亡き世界的な舞踊家、土方巽に関連した秋田県羽後町で芸術祭が二日間にわたり開催される。初日の16時から詩人の吉増剛造氏が、シンポジウム「芸術の生まれいずる・東北篇」に出演。入場料千円。
お問合せ先:NPO法人鎌鼬の会 秋田県雄勝郡羽後町字南西馬音内313-4 ℡ 0183-62-5009
亡き世界的な舞踊家、土方巽に関連した秋田県羽後町で芸術祭が二日間にわたり開催される。初日の16時から詩人の吉増剛造氏が、シンポジウム「芸術の生まれいずる・東北篇」に出演。入場料千円。
お問合せ先:NPO法人鎌鼬の会 秋田県雄勝郡羽後町字南西馬音内313-4 ℡ 0183-62-5009
雄物川河口近くの河川敷に、延命地蔵さんが立っている。半世紀近い前、子供が水難事故に遭ったそうで、その供養だという。
毎年この日、旭南小学校の学区である茨島・卸町地区市民憲章、町内連合会等々の団体が合同で供養祭を行う。二人の僧侶が読経し、関係者が焼香。そして全員で市民憲章を読み上げ、子供会の代表が事故に遭わないよう注意するとの誓いを述べる。
町内会として参列したのだが、考えてみたら二人の子供の時以来だからン~十年ぶり。続いていたんだなぁ。
300年余の歴史を重ねてきた秋田市土崎の伝統行事「土崎港曳山まつり」が、今(22:30)「戻り山車」(もどりやま)で最高潮に達している。都合があって実況できないが、今日の日中の画像をUP。
昨年12月、全国33の「山鉾・屋台行事」行事の一つとして、ユネスコ無形文化遺産に登録された祭典である。だから?・・・そう言っては事が進まない。ここ土崎は、まず、人。いい意味で、土崎の”崎”を誇らしげに、皆さんも他地区の人も通称で”ザキ”という。だから土崎の人を”ザキ衆”なんていう。当人にとっては誇りなんだね。
”ザキ”から離れて住んでも、この日が近づくと元に戻ってしまう。帰巣本能かな・・?連綿と続くことの”美しさ”に感謝したい。
近くまで行ったので、昨日オープンした「秋田市新屋ガラス工房」へ立ち寄ってみた。
広い敷地に街並みにあわせたデザインの建物。中はギャラリーと工房で、これまた素晴らしい空間。ガラス作家の作品展が同時開催されていた。
同地区にある公立美術大学とジャンルも世代もつながりが強くなった感じがする。
(一時の箱もので終わらないよう、切に願う)
男鹿市の雲昌寺はここ数年、紫陽花で有名。
今年は花の咲き具合が遅いようなので、ブログなどから情報を得て本日行ってみた。この色がやはり紫陽花のイメージそのもので、見事としか言いようがない。
※お寺への道路は細くて交差できないので、マイカーは手前の駐車場へ置いた方が安心。
今日の秋田の日中の気温は25度越え。フラリ出掛けた先、住宅街にあるケヤキの木立に誘われて某神社へ行ってみた。案外近いところに在る神社で、当然ながらずっと前から知っているのだが、訪れたのは初めて。
神社や寺に惹かれる。とは言っても信仰云々ではなく、創設された謂れや地区の出来事を刻んでいる石碑や掲示板にだが。今日たまたま行った神社は「川尻村云々」という石碑があり、秋田市と合併する前の旧川尻村であることを示している。成る程・・。狛犬の台座には明治32年との奉納年が刻まれている。へぇ~。関心事はこんな程度だが、新しい発見であった。
男鹿市北浦、雲昌寺の紫陽花がすごいらしい。ということで訪ねてみた。
十数年も前に鎌倉の紫陽花寺へ行ったことがあったが、何となんと鎌倉にまで行かなくとも、この雲昌寺の紫陽花は優るとも劣らない見事なものであった。
約1,200株の紫陽花はすべて”青”。副住職が15年間かけて造り上げてきたという敷き詰められふんわりとした空間。物憂い心象を表わす色(私の感受した世界でのことだが・・・)の素晴らしさ。紫陽花と言えば、青から桃色系や白系へと移ろう変化からか、花言葉では「うつり気」とか言われているが、斜面から境内一面に至る青さの広がりに浸ると、「実直」とか「清純」がふさわしいと思った。
秋田県由利本荘市の各地域でこの時期に開催される「町中ひなまつり」。華やかで実に美しい。北前船が寄港し日本海側の小都市に遺した京都文化のひとつであろうか。隣の山形県酒田市をはじめ沿岸部では同じような神楽をはじめ諸文化が残っているという。
今日は、この地に伝承されている神楽が奉納されるというので出掛けた。由利周辺には神楽文化が数多く伝承されてるとは承知していたが、その各地伝承の違いを知ることは難しい。発生と伝承など複雑なことそれぞれにこだわりが多くあるのかもしれない。由利本荘市石脇地区の「石脇神楽」。代々、長男だけがその伝承を許されるという。(獅子舞い行われなかったので、他、画像なし)良い時間であった。
地元紙の地域版に載っていたカラー画像記事に魅かれて、市内のカトリック修道院「聖体奉仕会」を初めて訪れてみた。 あ あ何と!!広大な庭園一面が黄色。咲いている花は野原によく見る小菊のような花。この花の名は「ブタナ」というらしい。名も初めて知ったが、この風景も初めてであった。市内東側郊外の高台にあって、一般的には知る人少ないと思われる。新聞記事には9時から16時までは無料解放とあったので、誰もいない中、感動しながらゆっくりと散策。すると、一人のシスターと出会った。裏の木立やマリア像のある庭園を是非見てくださいという。素晴らしい空間と静かさと神秘さ。こんなところがあったなんて・・・知らなかった。
毎年恒例となった雄物川流域一斉清掃へ参加。国交省と流域市町村が主催する行事で、ここ数年は市民単位というよりは、CSR の一環として企業単位の参加が多くなってきた。
かくいう当方も企業としての参加だが、長年住み慣れた地区の河川敷でもあり、半分は個人としての・・・参加?
一通りゴミを拾ってから河川敷に咲く花を見て歩くと、結構な種類の花があった。シロツメクサ、ハマナス、マーガレットのような花、菜の花に似た花、垣根にしてあるコデマリ・・・私の花に対する知識はこんなものでしかないから「その他」。
いい運動でもあった。
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よくは分からないが、秋田県由利本荘エリアは歴史的な雛人形保有で有名だ。隣県の山形県酒田市あたりでも同じようにこの時期になると歴史ある雛人形が公開されている。京都から日本海を経て北海道を結んだ”北前船”交易による文化伝播の結果であろうか。
由利本荘市岩城(旧岩城町)の「亀田城美術館」を訪れてみた。旧亀田藩の城下町らしく、江戸、明治、大正、昭和にわたる各時代の歴史雛が展示されており、更には平成の雛もあった。それぞれに「〇〇家所蔵」との説明札がついていたが、亀田地区=旧亀田藩城下のそれなりの格ある名家がどのように保存し継続させてきたものなのか・・・失礼ながらそちらの方に興味が湧いた。
館内では丁度、地元?の「箏・三絃教室 和奏(わかな)」のみなさんによる琴の演奏が行われ、ぴったりの演出、企画。もうけもんの午後のひとときであった。
鹿角市「花輪ばやし」
10月4日から秋田県内各市町村で開催されてきた第29回国民文化祭は、今日、11月3日で1ヵ月の期間を終えた。次回は鹿児島県。
今日は強風注意報の出た悪天候。数日前からちょっとは楽しみにしていたイベントだから、せめて雨だけは降らないでほしいと切に思っていた。その雨も降ることなくよかったのだが、風の強さには困った。秋田市の竿燈は当然風に弱いイベントであるから、昨夕早々と開催会場を駅前施設に移動するとの通知がなされた。いい判断。
そして今日。秋田市は土崎の「湊祭り」(曳山)、仙北市角館の「飾山(おやま)ばやし」、鹿角市「花輪ばやし」の三つの山車(だし)が秋田の広小路に出揃った。こんなことはそうそうあるものではない。午後からは大仙市刈和野の「大綱引き」が行われ、続いて「六郷の竹打ち」・・・。隣接する施設では各地の神楽が披露され、県内外の観光客で大賑わいであった。
↑ 秋田市土崎「港ばやし」 仙北市角館「飾山ばやし」 ↓
過日、秋晴れの空の青さに誘われて男鹿半島へぶらり。何をどう想起したのかは不明だが、相方が「なまはげ」伝説で有名な門前地区の「五社堂」へ”登って”みたいと言う。過去何回か”登って”参詣したことはあるが、結構キツイ石畳の坂をゼイゼイいいながら登った記憶がよみがえった。が、行くしかないではないか!!
駐車場につくと、何と県外ナンバーの車が一杯あって、どうもみなさん急坂にトライし参詣しているようであった。「第29回国民文化祭」が今月から秋田県内で開催され、”なまはげ”に関連した全国の同種民俗行事がここ男鹿市へ集結することの効果だろうか。有難いことだ。そんなことを思いながら、まずは駐車場北側にある地元出身の詩人、澤木隆子さんの詩碑を数年ぶりに見る。この詩碑建立除幕式に参列したのは20代初期。もう随分昔の話だ。澤木さんの「杉」という作品が刻まれている。
鬼たちが積み上げたという石段を登ること約10分、歴史的建造物が横に5社並んでいた。この急坂な山道を踏んででも社を建てようとしたものはなんだろうか。今と違って重機があるわけでもない時代に、建材を担ぎ上げたのは人力でしかなかっただろうに、信仰心がそうさせたとは簡単にいいがたいものがあろう。全国どこの仏社建造物に言えることではあるが。
願い事を一つ二つ思い、合掌した。
毎年恒例となった雄物川(おものがわ=秋田県で最長の河川)の一斉清掃が行われ、勤務先のCSRの一環で?今年も参加した。この一斉清掃は、県南部から河口である秋田市に至る沿岸市町村がそれぞれエリアを決めて一斉に清掃するもので、すっかり定着した。今年は・・・例年に比べて拾うゴミもなく拍子抜けの感があったが、それはそれで本来の姿だから喜ぶべき。
ところで、下の画像は、河川敷の土手を上りつめると現れる、この地”茨島(ばらじま)”工業地帯の成り立ちを記した記念碑。秋田大橋の架け替えに伴って国道のルートも変更になり、この石碑も現在の位置地へ移設された。元は国道(現在は県道になった)沿いの、「秋田大橋」手前で大きな桜の木と共に茨島の象徴??であった・・・。茨島の歴史については、この地にある企業の広報担当であったこともあり少しばかり知っているが、市民の多くは、今の河口が丘陵を爆破して通水した人口河口であることを知る人は少ないのかもしれない。また、今の工場地帯が、この爆破によって生じた土砂を埋め立てて造成した地域であることを知る人も少ないだろう。爆破通水は1938年(昭和13年)。
石碑には歴史が刻まれていた。今度、じっくりと読んでみたい。
秋田の出版社「書肆えん」が、地元紙では№1の購買率を誇るS紙の第一面広告欄に、堂々の広告を載せた。私の知る限りでは2回目だったか?
結構な広告掲載料がかかったのでは?、と、友人の一人としてえらく心配しているのだが、当の本人からは掲載したよ!と、かる~い雰囲気のメールが届いた。
日本全国どこの県にも地元出版社というのがあって、その多くはオーナーが新聞であれ、文学であれ大志を抱いて創設したものが多い。秋田にもかつて秋田文化出版社という詩人オーナーが経営していた出版社があった。先輩詩人達はみんなここに集結し、秋田の文学の風を巻き起こしたものだと聞く。そのオーナーの元で編集者として、出版者として学び、そして時間の経過を経て「書肆えん」を立ち上げた横山仁氏。言葉少ない白髪の風貌は初対面の人には威圧感があるかもしれないが、このありようが彼らしい。