陽だまりの中のなか

前田勉・秋田や詩のことなど思いつくまま、感じたまま・・・。

ギターと踊りと詩と

2011-09-27 | 詩関係・その他

2014年に秋田で開催される国民文化祭に向けて、秋田駅前「フォンテAKITA」6階の国民文化サテライトセンターでは土、日に各団体がステージを受け持っています。

秋田県現代詩人協会の”出番”は今週の土曜日、10月1日(土)14時から。
伊藤善雄氏のギターと詩人協会の会員が詩の朗読、西馬音内の盆踊りを披露します。出演予定者はつぎのとおり。是非おいで下さい。

詩の朗読 :  駒木田鶴子さん(横手市)、宮腰道子さん(秋田市)、田口映さん(秋田市)、 吉田慶子さん(秋田市)、藤原祐子さん(羽後町)
西馬音内盆踊り : 藤原祐子さん(羽後町) 

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南三陸の島

2011-09-26 | 地域・社会

過日、所要があって気仙沼市から南三陸町方面を通過した。

どこかで、インターネットで見た凄まじい情景が頭をよぎって言葉少なくなった。

気仙沼の市街地入り口あたりは何回か訪れた時の町並みであったが、

市役所を左に見て進み右折すると、そこからは別世界であった。

瓦礫片づけが進んでいたこともあり家屋のコンクリート土台だけが並んでいたが、

時折、ぽつんと残っている骨組みだけの家屋があって、

凄惨さが象徴されているようで辛かった。

街は何も無く平面で、道路は沈下し砂利道。岸壁の海面とほぼ同じ。

海面が浮き上がっているような感じで怖い。

 

気仙沼を後にして南下する。

ごくごく当たり前であったはずの集落や浜辺の風景、商店街であったであろう通り、

何もなく、コンクリートの土台だけが両側に続く。

時折、ボランティアらしき集団が休憩していたりする。

南三陸町に入ると、

あの、防災無線で最後まで避難を呼びかけていた女性職員がいたと思われる

鉄骨だけになった4、5階の庁舎らしき姿が遠くに見えた。

流されずに残った6階建てのアパートの、4階のガラスが割れたまま。

 

言葉が出なくなって砂利道になっているでこぼこの国道を通ると、

プレハブ建てのガソリンスタンドがあったので給油する。

結局、何も言葉を出すことなく、つり銭を手にして発進する。

会釈するだけが精一杯だった。

(言葉はどうした、言葉は)

 

南下して志津川を通過する。

左に蒼くあおく澄んだ海が広がり、何事も無かったように

(おそらく、地元の人にとっては変わらない島の姿)

島がプカリと、イタリア映画にでも出てきそうな格好で浮いていた。

 

 

 

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秋田県現代詩人協会主催 ・ 2011「詩の小径」

2011-09-11 | 詩関係・その他

今年は由利本荘市岩城(旧 岩城町)亀田にある「史跡保存伝承の里 天鷺村」を中心

に散策した。

旧・岩城町は歴史的に古く、藩政亀田藩時代から数多くの著名人を輩出している。

どちらかと言えば「武」よりも「文」や「民」が先立った地域か。

(松本清張原作の映画「砂の器」では、亀田駅や地区内の要所が登場した)

 

参加者22名。会員以外の方の参加もあり、感謝!

美術館やワイン工場などを視察した後、

”村内”の庄屋屋敷である佐々木家大広間で、詩の朗読会。

朗読には少しばかり反応過敏で苦手な私だが、

時間を重ねると、耳から聴く言の葉の響きもいいものだと思った。

(朗読は学校の教科書読みでも、演劇の台詞読みでもないのを前提にしての事だが)

 

詩を書く人や詩を書く人の傍にいる人、詩を書きたいと思っている人、詩を感じたい

人、詩って何?、詩ってそんなはずないよと思っている人、詩は朗読で活きるという

人、詩は沈黙だという人、詩は寡黙だと言う人、詩は饒舌でシュールだという人、

詩は・・・・。

  

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詩誌「海図」創刊100号発行

2011-09-03 | 詩関係・その他

秋田の詩誌「海図」が創刊から第100号を数えた。

同人全員が女性というのもまた、すごい。

100号記念号ともいえる今号には、県内の主だった同人詩誌の編集者と

県現代詩人協会山形会長からのメッセージが寄せられている。

また、同人各位は顔写真付でエッセイを載せ、思いもしっかりと伝わってくる。

創刊編集・発行者は故人となっているが、

現在の編集者である木内むめ子さんの存在が大きな牽引力になっていよう。

 

 

(誌と同じころに創刊した、私の所属していた「匪」は50号前後で消えた・・・。

 何号で終わったのかも記憶にないほど遠いことだが)

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