矢代レイさん(秋田市)の第5詩集『水もやい』が刊行された。
矢代さんは、これまで2013年の処女詩集『水の花束』から『水を生ける』『川を釣る』『濁点(KURO)』と
意欲的に刊行してきた。このうち3冊の詩集タイトルに含まれている”水”あるいは川は矢代さんの特徴的なテーマ
と言える。そして、敢えて言うならば、そのタイトルに”水”を含んでいない第4詩集『濁点(KURO)』は、まさに
矢代さんの叫びであり生であり矢代詩の”原点”と位置付けられるのかも知れない。
タイトルにある”もやい”とは何だろうか。思いつくのは一般的な「舫」だが、その意味は「船と船とをつなぎ合
せる」「杭などに船をつなぎとめる」との意で、「寄り添って事を共同ですること」にもつながる。収められた作品
に出て来る”類似”語?としては、「雪山」に描かれた状況として「にわかに/雨もよいの/墨汁を掃いたような雲
が/垂れてきた」とある。とすると、この”あまもやい”は素直に”今にも雨が降り出しそうだ”ということであり、
”みずもやい”は・・・。タイトルの意味あいは”催合い”?、”舫い”?・・・などと想い巡っても感受性の乏し
い私にはここら辺にまでしか及ばない。
本詩集の収録作品は34編。初出は個人詩誌『ピッタインダウン』、秋田魁新報『あきたの賦』、同『新年文芸』
等々とある。乱暴だが当詩集を大きく分けると”叙景”と”抒情”になろうか。叙景描写は矢代さんの巧みな語彙の
駆使が際立ち、読み手にふくよかな情感を良く伝えてくれている。一方の抒情描写、殊に「Ⅳ}に収められた作品群
は育ち生きてきた時間空間を表わしていて、作者の生な姿が見えて来る。思い出と言えば一括りになってしまうが、
こうした肉親と過ごした情景、幼少時から形成されてきた本源のようなものは、書き表すことで現在に息吹き振り返
ることも先を視ることも可能になって来る。詩を書き創作し自己表出する同じ立場の一人として、私は矢代さんが
ここに至るまでの時間空間の大切さに気付いていたからこその表出だと感じた。詩とは何かとか、どうあったらいい
のか、そういった自問はそれぞれの書き手のかかわった時間に付随しながらゆっくりと醸成され、驚き、喜び、苦悶
しながら湧出してくるものだから・・・そう、書き続けるしかないのだ。
「詩は登山に似ている。自分の足で、自分のペースで、頂上を目指す。その先には、心奥を優しく満たす光がわた
しを待っている。」(あとがき より抜粋)
「記憶の陽だまり」
寒さ厳しい朝
雪の匂いのなかで
遠い記憶がよみがえってくる
磨きこまれた板の間
西日のまぶしい流し台
眉の高さに豆絞りの布巾
飴色の味噌こし笊
忙しさが台所にひろがる
大晦日
見知った風景から聞こえてくる
野菜をきざむ軽妙な音
沸きたつヤカンの湯気
煮しめの懐かしの匂い
黒豆のまろやかな香り
ゆれる湯気の向こうには母
円い卓袱台には色とりどりの料理
燗の温め加減をはかる姉
みなで素朴な風味を食す
元旦は吹雪
軒の氷柱は冷えを滴らせている
凍てついた土間の片隅には
薄氷を張った鉄鍋
下茹でした銀杏切りの大根が
白く咲いている
三箇日は
煮炊きの火も ひっそり
記憶のなかの匂いは
おだやかな陽だまり色
囲炉裏の
熾火はひかりをともし
新しい年の暮らしをぬくためる
発行日 2022年10月20日
著 者 矢代レイ
出 版 書肆えん 秋田市新屋松美町5-6
定 価 1,430円(本体1,300円+税)