陽だまりの中のなか

前田勉・秋田や詩のことなど思いつくまま、感じたまま・・・。

詩の小径ー文学散歩ー

2014-06-15 | 詩関係・その他

6月14日(土)午後、秋田県現代詩人協会主催の「詩の小径ー文学散歩ー」が秋田市寺内の高清水公園を中心に開催された。

当地は、奈良時代から平安時代にわたって東北日本海側におかれた、地方官庁の遺跡である「秋田城跡」のあったところ。西暦760年頃、「阿支太城(秋田城)と呼ばれるようになった」らしい。秋田城語る友の会会員の加賀谷幸男さんのガイドで、遺跡や神社群、そして、明治36年秋田市生まれの作家、伊藤永之介の「山美しく 人貧し」の文学碑や、菅江真澄(すがえ ますみ=江戸時代後記の国学者、紀行家)の墓などを案内してもらった。

遠い昔・・・高清水公園近隣の高校に在学していた私は、この小高い古城跡をよく訪れては、眼下の秋田湊を眺めながら、時に青インク色の紫陽花の切なさに心ふるわせ、時に建ち並ぶ石碑のかすれた文字に時を感じ、時に・・・部活の合間に文庫本を読んで・・・サボっていた!懐かしいエリアである。

感じ入ること多かった半日、もう少しじっくりと巡ってみたいという気持ちが湧いた。きっといいことなのかもしれない、私には。

  伊藤永之介の文学碑 「山美しく 人貧し」とある。

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詩の小径-文学散歩- 6月14日

2014-06-11 | 詩関係・その他

秋田県現代詩人協会主催の「詩の小径-文学散歩-」が今週の土曜日秋田市で開催されます。今回は史跡秋田城跡と秋田出身の小説家である伊藤永之介の石碑、江戸時代の紀行家菅江真澄の墓などを散策します。お気軽にご参加ください。

◎日時・・6月14日(土)13:00~16:30   ◎集合場所・・秋田市寺内の高清水公園内「秋田城跡資料館」前13:00      

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詩集「橋上譚」 感想(その4)

2014-06-06 | 詩集「橋上譚」

◎北川朱実氏

(略)日常の中から社会を、そして生きていく人を静謐な目で見つめた作品が多く、心魅かれて読みました。特に、「秋田大橋の下で」「河口」「朝」「深夜・海のある街を思う」は、心に残りました。

◎吉田文憲氏

(略)「川は以前と同じように/波の音を橋桁にこだまさせて 生きていた」という詩句が印象的で、「川流れて・生」から始まり、「雷鳴響く夜・病む人へ」に至るⅠ章が、とても心に残りました。川はわたしたちの日常生活のすぐそばを流れる異界なのかもしれませんね。

「行き交う人々の思いを繋げるために/ただ/立ちつくしている/たちつくしてきた」に万感の想いがこもるようです。

ザオザオという風切る音、「その先に生があったということは/こちら側でも生きてきたということだ」という詩句も印象的です。それが、この詩集の発見なのかもしれないな、と思いました。

「花輪沿線」は、鹿角市、花輪の町でしょうネ。昨年、父を亡くして、何度か墓所のある扇田を訪れ、駅が無人駅になっていることにある種の感慨を覚えました。

読みながら、雄物川の河口風景を思い浮かべておりました。それから、ぼくも何度か足を運んだ石巻、北上川の河口や女川の海岸を歩き回ったこともモノローグのようでもあり、静かな時間や風景と対峙しているようでもあり、全体が大きな意味での鎮魂歌のようにも感じました。(略)

 

◎岡 三沙子氏

(略)茨島といえば大橋と旭橋にはさまれた地域なので、この題名に納得致します。このタイトルで私も何か書けそうな気が致しますが、橋というとやはり男性的なテーマになりますね。茨島は小学校六年から二十三才まですんでいた古里ですが、それ以前の原野だった幼少時代の思い出もあり、亡父が埋め立て工事にかかわった原風景が懐かしく思い出されます。(略) 

 

<「橋上譚」関連サイト>  http://www.geocities.jp/maedaben/     

                          http://www.geocities.jp/maedaben/details1.html

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詩集「橋上譚」 感想(その3)

2014-06-03 | 詩集「橋上譚」

◎中村不二夫氏

(略)私は同世代ですが、第一詩集の刊行は前田様のほうが早いです。ここから、推察すると、どうしても鮎川信夫の「橋上の人」を思い起こしてしまいます。お詩集は、我々世代の心象風景を描いて、鮎川の詩とは別の意味で共感できます。ひとつひとつのことばに、まだ、詩が哲学や宗教に通路を持っていたいた時代の残像がうかがえます。(略)内側で必死に答えを出そうとする、不可能性の詩学を体現されています。「朝」という作品は、一日一日、肉体の消耗と引き換えに、ありふれた日常が上書きされていく現実が書かれています。特別な日を内側に隠して。「雷鳴響く夜・病む人へ」は、病む人の描き方が具象とも抽象ともつかないタッチで、不思議な現実感を醸し出しています。とても巧い詩です。「盆の踊り」も人の歴史を描いていて、共感できます。「ウミネコ」を読むと、詩を書くことは希望であることを思います。これからもど、んどん書いていってほしいです。(略)

 

◎佐川亜紀氏

(略)<一つの容器 河川敷/その底で私の思惟も精一杯に生きている> 川と橋を形象としながら、私の生存を浮かび上がらせている所にさわやかさを感じひかれました。(略)

 

 ◎丸山乃里子氏

(略)川とは時間である。詩人の視線によって形を持つ時間である。あるいは川の流れは過ぎ去った風景である。流れているが、流れてゆかない記憶である。電車もまた時間である。往き来する中に重く積み重なってゆく時間。そして坂、海。この詩集は時間を文字(言葉)という形にしていて読者はそれぞれの物語を連想する。

 

◎成田豊人氏

(略)人生に対して諦観のようなものを感じながら生活しているという印象を受けました。橋のある風景や花輪の風景を見る目は、決して熱を帯びてはいなく、何となく、違和感を感じている、という風に受け止めました。「川流れて・生」の最終連「帰る時間になって/滞留した私にも似た小さな渦に/小石を投じてみた」が印象に残ります。「河口」の「何度ここに立っただろうか」から「始まりの位置を決めたときであったか」の連も印象的です。「橋上譚」の「その先に生があったということは」から「そのものたち」までの連は特に重みを感じます。「朝」の「この日も/あたり前のように朝が始まり」から最終行までは、前田さんの生き方を端的に表しているのかなと思いました。(略)「石畳」ですが、読み進んで行って最終連を読み終えると、この連が急に重みを持って来るのでした。(略)

 

◎小峰秀夫氏

(略)これが第三詩集とは、貴兄にしては少ないのかな、などと考えました。(略)一編が小説一編に相当するものでしょうから、それだけ耽読したいものです。

 

◎あゆかわのぼる氏

(略)静ひつです。選びぬかれた言葉が心のひだにしみて来ます。思いを文字(言葉)にする力ですね。もしかすれば長いお休みをとられた効果かも知れない、と思いました。                                           

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詩集「橋上譚」 感想(その2)

2014-06-01 | 詩集「橋上譚」

◎細部俊作氏                                           

 (細部氏のブログ「かたつむりの旅だよブログ」・・・アクセスは当ブログ左のブックマークからどうぞ) 

                                                 

 「松風ざわめいて」               
 生家の近くの神社に来た。以前、この松に囲まれた神社に「君達」を連れてきたことがあった。そのとき・・・ざわざわとびゅうんびゅんと松風がうなり大きな幹が揺れる音に驚き、太い幹がゆらりと揺れる様を怖がっていた。そんな年頃の「君達」だった。「二人とも両手で耳をふさいで/何かを言った」が「何を言ったのか/何かを叫んだのか」自分には聞こえなかった。
 一方、幼年期の自分と今の自分が遠い時間を超えて混ざり合う。子供のころの「私」が階段を下りてゆき、「何かを言っているようだが聞こえない」。「君達」が言ったことも、子供の「私」が言ったことも「潮騒のような松風がざわめいていて聞き取れない」。潮騒のような松風は昔と今の間を吹き抜け吹き続けている。
そんなイメージを抱いた。

 ところで、この詩に出てくる「君達」と「河川敷」の「君」とを見つつ眺めつするうちにある想像をしたくなる。

 「河川敷」の「君」は、遊具で遊び、お地蔵さんを一緒に見た存在であったのだろう。そこで私は勝手な想像をする。河川敷も河口も前田が自分の日常の象徴を手探りで形作ろうとする場だったと思われるが、同時にそこは、お地蔵さんを共に見た「君」へ語りかけ、問いかける場でもあったのではないか。お地蔵さんがいるから河川敷に来た。河口はその延長にあるから、河口に来たのではないかと。

★「時には」
 「思い返すことはしない」とつぶやいていた母がいた。「戦争の話を一度も語ることなく/そこから避けるようにして生きていた」父がいた。そして「今 から逃げてきた」私がいる。親からそのつもりはなくとも受け継ぎ、組み込まれた「因子」
に気づいた自分がいる。「静かすぎて自分の位置がわからない」と叫びたい自分がいる。

◇ヘボ眼(まなこ)で気ままにぶつかった幾つかの作品について感じたことを綴ってみた。「あとがき」によると、この詩集は十年間書けなかった後の50歳代に発表された作品で編まれたことを知った。十年間の作品三十九編。幾つかのパートで分けられているそれら作品群を、各々の性格で一言ずつで括ってしまうのは乱暴だし、気が引けるけれど、河川敷の日々、病棟の夜、花輪沿線の町で訪ね歩くような日、民俗行事や大震災の方へ向かって言葉を立てようとする試み、肉親と過ごした幼年期の追憶の中に自分の源を見出したい思い、「君」や「君達」へ向ける呼びかけ・・・私にはそんなふうに見えた。

 詩を書かない者からすると、それらは夜な夜な言葉を紡いできた営みの蓄積であって貴いもののように感じた。そこには長い空白の後の十年間という時間的な重さ厚さも加わる。

 これからも前田の詩を見たい。それも、読者は身勝手で欲張りだから言ってしまえば、前田の抒情をもっと見たい。昔、詩を書いていたが、今では全く書くことのなくなった者は、そのころと相も変わらず、抒情を含まない詩は水気を失った果物と同じだと今も思っている。

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