば、日本のロックやポップスには見向きもせず、ソウル・ミュージックだけをずっと聴き続けたり、今度はいきなりローリング・ストーンズに目覚めてみたりする。
 なんか心の乱高下とシンクロしているような気もする、音楽の嗜好そのものもその心の動きに伴って・・・。

 僕は、どっちかというと「ミュージック・マガジン」系のロックをこれまでずっと聴き続けてきたように思う。
 それは、その音楽雑誌を約30年以上に渡って定期購読してきたことが起因しているのかもしれない。
 イギリスよりは、どちらかといえばアメリカ、それもR&Bに根ざした音楽や都会的で洗練された音楽を好んで聴いてきた。それと60年代の欧米のロック。

 なので、僕は90年代から2000年に入っての、オルタナティブでエッジの効いた先鋭的なロックとは、ほとんど無縁状態だった。
 いわゆる、雑誌「ロッキング・オン」で取り上げるようなロックは、全くといっていいほど聴いてこなかったのである。
 もちろん知識だけは結構あって、いつも気になってはいたのだけれど・・・。

 最近、同じ職場の後輩であるK君(師匠!)から、その空白期間を埋めるべく、当時ブレイクした、また評価が高かった様々なアルバムを借りて聴いている。
 フーファイターズ、ストロークス、ゴリラズ、その他いろいろである。
 つまり、僕が見逃してきたアーティスト、聴き逃してきたロック・アルバム、聴きず嫌いで避けて来たアーティストたちの音楽を今頃になって慌てて集め出しているのである。

 そのうちのひとつが「R.E.M」だ。
 ただ「R.E.M」は、過去のアルバムを何枚か持っていて、何度か思い出してはCD棚から取り出してきたんだけれど、どうもイマイチぴんとこなかった。
 「R.E.M」って何となく敷居が高く、あの村上春樹でさえ詩の意味がよく解からないと言っていたくらいである。
 
 今作は3年振りのニュー・アルバムで、ジャックナイフ・リーがプロデュース。それに最後の曲ではあのパティ・スミスがゲスト参加している。
 20年以上にもわたって数多のバンドに影響を与え、カート・コバーンやレディオヘッドのトム・ヨークでさえ「R.E.M」のマイケル・スタイプに影響を受けたという。

 その彼らの最新アルバムが「Collapse Into Now」だ。
 
 日曜日の真っ暗な闇の中に、真っ白な雪が物凄い勢いで降り注いでいる。
 車内に流れる、「R.E.M」の激しくハードだけれど、基底に流れているとても知的で豊潤な音が、僕を前向きにさせてくれる。

 誤解を恐れずに言えば、エネルギッシュで分厚く濃厚なサウンドなのに、静謐で落ち着きがあるのだ。

 4月の日曜日の夜の街に激しく降る大粒の雪・・・。
 ロックっていい。
 元気を貰える。






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