淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

映画「100歳の少年と12通の手紙」。いやあ、もう泣けて泣けて。この映画いいと思う。

2010年11月30日 | Weblog
 少し前、東京でちょっとした行き違いから、突然、2、3時間の空き時間が生まれ、それじゃあ映画でも観ようかということになり、有楽町の駅を降りて、ひたすら映画館を駆け巡った。

 でも、そういう時に限って中々いい時間帯がないのである。
 汗を掻きながら、まだ観ていない映画を探し、やっと日比谷の「TOHOシネマズシャンテ」で上映している「100歳の少年と12通の手紙」を見つけた。

 上映開始までまだ20分ぐらいあったので、有楽町のガード下にある少し高めのハンバーガー屋さんに掛け込み、大きなハンバーガーに被り付き、珈琲を飲んで、急いで映画館へと走った。

 何と、「100歳の少年と12通の手紙」、超満員。
 やっと後ろ側の席に腰掛け、汗を噴く。
 でも、こういうラッキーな時間を授かったことに感謝。少し儲けた感じがして幸せな気分。

 映画「100歳の少年と12通の手紙」、評論家筋からも評価が高い。
 原作は、本国フランスで160週に渡って売上上位にランクされた名作らしい。
 「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」(原作と脚本)、それから「地上5センチの恋心」(これも監督と脚本)で知られる、監督のエリック=エマニュエル・シュミットが、これまでと同じく自分自身で映像化した作品だ。
 それに音楽が、「シェルブールの雨傘」、「ロシュフォールの恋人たち」(懐かしいなあ。俺この2本、何処で観たんだっけ・・・)のミシェル・ルグランときている。
 正直に言うと、本編を観て初めてミシェル・ルグランが音楽監督だと解ったんだけど。

 10歳になるオスカーという少年。
 彼は、悪戯好きでユーモアも解する素直な少年だが、白血病を患い、ある施設の小児病棟に入院している。
 両親は、病気の真実から避けるように彼から距離を置き、オスカーはそのことで深く傷付きながら、両親とだけは決して打ち解けることがない。

 ところがある日、院内で偶然出会った口の悪い宅配ピザの女主人ローズが、飾ることなくオスカーに接したことから、少年は彼女との再会を主治医である老院長に嘆願する。
 そんなある日、オスカーは自分の命がもう残り少ないことを偶然知ってしまう。
 腫れものに触るような両親に絶望したオスカーは、誰とも口をきかないようになってしまい、それを見た老病院長は、オスカーが大好きだと言っていたピザ屋の女主人ローズを捜し出し、彼女に助けを求めるのだが・・・。

 とにかく、オスカー役を演じているアミールという少年が素晴らしい。
 それと、ピザ屋の女主人ローズを演じたミシェル・ラロックも凄い演技をするし、主治医の老院長マックス・フォン・シドー(この役者が出ると、どうしてこうも映画が締まるんだろう!)も素晴らしい。

 恩着せがましく泣きを強調しないところが、この映画の評価を上げている。
 出来るだけ、淡々と、そして丁寧に、オスカーと彼を取り巻く人物を描いてゆく。それだからこそ、心からの感情移入が可能となる。

 オスカーは、老院長とローズが交わした施設訪問の約束がたった12日間であることを知り、自分の余命が短いことなのだと悟ってしまう。
 それを知ったローズは、オスカーに対して、諭すようにこんなことを提案する。
 「1日を10年間と考えて、与えられた日々を一生懸命に生きてみたらどう? それから、毎日神様に向かって自分自身の事を正直に書いて手紙を出すのよ」と。

 周りの観客の啜り泣く声が、館内中に響き渡る。
 それほど、周りのみんな泣いている。
 泣かせよう、泣かせようと、無理強いする映画は心底腹が立つけれど、この「100歳の少年と12通の手紙」に、そういう浅はかな意図は見当たらない。

 だからこそ逆に、何気ない科白や仕草、それから施設を取り巻く人間たちの中に素直に入る事が出来、真摯に感動するのだろう。
 もちろん、泣けたからそれが即いい映画だなんて、そんな短絡的な事いいませんが・・・。





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